マタイ5:17
わたしがトラーや預言者を廃するためにきた、
と思ってはならない。廃するためではなく、
成就するためにきたのである。
<廃するためではないと書いてある。
廃する、破棄する=当時のラビ用語=トラーを間違った
捉え方をして解釈し生きる。
成就=トラーを神の言葉の意図通りに理解して、
その通りを生きる。神の言葉通り、神のトラーの中身を
生きて教えるためにイエシュアは地上に来たと
宣言しているのです。>
5:18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、トラーの
一点、一画もすたることはなく、ことごとく
全うされるのである。
<細かい事は分らなくても、この箇所読んだだけで、
イエシュアはトラーを否定するなどと、無理な読み込み
解釈する方が無理な事が書いてあるのは明らかです。>
5:19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも
破り、またそうするように人に教えたりする者は、
天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、
これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と
呼ばれるであろう。
<世の中の長い年月伝統として根付いている教え=西洋神学
を根拠として語られている教えは、トラーを捨てろ、
古い教え=律法になど戻るなと教えているではないの
でしょうか?
イエシュアが決してするなかれと言う事を全面的サポートし、
宣言し続け、やっている。誰の思惑?と考えたら見えて
来ます。神の言葉を否定したい存在、トラーを捨てたい、
消し去りたい力がエデンの園からずっと存在している。>
ルカ16:29 アブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者
<トラー、預言書>とがある。それに聞くがよかろう』。
16:30 金持が言った、『いえいえ、父アブラハムよ、
もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれ
ましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。
16:31 アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者
とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者が
あっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。
詩篇 119:151 しかし主よ、あなたは近くいらせられます。
あなたのもろもろの戒めはまことです。
<もろもろ=コル=全て 戒め=ミツヴォテカ=トラーの
中に書かれている神の言葉の要素、構成=ミツボット>
119:152 わたしは早くから<永遠の中から、いにしえから>
2:16だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、
あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも
批評されてはならない。
ルカの書いた記録にある、ペテロが幻を見た箇所、
使徒10章に連なり、パウロのコロサイの手紙の様に、既に、
読者には、神のトラーが終ったのだ〜とされてしまっている
箇所です。
使徒10は、以前にも書いた事がある箇所ですが、又追記
したい箇所でもあります。トラーは不変であるからです。
食べ物規定も変わらない。全ての汚物、毒、ゴミなんでも
処理する陸の掃除機、海、水中の掃除機として造られた
動物は、創造の始めから変わらないからです。
神が人間の食べ物として設定したものだけが、人間の食べ物。
人間の食べ物として害毒のあるものは、始めから害毒がある。
ゆえに、それらは”人の食べ物ではない”と神が言われた。
神の創造物は、進化、変化しないからです。
とてもシンプルです。神の言われる事だけを100%
然り絶対と認めれば良いだけ。神が駄目だよと言ったら、
危険だから駄目なのだと言われているのだと、細かい詳細は
分らなくても、まず素直に信じれば良いだけ。子供の様に、
親の言う事を素直に受け取る。
人間の食べものでは無い動物をリサーチすると、
驚愕の事実が出て来ます。これはまた別の時に書きます。
そして、神の宮であると宣言するなら、神の宮の中に
持ち込めない相応しく無い動物は、自分の中にも
取込めない、持ち込めないと分る。
神の宮の定義はトラーの中にその詳細が書かれています。
トラー以外に神の宮の定義などどこにも書かれて無いのです。
神の言われる事に異議ありと反抗したい願望、人の態度や
意識に問題があるのだと気がつけば良いのです。
なぜ神の言葉を受け取れない気持ちが自分の中にあるのか?
と問うてみる。又は神の言葉が終ったと信じているから
自分の感覚にそぐわない、いやな箇所は削除すれば
良いと考える。
自分の判断=自分が納得出来る事は良い、自分に馴染みない
違和感ある、だからしっくり来ない事は拒絶したいと考える
神の言葉を絶対としなければ、否定すれば、全て100%自分
が中心の発想が、どこかに潜んいる。
神の創造のデザインを、人がとやかく判定できる事では
無いからです。
陶器師と、陶器の関係を忘れるなかれと書いてあります。
コロサイ2章16も、パウロが、食べ物や、神の記念日の
セレモニーに関しては、イエシュア昇天以降は、全てその
個人個人、1人1人の意見、判断、感覚、チョイスでどの
様にしても構わないと、神が言って居るのだと言う誤解を
前提に解説され続けている箇所でもあります。
レストランのランチコースで、Aコース Bコース Cコース
自分の好きなものを選ぶ程度の軽い意識で、神の言葉を
有効、終った、古い教え、律法、無効などと仕分ける。
感覚のズレ、思考のズレ、トラー=的をずらしている。
神の御口から出た言葉。創造主であるお方の直接の
言葉をどう認識し、捉えているかの基本的姿勢、
意識、思考回路が重要問題なのです。
個人の好み、判断で神の言葉を仕分けて良いのだ、
神の言葉を選ぶか、退けるか、削除するか、終ったものと
するのか、自分の考えで神の言葉の信憑性、永遠性、
暫定性だと認定し選ぶのか、もう全く自由、
人間の判断に任されているのだと言う的外れな
誤解をされている箇所です。
続く