古今東西、過去も現代も、人間が抱える根深い問題は
同じです。同じ人間だから。同じ一つの親から生まれでた
同じ人間。人種なんて関係ないのです。
自分が誰か分らない、それ故どう生きて良いか分らない、
それゆえ自分を、互いを破壊しあってしまうと言う
抜け出れないサイクル。傷つき痛む。修復の仕方が分らない
どの様にしたら癒されるのか分らない。
神のインストラクション無しの世界です。
そんな難しく考えなくても分ります。
神の定義する、言われる人とは何か、あなたは、本当の自分に
既に出会っていますか?と言う質問があるのです。
人の語る”人間とは”ではない、神が言われるあなたとは誰か?
本当のあなたに出会って、本当の自分を生きていますか?と
言う神からの質問。
神は人をどの様な構造、エッセンスで造られたのか?
神の言葉に基づき、本当の自分が誰か分らない場合、
自分の想像の中の、自分とは、人間とはを基準に
生きてしまうのです。
そして、喜びが失われる時はどんな状態か。
自分を受け入れられない、自分が分らない、自分が嫌い。
神の言われている事が分らないから、近く感じられない。
お互いが向合う関係から逸れる時です。
仲間同士、誰かをのけ者にするとか、無視するとか
口も聞かない、疎遠と言う状態は、誰かにわだかまりを
持っている、それは、幸せを生み出す状態なのか?それとも
イライラ、不満、不安、疑いを生み出すのか?誰でも
経験上はっきり体験済みです。悲しいです。
どんな理由つけようとも、向き合う、親しい、近しい関係以外
は、喜びが生まれ出ないからです。
人は神の只中に造られ、神の中に存在する様に造られたから。
エデン=喜び=神の只中だけに存在する様に、人は造られた
それが、人の本来の存在、機能通りに生きる事が出来る状態、
環境だからです。エデン=喜び=神の中に生きる事が
本来の人の姿、神の造られたデザイン、環境。
人を誤解し、又は人に誤解されて、仲違いで、本当に幸せ
なんて事言う人は、誰一人居ないのです。相手の事なんて
自分に取ってどうでもいい人だから、だからそんなの平気さ〜
と思うけれど、それは神のデザインではないから、
はったりかましても、絶対に正直痛い、悲しい、
寂しい、元通りになりたいとどこかで求める。
やってみれば、誰でも分ります。
靴の中に小さい石ころが入っている様な、異物感違和感、
取り出さずにはいられない状態になるのです。それが神の
造られた人のデザインに反した状態だからです。
だから、気がつく限り、全ての人とシャローム=欠けの無い
状態を保ちなさいと言われているのです。
自分の本当のエッセンスは、神の似姿の人だから、
そのデザインから外れたら、痛い、悲しい、元に戻りたいと
内側の深い所から切望するのです。ホメオスタシス。
元のデザインに戻ろうと、神のエッセンスが要求する。
それが、神のエッセンスの本当の自分の実態だから。
だから、神が人種により別の教えを与えている、
別の契約を与えたという教えが、神のデザインから
全くズレている事が分るはずです。そんな事、聖書にも
書かれても無いからです。聖書をきちんと細かく
確認しないまま、教えられた人間の解説する聖書解釈を取り、
神の言葉を誤解しているだけです。聖書には、人造神学とは
逆が書かれている。
そして、神が二つの福音は無いと言われた、二つの契約を
神が与えてない事実が、きちんと書かれているのです。
最後は二つのステイック=全人類がぴったりくっつくと
書かれています。
いや、別の福音に対して、二つの福音が存在する事に対しての
警告がちゃんと書いてあります。
創造の最初に書かれています。
”はじめに”=ベルシートと言う言葉で、書かれています。
永遠の中から神が語られている言葉。
神が造られた創造の世界、神のデザインされた人間は誰かを、
わたし=創造主自身に語らせて下さい、さあ聞いてと。
あなたは誰かを、わたしだけが伝える事が出来るから、
わたしの言葉だけに耳を傾けてと、神が神の言葉の
冒頭からそう言われたのです。
そして、ひとつひとつの神の言葉=ヘブライ語で書かれた
トラーを、太古から、一つも合い違えずに、瞳を守るが如くに、
保存して来られたのは、神の業なのです。
これが、無ければ、途中で人の手が加えられ、神の言葉は
破壊されれば、神の意図通りを人に伝える機能を
しなくなるのです。人間の造った製品でも、マニュアルに
反して作動すれば、機能しないのと同じ事です。
誰も、神の言葉を破壊しないために。
それは、神の言葉を破壊されたら人が破壊されてしまうので、
神は神の言葉を、一点一画変える事を許さずに、
保存して来られた事実があるのです。これこそまさに神業。
シャバットは、神の造られた記念日。この日は神の目からは
最も重要な日です。それを捨てる事は、死を意味するほど
重要な事だと書かれています。ショッキングですが、
神がそう言うなら、そうなのです。死=神との隔たりの場所に
飛び出る事でもあるのです。
この日に、人間の造られた基本に戻る事、
起動修を皆でする日です。
そして、神が止まられたから、神が言われた通り、
された通りをすると言う基本に戻る。
雲の柱と、火の柱の教えと同じです。
イエシュアの教えともピッタリマッチします。
父が止まったら、止まる。父が動いたら動く。
父が語ったら語り、黙ったら黙る。預言者の基本でもある。
神の言われた通りだけを、再現する。
お互いが向合う=喜びが湧き出る状態にちゃんと修復する。
隔たりが深くなりすぎる前に、1週間のうちにきちんと
修復してと。いや、日が沈む前に修復する事繰り返して。
神の家の子らの印を世界の中で、どの国に住んでいても、
生きて表す人達。
地の塩=契約を保存する塩の役割。世の光。
自分が誰か、神が誰か分らないで迷い出ている大家族の人達へ、
灯台の役割をする光の存在。
神の栄光、実態を、透明状態で、神の意図ピッタリに
映し出す役割を、先きに与えられた人達。
神の呼び出し日、記念日に神のデザイン通りを
生きて、祝う。
祝福を全存在で受け止めて、喜び溢れるために。
シャバット シャローム
ゆっくり、お互いだけに集中して。
お互いがお互いに取って、最高の贈りもの。
一緒に過ごせる時間を大事に、楽しく喜び味わう。
神が言われた時に、神の言われた通りの時間を
聖別=取り分けて、神の目的通りをする時に
神がその中に居る、現れ出ると約束されたから。