子供の頃、歌や言葉、言い回しを聞いて”音”だけを捉えている
ので、言葉の内容が分らないまま、只言っていると言う言葉が
たくさんありました。
何だか分らないけど、口で唱えているだけの言葉が
たくさんあります。
聞くと笑い話になる様なものもある。
どんなのがあったでしょうね。普段聞かない古い言葉って
本当に分らない。漢詩や、古文の様に勉強しなければ、
分からない世界です。
”うさぎおいし” うさぎっておいしいの?て小さい頃
思いました。
私もヘブライ語なるものを生まれて初めて”音声”で聞き、
文字で直接見たのは10年前です。例えて言えば、大学の
英文科に入って学んでいるのに、英語の原書を日本語訳でしか
読んだ事がないと言う、学生みたいな状態でした。
仕様がない。調べようがない、誰もそんな事言わない、
教えてくれる人さえも居ないし、辞書さえないそんな
時代だったからです。外国語を学ぶのにその国の原語の
辞書必要なのと同じ事です。手がかり無くては、知るのは無理。
その中でもヘブライ語とは分らないまま、聞いていた言葉も
あります。
”イマニュ エル”とか”アーメン”とか、ほんの少しのヘブライ
語だけですが。殆ど聞いた事など無かったです。
ジーザス、イエスさま、イエズスの本当の名が、”イエシュア”
であったことも、全然知りませんでしたし、誰もそんな
”本当の名”を知る人も、言う人も回りにはいませんでした。
アメリカでもヨーロッパでも聞いた事が無い。花子と言う名
なのに、パナーピーと言う名で呼ばれる様な、あなたの本当
の名は何ですか?の世界です。その名の表す”実体”がある事も
知りませんでした。
聖書はヘブライ語で書かれています。なぜヘブライ語なの?
それは、”創造主”のみ知る、創造主が選択した原語と言う
以外人には答え様がないのです。なぜなら、人は只の神に
造られた創造物で、神が創造主だからです。
神がデザイナー、神が創造主だからそのお方しか分らない。
人がとやかく口出せない、なんで日本語では無いの?なんて
言えない。
この原語知って行くと、実にパフォーマンス能力高いと言う
か何と表現したらピッタリか、一つの言葉の中にいくつもの
単語が入って表す事が出来る様に、まとまる言葉なのです。
そして古代は”口頭”伝授の世界です。又発音が微妙に
違っても同じ意味の言葉がたくさんあります。
日本語の中でもあるから分ると思います。
例えば、日本語でヨシュア、ヘブライ語ではイエホシュア。
イエホシュアとイエシュアは同じ言葉、同じ意味です。
古代のヘブライの世界は、この”イエシュア”救いと言う名は
一般的な名前だったのです。
イスラエルの神の名、神の性質を入れて付けられている人の名
は、ヘブライの世界にはたくさんあります。名は実体です。
聖書の中に出て来るたくさんの名の中からも知る事が出来ます。
子の名を呼ぶ度に、神の名で表される性質を言葉で発するとは、
家の中に、神のメッセージが常に渡り響き、思い出す=
リマインダーになる、実にワンダフルな慣しだと思います。
預言者の名で、エリヤと言う名が有ります。
エリヤの名が歌われる歌があるのですが、以前初めて聞いた時、
”エリヤーフー エリヤーフ〜 エリヤーフ はなび〜”と
皆が歌っていたので、”花火”?と私には聞こえましたが、
”はなび”とは、ナビ=預言者、ハ ナビ=ザ 預言者です。
ナビゲーターのナビと同じ語源です。
ヘブライ語の言葉の中の響きで好きな響きもたくさんあります。
これは、個人的な印象、好みなので今は書きませんが、
預言者エリヤはエリヤーフです。
אֵלִיָּהוּ
この預言者の”名”一つで表されている、言葉の語源、意味が
あります。”わたしの神はイエホヴァである”と言う言葉が
このエリヤの名前の文字の中で全部表されているのです。
しかも、四文字で表されるイスラエルの神の名。
契約を結ぶ神の名。アラー、ブッダなど異教の神々に特有の
名が有る様に。
四文字で表される神の性質。すごい、コンパクト。この中に
永遠普遍である神の実体、性質が凝縮して表されている。
そして、名を帯びると言うのは、その名が表す性質を自分が
帯びている、自分の性質であると言う表現、表明なのです。
詰まり、エリヤの名は、神の性質を帯びた、わたしの神は
4文字で表される、過去、現在、未来永遠普遍に変わらない
エル=神であると言う宣言をエリヤの人生を通して、
表している、生きて表現していると言う意味です。
ヘブライ語の聖書の中を、言葉の扉を開けて行くと、
そこには永遠普遍の神の実体が描かれているのです。
ギリシャローマ思考の、線上に、平面な思索から眺めても
見えない。
何故なら、神の語られる世界は、線上や平面、歴史の途中で
変わる性質ではないからです。ヘブライの思索とは、
別の思索で聖書を読んでも見えないからです。度の合わない
メガネをかけて、眺めるのと同じ。
歪んで、ぼやけてはっきり実体が”見えない” ”捉えられない”
ヘブライ思索で書かれた、イスラエルの神の世界は、全てが
永遠の中から。永遠から発生している。その永遠は始まりも
終わりも無い世界。
円の世界。どこの箇所、どの場所、どの人間でも”永遠の中”
神の中にまず造られていた。神の中に始めから存在して
居た。そして地上に発生し、そして、永遠から永遠に神が
人の中に共に居られる実体が書かれているのです。
イマニュエルと言う言葉もそれです。
2000年以降に初めて神が人の中に住まわれる様になったと
言う神学も、この神の”名”が表す実体で一気に吹き飛ぶ
ものです。
しかも、イエシュアは永遠から存在する。単独ではない。
エロヒームと言う複数形で全く一つの神と言う言葉で表される
からです。イエシュアが来られたのは、”神”アバ父の実体を
人々に知らせるために来たと言われた通りです。
イマニュエル。עמנו אל
この言葉の中に、”人々” ”共に中に”居る ”ニュ”で表される
のは”わたしたち”と言う言葉。詰まり人々の中に始めから
存在している神の性質がちゃんと紹介されているのです。
しかも、創世記から、神の実体を人の中に神御自身が直接
ルアフ=霊=息を吹き入れて人は生きる存在になったと
書かれているのです。
スイッチオフか、スイッチオン状態かの違いです。
酸欠状態か、酸素十分取入れて生きて居るのか。
電源に繋がれているのか、電源から大分外れているのか。
又は接触悪いのか。片側イスラエルの神、片側混ぜ物の
教え=異教の神々の教え、人間の宗教に繋がれているのか。
トラー、預言書、諸書を読んで見ると、古代の人達の方が
ずっとずっと神の実体を知って生きていた事が書かれて
いるのです。
グレコローマ思索、西洋思索は、ヘブライ思索とは異なる。
グレコローマ思索は、丸ごと異教の神々の思索が土台だから
異なって当然なのですが。
言葉の語源、意味だけを探っても、創造主である神の性質が
そのまま直に伝わって来ます。知れば知るほど”惹かれて”しまう。
圧倒されてしまう、ひれ伏さずには居られない、賛美せずには
居られない、すごいお方である実体を発見して行きます。