祭りの第七日目 水を捧げる儀式 再現 ヨハネ7:37 ホシャナ ラバー | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

詩篇89:15−16
祭の日の喜びの声を知る民はさいわいです。
主よ、彼らはみ顔の光のなかを歩み
ひねもす、み名によって喜び、あなたの義をほめたたえます。
 
ショーファーの音を知る民はさいわいと書いてあります。
賛美、礼拝、集う、ショーファーの音、これらは全て
神のモアデイム、シャバットと祭りの日に関して繋がって
書かれています。集うと言う事は、”神の時”に神の民が
集うと言う意味だから。神の呼び出した記念日の出来事が
書かれています。
 
人々が神の記念日の訪れを告げ知らせる、そのショーファーの
音の意味を知るものはさいわいと書いてあります。
神の祭り、記念日は、福音そのもの、完了の業の全貌を
表しているものだからです。
 
一年の最後の祭り、そして一年で一番最大の祭り、
秋の仮庵の祭りの最後の最大の祝い日に、イエシュア御自分が
この儀式で表されている”水”=生ける水、内側から湧き出す
尽きない源泉=内側に住まわれる創造主である神=神の実体で
ある事を宣言されました。
これが仮庵の祭りの第七日目の出来事なのです。
今年は、29日の日没か30日の日没まで。
そして、30日の日没から第8日目の聖会がスタートし、
同時に日曜日ですが、この日はシャバットとなるのです。
 
イマニュエルとある通り、神は人の内側に始めから、どの時代
にも住まわれる方です。
人は始めから神の霊=息を吹き入れられて生きる存在となった
と、神の実体=霊=息を吹き入れなければ生きられない存在で
あると書かれています。
2000年以降初めて、人の内側に神の霊が宿ったと言う
人間の作り出した神学は、トラー、預言書に書かれている
イマニュエルの神とは異なり神像です。
 
古代でも、神と深い関係に在った人達。神の実体の源泉に
繋がれているのか居ないのか、スイッチオフかオン状態か、
個人個人生ける神との”関係”により様々な状態であるのです。
現代でも同じでしょう。生ける水が怒濤の様に湧き出て来る
実体を生きて居るのか居ないのか。神との関係が希薄で、
色々やっても遠い遠い遠くの存在に感じる。
でも実は、信じる人は、人は神の中にいて、神も人の中に
居ると言う事を知っているはずなのです。
 
エルサレムの”ヨッド フェイ ヴァヴ ヘイ”=在りてある
過去、現在、未来全く変わらない同じ業をされ続ける方で
ある称号=名のイスラエルの神が”自分である”と宣言された
のです。人が神とどの様な関わりをして、関係を耕し、
育み、ガードするかでその状態は違う事は誰でも分る通り
だと思います。
 
このイエシュアの内角に直球を投げ込む様な爆弾宣言を
神殿に集う”水を注ぐ儀式の時”に聞いて、
どんなショッキングな反応とどよめきがあった事でしょう。
 
しかも、この様な仮庵の祭りのクライマックス、最大の喜び
を祝う日の特別な”水を神殿に持ち運び捧げる儀式”の時に
この宣言をされた事実を繋げて考えて行くと、その時の状況、
受け取る人々の状態が様々であったはずです。
様々な反応があったはずです。イエシュアが救い主だと
気がついた人。そうでは無い人。
イエシュアの発言=イスラエルの神の呼び出し日=祭り
記念日の一番重要な日の出来事が記録されています。
 
一年に渡る、シャバットを通して、春の過ぎ越から始まり、
種無しパン、初穂を捧げ、7週の穂を数える週を経て
シャブオートの祭り。
そして、秋のヨムテルア、ヨム キプルそして仮庵の祭りを、
イエシュア昇天以降もずっと使徒、パウロ、そして、
イエシュア信者達も、全く変わらずに祝い続けていた事実に
目を留めて、人の言い伝えや西洋人の神学に照らし合せず、
聖書だけに照らし合せて事実確認をすれば、永遠不変の神の
記念日が書いてある通りに、今も永遠不変である事実に
気がつくはずです。
 
聖書には、神のモアデイム以外の新しい記念日などが
歴史の途中で出現した事も、そしてそれを祝っていた事なども
一切書かれていません。又は、新しい記念日が出現して
今までの祭りは終ったなどと、どこにも書いてない。
レビ記23章以外のイスラエルの神のモアデイム=
アポインテッド タイム=呼び出し日、記念日は実際には
神の中には存在し無いからです。
 
神殿の中で行なわれる様々な儀式は、神殿崩壊後はする事が
出来ないから今現在はしない。でも再び主が来られたら、
同じ儀式が神の家で行なわれるのです。
今現在は神殿が無いと言う事情ゆえに、神殿に関わる儀式が
無いだけで、神の記念日は今も全く変わらなく祝う事が
神の永遠の仰せでもあるのです。
そして再び主が地上に戻られたら、神の記念日を祝う。
再臨後、最初に祝われる祭りが仮庵である事がはっきりと
預言されています。ゼカリヤ14章。
しかも、全世界がこの祭りを祝うために、エルサレムに来る
様になると書かれている、神の言葉を否定しなければ、
神の言葉は、神が言われる通りに永遠不変変化無い事が
クリアーに明らかに記されている事に気がつく事が出来ます。
 
下の写真は、エルサレムで第2神殿が存在している時に
実際に行なわれていた儀式を再上演=リエンアクトメントして
いる画像です。もちろん神殿の中では出来ませんが。
 
角笛の音を知る民は幸い。

シロアムの池から水を汲み出すベース。

 

 

 

 

 

シロアムの池から水を汲み出す。

 

神殿に向かって行列で行進。

 

水とワインを同時に注ぐ。

 

神殿の中も、外の中庭もこの灯りで、エルサレム中が
煌々と照り輝いたと記録されています。