人の教えは虚しく空 コロサイ2:21−22 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

2:20 もしあなたがたが、キリストと共に死んで世の

もろもろの霊力から離れたのなら、なぜ、なおこの世に

生きているもののように、

 

キリストと共に死んだ=以前の肉の自分はもう

死んだとはっきり書いてあります。

死んだらどうなりますか?完全に消える、消え失せる。

以前の自分は、キリストと共に死んだと書いてある。

神の言葉の事実を疑わずに、一日中、365日ずっと考え

続ければ見えて来ます。

この様な、神のなされた完了の業の事実から目を反らさず、

神の言葉を否定しないで、自分の感覚、感情、悟りに

頼らず、しっかり真理を握りしめ続け、信じ続ける。

 

サタンの霊力やこの世の虚しい教え、哲学から離れて、

イエシュアの中=神の言葉の真実の中にだけ留まる。

新しい人とされて生まれたのならば、なぜなおこの世に

生きて居る人達の様に、

 

 2:21 「さわるな、味わうな、触れるな」などという規定に

縛られているのか。

 

詰まり、なぜ神の子として新しくされたのに、人間の幼稚な

この世の教えに縛られ続ける事に甘んじているのか?

新しく生まれた=神の子の似姿が取戻されている現実を

受け取った人達は、この世の教え、人間の宗教、哲学の教え

=ドグマに縛られ続けているのか?と書いてあるのです。

 

出エジプト後の、イスラエルと異邦人達が、ピハヒロテと、

バールツフォンに面した場所まで、逆戻りし、

宿営した事にも繋がります。

 

脱奴隷=脱死んだ自分を得たのに、又人間の教えの

奴隷に、引き戻されてしまうのでしょうか?

と言う警告です。

ピハヒロテ=自由への入り口から約束の地に入るのか、

それとも、バールツフォン=隠されたこの世の神々、

人の教えの奴隷に逆戻りするのか?の選択です。

 

ドグマ=神のトラーの事を話しているのではない事が、

神の言葉の事実だけに立つ場合には、100%クリアーに

読み取れる箇所です。

 

2:22 これらは皆、使えば尽きてしまうもの、人間の規定や

教によっているものである。

 

神のトラーは=人間の規定や教えではない事がクリアーに

書かれています。

人間のドグマ=教えは、神の前に全く意味のない無価値な

ものである。

 

2:23 これらのことは、ひとりよがりの礼拝とわざとらしい

謙そんと、からだの苦行とをともなうので、知恵のあるし

わざらしく見えるが、実は、ほしいままな肉欲を防ぐのに、

なんの役にも立つものではない。

 

独りよがりの礼拝。体の苦行=当時の異端の宗教の

教えです。

苦行=人間の作り出した教えの中にもたくさんの苦行

秘められた苦行がたくさんあります。ノルマをこなすが

如くの苦行。

知恵あるし、わざとらしく見えるが、肉欲を防ぐのに何の

役にたつものではない~ 。

知恵在る様に思える、大げさに見えるから際立って

みえるけど、実は人間の教えだから、中身は空、虚しい

、意味が無いと書いてある。

人の苦行や努力は、神の完了の業がなされた様な、

完全なものではない。ハリボテの家と同じで、

いずれ吹き飛ぶ。

 

神の完了の業を受け取り、生きる=聖書的生き方だけが

人を本来の姿、命を養い生かすものである。

 

神の提示された近づき方ではない

人の編み出した宗教の世界。

 

続く