気がつけばもう10月も終盤に入る所です。早いです。
と言うと、このグレゴリオ暦の2018年も後2ヶ月。
聖書の暦では、1年の始まりは”春”の時期ですが。
この10月の終わりになると、どの国に住んでいようと関係無く
”ハロウィン”の祭りに向けて、商業も学校や街のイベントと
してあらゆる場所で、ハロウィンを祝う事で溢れています。
今、日本でもそうではないでしょうか?コンビニでもスーパー
でも、ネットスーパー、デパートでもあらゆる所でハロウィン
グッズが満載。商売ですから。
こんな現象は、以前は世界の中にはありませんでした。
1990年代の始めも、ハロウィンを日本の国内で盛大な
一大行事として祝う様な習慣はなかったはずです。
アメリカのイベントごとだったはずです。
ヨーロッパでもこの様な祭りを祝う様な事をしていません
でした。それが急速にこの祭りが浸透して行ったのです。
今やこの行事、祭り、イベントは世界を駆け巡り皆がそれぞれの
家で、早くから飾り付けをしたり、コスチュームを新調したり、
購入したり、又は幼稚園や学校の行事にまで組み込まれて
います。
まさか、これが聖書の中にある祭りだとは、誰も考えて
いないと思います。
異教の神々の祭りは世界に浸透しますが、イスラエルの神、
聖書の中にある神の記念日=祭りはそう簡単に浸透しない。
神の言葉の知識が無ければ、祝わない祭りだからです。
可愛い子供が悪魔や骸骨の化粧をしたり、楽しいけど
それってどう?て考えてみる。
子供のおもちゃや、漫画や動画の中に、おもしろ、おかしく、
可愛く、美しく、魅力的に、”異教の神々”のテーマや、神の
デザインとは違う男女の姿や、シンボルやコンセプトが
刷り込まれています。
誰も何も考えない。サブリミナルの世界と同じで、一方的に
無意識の中に刷り込みをされてしまう。うるさい事言うなかれ
の世の中の風潮。その根底には、”神の言葉”を捨てる様に、
神の言葉から気を反らせる様に、ありとあらゆる促しを
しているのです。
異教の神々のシンボルや慣しは、知らない間に最も懐かしい、
親しい習慣として組み込まれ続けて居るのです。
神の言葉に基づいて考えなければ分らない。
それらが、実は神の最も忌み嫌うものである事が、分らない。
一番分りにくいものは、”イスラエルの神”に属している様で、
実は異教の神々のコンセプト、信仰、シンボル、印を身に
帯びさせられてしまう事です。又は、異教の神々が土台の
祭りごとをやらされてしまう。
自分の思索に、又は食物として体内に取入れる様に、
全部トラーは終ったものと教えられているから、神が言われる
忠告、警告など耳に届かずに、何も気にしない。
慣れ親しんだ、楽しい慣し、習慣、伝統だからそれは
普通の事だから、何も害悪にも考える事が出来ない。
それが、一番のトリックだと思います。
気がつく事が出来ない、考え始める事さえしないと言う事が、
大きな隔たりの壁、超えられない壁なのです。伝統とは違う
この壁を壊そうとする様な事を言う場合摩擦が起きてしまう
からです。それが神の言葉に基づいていても。
人は、神の言葉を捨てたら、神の言われている事、
神の忠告が分らなくなる。又は神が造られた人間の生きる
デザインは、全て神の言葉=トラーの中に書かれているのです。
これは衣食住含め、全ての”生きる”と言う領域を網羅して
います。個人で、夫婦で、家族で、コミュニテイ全体で、又
国として、神のインストラクションは生活全部、漏れなく
どこも欠けたものがない、その様なインストラクションを
与えているからです。その神のインストラクション=神の家の
婚姻契約に繋がれた姿は歴史の途中で変化などしないのです。
もし、人が猿から進化したと言うなら別ですが。人間は始め
から同じ人間です。神のデザインした人間に生きる道=
イエシュア=トラーに書かれた内容も変化無いのです。
神が神の言葉は、永遠普遍、神のトラーを一点一画でも
捨てる様に教えるものは、神の目に”価値の無い、意味の無い
存在になる”とはっきり宣言されそれが聖書に書かれ記されて
いるからです。
自分がやっていた慣しや祝いの数々が実は神の中では、
まがいもの、冒涜以外のなにものでもないもので、拒絶、
悪寒がするほどおぞましいものがあった事に一旦はっきりと
気がついたら、それ以降は絶対嘘でも二度と出来なくなる事が
有ります。
クリスチャンの場合は、イエスさまを信じたら、
神社には行っても、間違っても”かしわ手”を打って、
お賽銭を投げ入れて、八百の神々に祈願し、拝みましょう
なんて考えなくなる、出来なくなると思います。
バハイ教の様に、世界の宗教受け入れてオッケーと言う神々
を信じるなら別ですが、そんな事嘘でも出来ない。
偽の神に祈ったり、拝んだり、話しかけたり、関係なんて
持たない。悪霊と関わらないと分るから。
この様にはっきり違うものは、簡単に見分けられます。
イスラエルの神では無い事は明らかだからです。
見分けられないのは、イスラエルの神の実体である様で
実は異教の神々の慣し、教えを混ぜられた教えです。
神の言葉が終りと言う教えもその中に含まれるのです。
イスラエルが出エジプトした後、自分達の習慣、慣しを
引きずって、金の子牛を作って、イスラエルの神を
拝んだ事を読めば分ります。自分も同じ様な事をやっている
危険がある事を。イスラエルの神を拝んでいる。
そのやり方が、異教の神々に仕えるやり方と同じと言う事。
神の指定した通りの近づき方をしていないと言う事。
これを、知るには”神の言葉”に戻れば分ります。
又、宗教史を学ぶと、どこでどう”イスラエルの神”の
言葉=トラーや教えや生き方が変形させられてしまったのか
事実だけを元にすれば分って来ます。歴史の史実が証明して
いるからです。人が神の言葉に手を付けて変えてしまった。
問題は、人は調べようとしない。調査しない。考えない。
だから、疑問に思わない。自分の見聞きして来た教えが絶対
だと堅く固く考えるから。
今までの習慣だから、伝統だからと人間の教えである事に
さえ目が開かれないと言う事。
でもオリジナルの聖書の中身を今一度、探り始めたら、神の
言葉だけに基づき、考え始めると言う事をすれば、
誰でも絶対に気がつくのです。
ハロウィンさえ、”伝道”の機会にしようなどと言う
スローガンを聞きますが、それこそ止めた方が良いです。
混ぜた教えを、人に提供してしまうからです。
しかも、トラー、預言書に書かれた”イエシュア”とは
違う教えも世界に流してはならないです。
イスラエルの神とは関係無い。人が集る機会だからとか、
世界が祝う時期だから、人集めには良い機会。でも、もし、
その中身がイスラエルの神とは違う事を伝えてしまうなら、
一切止めないとならないのです。神の言葉に書いてある事とは
違う事をしては、言ってはならないと神が言われたからです。
これこそが人の編み出した教え。1列王記12:28−33章にある
人間が作り出した”高き所”=神が指定していな場所で、自分達で
勝手に編み出した方法、教えで、神の名を唱え、礼拝する事と
同じ事だからです。