2:20 もしあなたがたが、キリストと共に死んで世の
もろもろの霊力から離れたのなら、なぜ、なおこの世に
生きているもののように、
キリストと共に死んだ=以前の肉の自分はもう
死んだとはっきり書いてあります。
死んだらどうなりますか?完全に消える、消え失せる。
以前の自分は、キリストと共に死んだと書いてある。
神の言葉の事実を疑わずに、一日中、365日ずっと考え
続ければ見えて来ます。
この様な、神のなされた完了の業の事実から目を反らさず、
神の言葉を否定しないで、自分の感覚、感情、悟りに
頼らず、しっかり真理を握りしめ続け、信じ続ける。
サタンの霊力やこの世の虚しい教え、哲学から離れて、
イエシュアの中=神の言葉の真実の中にだけ留まる。
新しい人とされて生まれたのならば、なぜなおこの世に
生きて居る人達の様に、
2:21 「さわるな、味わうな、触れるな」などという規定に
縛られているのか。
詰まり、なぜ神の子として新しくされたのに、人間の幼稚な
この世の教えに縛られ続ける事に甘んじているのか?
新しく生まれた=神の子の似姿が取戻されている現実を
受け取った人達は、この世の教え、人間の宗教、哲学の教え
=ドグマに縛られ続けているのか?と書いてあるのです。
出エジプト後の、イスラエルと異邦人達が、ピハヒロテと、
バールツフォンに面した場所まで、逆戻りし、
宿営した事にも繋がります。
脱奴隷=脱死んだ自分を得たのに、又人間の教えの
奴隷に、引き戻されてしまうのでしょうか?
と言う警告です。
ピハヒロテ=自由への入り口から約束の地に入るのか、
それとも、バールツフォン=隠されたこの世の神々、
人の教えの奴隷に逆戻りするのか?の選択です。
ドグマ=神のトラーの事を話しているのではない事が、
神の言葉の事実だけに立つ場合には、100%クリアーに
読み取れる箇所です。
2:22 これらは皆、使えば尽きてしまうもの、人間の規定や
教によっているものである。
神のトラーは=人間の規定や教えではない事がクリアーに
書かれています。
人間のドグマ=教えは、神の前に全く意味のない無価値な
ものである。
2:23 これらのことは、ひとりよがりの礼拝とわざとらしい
謙そんと、からだの苦行とをともなうので、知恵のあるし
わざらしく見えるが、実は、ほしいままな肉欲を防ぐのに、
なんの役にも立つものではない。
独りよがりの礼拝。体の苦行=当時の異端の宗教の
教えです。
苦行=人間の作り出した教えの中にもたくさんの苦行
秘められた苦行がたくさんあります。ノルマをこなすが
如くの苦行。
知恵あるし、わざとらしく見えるが、肉欲を防ぐのに何の
役にたつものではない~ 。
知恵在る様に思える、大げさに見えるから際立って
みえるけど、実は人間の教えだから、中身は空、虚しい
、意味が無いと書いてある。
人の苦行や努力は、神の完了の業がなされた様な、
完全なものではない。ハリボテの家と同じで、
いずれ吹き飛ぶ。
神の完了の業を受け取り、生きる=聖書的生き方だけが
人を本来の姿、命を養い生かすものである。
神の提示された近づき方ではない
人の編み出した宗教の世界。
続く