神に取って重大な意味を持つ神の記念日 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

レビ記23章に記されている、神の御口から直接モーセに

告げられた神の記念日=祭りは、永遠に定められた不変の

神御自身が創造された記念日です。

 

この記念日は、神の子らである人々の与えられたものなのです。

神の子らとは誰でしょう?イスラエルと同等に神の言葉、

招きに応答し、イスラエルの神を花婿とし、

婚姻契約の中に加わる事に同意した人々の事です。

 

神の記念日を生きる事は、”婚姻契約”の中にある”印”でも

あるのです。イスラエルの神の家の者となった印なのです。

 

これを、世間の伝統的な言い伝えでは、レビ記23章の

神の祭りは全て今は終ったものであると教えられてしまって

居ますが、それは人間の只の”意見”なのです。

ローマ皇帝が終らせても、神は永遠不変と神の口から直接

伝え、そして文字で書かれたのです。

神自ら、10の言葉の中に記された記念日なのです。

 

誰の教えを信じて、何を世の中に発表、発言していますか?と

言う問いを問われているのです。言葉で、そして行動で

何を信じて表し生きていますか?と言う問いがあるのです。

 

イスラエルの神は、永遠不変の神の記念日と今も変わらずに

語られています。

 

その記念日の特長を見てみます。

秋の祭りは、第七の月の第一日目に始まります。

角笛を吹き鳴らす日から、始まりますが、

神の記念日の大元は何でしょう?

 

1番目の神の祭り、記念日は、”第七日目”のシャバットです。

そして、春の記念日は、”ペサフ”=過ぎ越の祭り。

第一の月の第14日目です。七の倍数の、14日です。

 

創造から購いまで、同じ数字が貫かれています。

ペサフ=過ぎ越は、”自由” Freedomを思い出す記念日。

奴隷であった身分から、神の子とされた事を思い出す日。

イエシュア御自身を表すものでもあります。

過ぎ越の屠られた子羊は、イエシュアです。

 

ペサフの次に来るものが、新しくされた人を強調している

ものが、”種無しパン”を食べる7日間で表されているのです。

その中には、”初穂を祝う日”詰まり新しい命へ甦った事を

祝う日が在るのです。人が途中から作り出した神の記念日では

なく、神は始めからどこも欠けなく、ワンセット、シャローム

の神の記念日=福音=完了の業の全貌を神の記念日の中に

盛り込んでいるのです。

 

過ぎ越から、7週後、7回のシャバットを生きて、歩いて、

過ごした49日目。過ぎ越から数えて50日であるので、

ギリシャ語ではペンテコステと言いますが、

ヘブライ語、元の言葉は、シャヴオート=”週”<複数>

購われて、完了の業で新しくされた人の事実を生きる、

7週を過ごした後に来る祭りです。

 

神の記念日は全て、生きて”神の購い、救い、新しくされた

人” 完了の業の全貌を、体験的に経験出来る様に

デザインされている、記念日を生きて、神と特別な出会いを

する、栄光から栄光へ変貌していく様に作られているのです。

 

その時に、シナイ山で、初めて神御自身が、文字で書かれた

10の言葉の題目として、”婚姻契約”をモーセを通して、

イスラエルと異邦人達に渡された。

受け取った代表者は、イスラエルです。

2000年以降、イエシュア昇天以降別の契約など出現

していなのです。同じ契約を、同じ代表者が保持し、

同じ契約に異邦人達も加えられて行くというのが聖書、

神の言葉に基づき真実なのです。

 

そして、出エジプトした人々は、イスラエルのみではなく、

神の言葉に同じく応答し、奴隷脱出した異邦人も居るのです。

 

そして、その後、第七の月である、秋に来る祭りを迎える

のです。第七の月の第一日目に、ショファーを吹き鳴らす日が

きます。このショファーは、角笛=牡羊の角です。

これは、アブラハムがイサクを捧げた箇所と繋がっている

ものでもあります。

 

このショファーは、神の声を表しているものでもあります。

神が人に注意を促しています。

その10日後に大贖罪日、ヨム キプールが来ます。

その後5日後に、仮庵の祭りの7日間、プラス1日が

あるのです。

 

この数字には全部意味が在ります。

そして、注意してみれば分りますが、イスラエルの神の子らは

世界の他の人達〜異教の神々に仕える人達とは、全く違った、

際立って目立つ、”暦” ”時”そして違う内容の祭りを祝う様に

神がデザインされたのです。

世界で皆が祝う祝いではない、独特の祝い日。

 

2000年以降にも、神の記念日は変わらないのです。

変わったとする、もうイエシュアを信じる人には

レビ記23章の祭りは、一切無関係ですと言う教えは、

イスラエルの神と自分は無関係ですと言う宣言と

全く同じなのです。

何故なら、神の記念日は、イスラエルの神の子らの印

婚姻契約の中に今も加えられている印だからです。

婚姻届け破棄、結婚指輪を捨て、婚家の慣しを捨てて、

自分独自の、別の家の主人が作ったものを生きる選択をし、

思うままに神が言う事とは違う事を、婚家で振る舞う嫁は

その嫁ぎ先の嫁として相応しくない行動、生き方を

していると見なされてしまうのです。

 

誰の教えを、信じて、唱えていますか?神の言葉を信じて

いるのか、それとも人の作った教えを信じているのでしょうか?

 

世間の伝統の教えを神の真実だと思い込んでいませんか?

長年に渡り、歴史上人々の中に浸透したものが真実であると

思うのは当然ですが、それは、神の言葉に照らし合せれば

真実ではない事がふんだんにあります。進化論と同じ様に。

その様な問いを神の前に問うてみれば、神の言葉に照らし合せ

自分で確認し続ければ、必ず、神の言葉から、揺るがない根拠、

真実をダイレクトに今日語りかけて下さいます。

いや、目から鱗がはがれて、書いてある事をそのまま読み取り

信じる事が出来る様になると言う事です。

神の言葉の中にない根拠、祝い日は、神に属するものでは

無いからです。当然と言えば当然。神が歴史の途中で記念日

終わり、新しいものに変化しましたと語られていないどころか、

神の記念日は、永遠に祝われるものと言われているのですから。

 

神の時の中を、個人で、又コミュニテイとして歩む。

世界とは全く違う、独特な祝い日、イスラエルの神の暦。

 

そして神の記念日の大元、基本、土台はシャバットなのです。

7日目に、神が全ての業を完了して、止まった、だから人も

第七日目に止まりなさいと神が言われたのです。

そのように、人は生きる様に神がデザインされたからです。

 

 

続く