聖書は、人に分かりやすい題材を元に書かれています。
神のトラーも特に申命記は、当時の中東近辺の国と国の間に
結ばれる条約、”契約書”の形式でそっくりそのまま書かれて
います。古代の契約書フォーマットです。
だから、その書をその当時の人たちが読めば、神の言葉が
契約書であることが分かる。そして、その契約は何の契約
なのか契約書の中に書かれている用語で分かるのです。
婚姻契約書。だから、愛とか、娶る、保護とか、裏切るとか、
姦淫とか、又イザヤ書にある様に、法廷に出て一緒にこの件
=不倫に関して、語ろう、話し合おうと書かれているのです。
婚姻契約を破ったイスラエルに対して、その様に書かれている。
神の造られた世界を観察すれば、神を知ることが出来ると
言われたように、神の創造物を通しても、神の性質が
分かるように造られています。
月、星、太陽。農業をやる方だったら、農作業一連の事を
説明されれば、その内容が分かる。
悪い地、良い地。悪いと良いという言葉を、ヘブライ語の
元の意味に直すと、”種”が植わり、その種が正常に最上の
コンデイションで育つ地=神のデザインしたオリジナルの
意図通り、まさに栄養満点”肥沃の地”命が神のデザイン通りに
実ることができる大地。
悪い地=栄養のない痩せた地=命を生み出せない、
又は生み出したとしてもスカスカ、カスカス、フルに作物が
豊かに肥えて実る事が出来ない地。神のデザインからずれて
いる地。
観用植物でも水を与えないと、本当にしょぼしょぼになり、
萎れますね。以前に水やりを怠って萎れた”植物”を見て、
これまずい!と水を与えた途端、”しゃき〜ん”と元どおりに
ピンとなったのを見たことがあります。すごい!”水”は命を
生かす要素です。その水もすごい力を秘めている不思議な物質
なのです。これは大きな別のトピックなので今は書けません。
水と言う言葉が聖書の最初に出てきます。
イエシュアも生ける水であると、ご自身のことを言われた通り、
その比喩で、その水なる実態を納得できますね。
この水=イエシュア=神のトラー=言葉を食べる、飲むものは
腹の底から怒涛の様に生ける水が溢れ出て、渇くことがない。
水が溢れ出ているのに、渇く状態にはなれないからです。
喉がカラカラな時、純粋な水を飲めば体が生き返る。
でも、添加物がたくさん入った人口飲料飲んだらなんか
その時は良いけど、渇きは収まらない。
絵画的教育、teaching ツールです。目で見たらすぐに分かる。
その分野に携わる人なら誰でも分かる。
体験済みなら、はっきり分かる内容で書かれています。
神が私たちに語られることは、人間の作り出したスローガンや
信条=宗教の世界の教えではなく、自分の命=神に与えられた
命をどのように安全に保ち、そして同じように他者の命を
ガードし、生きるかということが神の言葉により私たちに
伝えられているのです。
神の子とされた人=義とされた人は、一体どの様に生きるのか、
その詳細が書いてあるのが、トラーなのです。
義とされるために、トラーを生きるのではないのです。
義=神から一方的に与えられたもの。誰も努力、行動、行いで
獲得なんて出来る物ではないのです。神の業のみで与えられた。
イエシュアが語られた全ては100%トラーの中身であることが
理解できれば見えます。
生きることは、イエシュア ハ マシア=その詳細は永遠普遍
の神の言葉の中に記されているのです。それを捨てるから
分からなくなるのです。神の言葉=生ける水を捨てたら
生きられない、分からなくなると神が警告しています。
聖書は、本当は分かりやすい言葉で書いてあります。
分かりにくいのは、私たちにその言葉の基礎的知識に欠けて
いるから、書かれている言葉の意味するところが、分かった
ようで分からない、理解するのに必要な基礎知識が
欠けているから見えてこないだけなのです。
だから、なおさら教師が必要なのです。
当時の人は誰も聞いたらすぐ理解できることだけが
書かれて言るのです。
日本人が、あることわざを聞いたらすぐに分かるのに、
外国人に言ったらそのことわざの意味が見えないのと
全く同じことです。
そして、人は神に造られた存在であるので、同じ一つの人類
=家族。親は1人そして、その子供達が居る。
身近なことに戻して考えると分かりますし、そう書いて
あります。
”一つ家族” 親がいて、夫婦、夫、妻、長男、そして兄弟姉妹、
子供達。同じ家に住まう。そして隣近所、町の住人、そして
住まう国家がある。自分の家族に置き換えたら分かる内容です。
複雑ではない。でも分かりにくい。なぜなら私達、現代人は、
”ヘブライ”の世界のヘブライの古代人ではないからです。
しかも、歴史の中の長い間、ヘブライ語聖書を捨てて
しまい、西洋の教えが浸透し、ヘブライ語聖書、オリジナルに
書かれている神の言葉の意味、意図の真相が闇の中だったから。
だから本当に解説が必要、手がかりが必要なのです。
自分の旦那さんが、自分の妻であることを自覚し、
他の男性と親しくしないでねと言うことは不当な事なの
でしょうか?そんな夫の言うことなど聞きたくない?と
言ったらどうなるのでしょう。だったら出て行けばとなる
でしょう。
それでもごねて、他の人を家に入れたら、関係がまずくなる。
それがちゃんと書かれている。そんな理解に難しいことでも
なんでもないのです。
それが”高きところ”=別の夫に関わる全て=異教の神々の教え、
習わし、生活習慣、彼らの記念日、儀式、宗教シンボル。etc 。
全て、イスラエルの家の子らは取り入れることが出来ないのだよ
と言われる。それらを身に帯びることはそれらの神々に属する
ことを意味してしまうからです。
ある会社に勤めたら、バッジを付けたり、ある学校に行けば
その学校の制服を着る。その服装見ただけで、どこに属するの
か一目瞭然です。
プラス、紛い物、混ぜ物、似て非なるものを取り入れて、
わたしと正常な関係を持てないこと気が付いてねと。
素直に聞けば、分かりやすいです。
でも、そのまがいものが何であるのかに気が付けないのです。
トラーを読まないから。トラーは終わったと教えられてしまっ
ているから。だからイエシュアが話している内容も、トラーを
終わらせた教えなのだと、100%誤解、勘違いして、その
教えが世界的に蔓延、浸透している。
でも、今は”その教え”=人の作り出した教えを
軌道修正する、大きな流れが世界に起きているのです。
その一つの大きな要因は、”ヘブライ語”聖書に触れる人たちが
出てきて、オリジナル聖書に書かれている内容を発見して
いるから、人造神学の間違いに気がつく。
神の言葉を別物の教えと混ぜても良いと考えるからずれる。
似てれば良いと考えるから。自分たちの考えが優れている
から、神の言われることとはちょっと違うことでも、
自分たちのアイデイアで神の言葉を塗り替えたり、
記念日を創作しても良いと考えるからです。
続く