伝えられた通りに | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

モアデイム、神の定めの時=アポイントメントと言う英語は

日本では今や浸透して馴染みのある言葉でもありますが、

”アポインテッド タイム”=定められた時です。

 

神に造られた人達が神の指定した日に、同じ思い、意識で

その日を祝う様に世界を造られた事が書かれています。

 

注意して読んでみると、神の創造物、時はピッタリ一貫性が

あります。

神の創造された世界のデザインを見る時に、言葉と、

創造物がピッタリマッチしている事に気が付きます。

神の時=モアデイムを司るために、月、星、太陽が造られ

た事実の様に、神の記念日は、月が天に現れて示す

様になっています。

荒野の40年の間は、シャバットが始まる前に、天からの

印があった事にも繋がります。

天からの啓示=天から、神の御座、神の御手から直接降る、

命を繋ぐ”マナ”が下った事を考えるとそうかと見えて来ます。

目に見えない世界が、目に見える世界へ移行する。

 

1週間は7日間です。人の生きる中でのサイクルがちゃんと

定められています。1日も約24時間で、夕から始まる。

神の御手の中に憩う、休む、安心してゆだねる状態から

一日が始まる。完了の業から人は生きる様に始めから

造られている。

仮庵の7日間の次の日の第8日目の様に、8日目は

新しいサイクルの第一日目。

 

6日の間働いて、第7日目に止まりなさい。

神が止まり、憩われたから、人もそのようにしなさいと

神が言われたのです。親の御手本通りを生きる事を

教えられているのです。人が神の似姿に造られている

事実を教えられている。

 

これは、人間の側で勝手に解釈を変えても、神の言葉は全く

永遠に変わらない事実があります。

人がどう理解するか、どう信じるのかが問題なだけで、

神は真実を永遠から始めから人に伝えています。

だから、神の言葉に書いてある通りにまず読み、神の言葉

自身のみから語ってもらう、語らせなくてはならないのです。

人の教えが一人歩きして、人の解説に語らせたら無意味

だからです。

 

そして、この記念日は、神の提供した婚姻契約の中に

加えられている神と人との間の”印”であると書かれています。

詰まり証拠、婚姻契約書、婚姻届けがある事実です。

愛する夫との婚姻届けを破棄する事は、どんな事を意味する

のか考えると分ります。

神の契約=約束=完了の業を頂いて、神の造られた人間の

デザインを生きる事にアーメンと同意した、神の言われる事を

認め、賛同した人達はこの記念日を祝うと書かれています。

神に取って、神の記念日、シャバットと祭りは大変重要な

ものなのです。

 

シャバットを初めて体験したのは2012年のイスラエルでした。

その年は初めてイスラエルに行った年でもあります。

トラー=ヘブライ語聖書に書かれた内容を学び始めて4年目

位の時でしたが、その時まで実際に聖書に書いてある

”神が人を呼び出している記念日”を一度も祝った事が

無かったのです。人間が造ったお祭りは祝った事はあっても。

 

聖書教師でもある私を教えてくれている友人が、

”シャバットには出かけ先きから必ず戻る様にプランして。”

といつもはあれこれしてと指示的な発言、意見を強要しない

友人が、なんかどうしても絶対こうしてと言う感じで

私に懇願の如く伝えていたので、そんな重要な事なのか?

と始めは思いました。

その年は、ヨーロッパ、アメリカなど様々な場所から

集った友人達も交えて、庭にテーブルを出して皆で祝い

ました。

 

この体験が強烈なインパクトを私の中に植え付けました。

良い意味でパンチくらったと言う感じでした。

忘れていた懐かしい天の故郷の楽しい美しい天的和の団らん

神の定めの時に、神の呼び出しに皆で応答する時に

特別な出会いをしようと神が言われた真実が

そこにちゃんとあったと言う事を体験しました。

自分に何が欠けて、失われていたのかはっきり分りました。

友人がどうして私達に”シャバット”を実体験させようと

していたのかも、納得出来ました。

 

シャバットは福音の一番の中核なのです。

神のされた完了の業から人は生きる様に造られている事、

神のデザインした定めの時の中を生きる事を

シャバットを通してずっと体験学習して行くからです。

 

6日の間と言う限られた日の間に、神から任された自分の

手の業を行なう。神の意図通りに、トラーに書かれた通りの

生き様、アプローチで、ビジネスをし、家庭生活をし、

学生生活をし、日常生活をし、子育てをし、何をするにも、

神の子である生き方をどの場面で生きる、神の似姿の人を

どう実際生きて行くのかを毎日の中で再学習して行く。

 

6日の間を、第7日目に止まる事を常に意識してプランする。

全部シャバットを中心に考えて行く生活に切り替わって

いる事に気がつくのです。

そうするとどうなるかと言うと、常に常に神の言葉を

思いめぐらす事に意識が繋がって居る状態に入って居る

事に気がつくのです。絶えず祈れとは、神の中で、神の前で

神の言葉、神の言われる事に耳を傾け自分の生き方、

思索の全てを照らし合せる作業だからです。祈り=

テフィラーとはヘブライ語でその様な意味なのです。

 

これは、大きく広げて、人生にも繋がるのです。

それぞれの人生の季節の中で、その6日の間で今しなければ

ならない大事な事に集中する。優先順位を決める。

そして、来るべき再び来られる救い主を待望する、迎える

準備にも繋がっているのです。シャバットを歓迎するとは

まさにそれだと分って来ます。油=神のトラーを内側に

実際に持って、生きる5人の乙女の様に。

 

まだ日が残されている間に、今日と言う日の間に

ナファーシュに入りなさいと言われている通り、

神の造られた人間のデザインを生きる体験に入るには、

神が与えられた限られた時間があるのです。

その時がもうなくなって、神から託されたトーヴの

生き方を出来ないまま、人生が虚しく終らないために、

注意深く神の言葉の中で生きる事を再学習して行く。

 

それには、神が何を言われているのか、神の言葉を

本当の意味で知って行く必要がある事は言うまでも

無いことだと分って来ます。

神に語られている、言われている事の真意、意味が

分らなければ、生き方の中にどの様に神の言葉を

実際反映させて生きるか分らないからです。

又は自分ヴァージョンの勝手な神の言われることから

ズレた自己流の生き方の自己満足になって

しまうからです。

 

 

 

続く