週に一度の”在りて在るお方”の記念日は、第七日目です。
これは、神の言葉、福音の大中心でもあるのです。
神の成し遂げた”完了の業”のみから、全て生きると言う
人の生ざまの真実の原点だからです。
シャバット、イコール イエシュアそのものを表している
実態でもあるのです。シャバットは、人の子のために
造られた。その日は、歴史の途中で変更にならない
永遠不変に同じ第七日目です。
世界の全ては神の言葉で造られ、神の言葉で機能し、
神の言葉で繋がれています。
その事実は明快かつ至極シンプル。
でも奥が深く、永遠に探求すべき真理が詰まっています。
今年は5月19日にシャヴオートを迎えました。
この日は、シナイ山にて初めて”文字”で書かれた神の言葉、
契約書=ブリットが、モーセ=イスラエルが全人類の代表
として、神から与えられ受け取られた日です。
文字で書かれた”ブリット”をモーセが受け取ったシナイ山の
シャヴオートの事実が無ければ、今日”聖書”なるものが
私達の手元には無いのです。
イスラエルの神と異教の神々<サタンですが>の違いは
様々にありますが、大きな点では、”契約”の保証の中に関係を
結ぶ約束をして下さり、文字で書かれた詳細を人々に
与えている事、そして、イスラエルの神は、”イスラエルの神
のインストラクション”=トラーに書かれた通りにして
下さいとこの契約の命の関係に参加する人達に最初から、
語っている点です。
あなた=創造主の提示した内容に、同意したく無いです、
参加したくありません、勝手にやらせて下さいと言うのも、
それは自由選択なのです。
でも、その場合は、疎遠な関係、内側の外側に在る隔たりの
関係に生きる道を選択する事なのです。
究極の親しさ=神の言われる通り=ハ デレフ=道=
イエシュア=トラーの中に書かれた通りでないと、
父の元に来られないと書いてある通りだからです。
究極の親しさ=ナファーシュ=安息に入れない。
エレミヤ31章にある通り、最終的には誰も”主を知ろう”
と言わなくても良い日が来るのです。
それは、トラーに書き表された人間の集大成の姿=
イエシュアが再び地上で全世界を統治する日が来るから
と書かれているからです。
そして、神に造られた人々は、神のデザインした人の姿=
トラーの中身を全員が生きるからです。
その時が来たら、神の記念日=レビ記23章を全世界が祝う様
になると、はっきり預言書に記されて居ます。
そうすると、人類の始まりから、イエシュアが昇天される
までと、そして、イエシュアが再び戻られた後は、
レビ記23章の神の記念日を祝うと言う人間の教え。
極めつけは、イエシュアが昇天された後から、再び戻られる
今の時代だけ、トラーは削除された自由自在な人間アレンジ
可能な教えを生きる時代なのだと言う仮説、人造神学は
聖書とは全く異なるものである事は、聖書に戻れば
書いてあるので誰で読み取れますし、分ります。
それに、どう考えても非ロジカル、非聖書的な考えである
事は、クリアーです。
それは、人間が作り出した教えを元にして、神の言葉を
考えるからです。
神の言葉を一点一画でも曲げたり、削除したり、付け足したり、
変形アレンジしてしまうから、たがが外れるのです。
だから世界には、44000以上の教派教団が在るのでしょう。
シャバットは、世界の大家族、個人で言えば、
自分の置かれた場所にある、家族の修復の日です。
いや、基本は自分の修復された姿に戻ると言う事が大前提。
余り遠くの果てしない知らない世界の事を考えても、
分らないと思いますが、今自分の生きる場所、守備の場所を、
神に取戻された本当の自分を知り、きちんと生きる事が、
大きな意味で、果は世界の果に影響が行くと考えたら
ピンと来ます。1人の人の違反=トラーから外れた生き方が
世界にこの様に影響を与えたのですから。逆も然りなのです。
今、今日を与えられた命を喜びの中にフルに生きる事が
何であるのか、まず自分がちゃんと知る事。知らなければなら
ないと言う自覚があると言うのは大事な最初の一歩です。
何を神が言って居るのか、何を大事にして、何をガード
して生きるのか?まず、はっきり知る事。
そうしなければ、どうして生きて良いか分らないからです。
それには、自分が誰であるかの自己像をはっきり
知る事は必須なのです。
ここがぼやけているから、ぐらぐら揺れ動いてしまう。
神の言葉を疑うからグラグラあちらにこちらに
揺れ動いて行く。
アダムとエバは神の言葉を疑い自分達が神の似姿に造られた
事実を疑ったのでこんな外側の世界に飛び出したのです。
神の言葉からズレた声に聞入り始めたら、
不安ゾーン=死の中に入ってしまう事はクリアーに分ります。
蛇はうまい具合に騙して来るのです。
疑い、不安は神に属するものでは無い事が書かれています。
神は闇ではなく、光。
不安ではなく、安息、平安=シャローム=何も欠けが無い
状態=生ける水であるイエシュアの中に私達を
取戻して下さった事実をちゃんと述べているからです。
コンスタントな生きる訓練は、神の言葉を捕らえて、
トーヴの地=神の言う通りの言葉を聞く事。シンプル。
誰でも出来る。申命記30:12−15にある通り。難しく無い。
それを、ずっと噛み締める、噛み砕く。
そして、神の言葉の事実からはみ出さない。
この繰り返しを毎秒して生きると言う事。
単純だけど、本当に怠る事が出来るものです。
神の言葉、言われる事ではなく、世の中の
ニュースや、自分や他者の考え、世界の価値観や評価を
食べ始め、次の瞬間には不安になれる。闇の世界に飛び込み
思い煩う、焦燥感、不安感に取り囲まれてしまう。
これは一瞬にしてその境界線を飛び越える事が出来る
事は誰でも経験しているのです。
どちらの目から全てを見ているのか?
誰の言葉に耳を傾けているのか?
それは、エデンの園の始めの出来事、
神の言葉を否定したあのアダムとエバの行動に
目を向け続けたらはっきり分る事です。
シャバットは、神の完了の業で私達は、既に天の現実
神の中=元居た場所=喜び=エデンの中に感じないけど
修復されている事実を確認する日でもあるのです。
そして、何より、自分の置かれ場所で、修復された
本当の自分を知り、生きる体験、訓練を積み重ねて行く事。
人間が、誰が、何と言っても、主と共に葬られて死んだ自分
は、主が葬って下さったと神が言って下さった現実、事実を
常に思い出す。今日それを生きれるか生きれないかなんて
人の行動主体の事を元に神は話していないのです。
神のされた業にだけ目を留めよ、その事実から目をそらすな
と言う忠告です。
様々な世の雑音、声、人の言葉ではなく、
神の言葉に基づいて、神の声をこうして仕分けて
聞き分ける訓練の連続。
神の与えた本当の自分の自己像で生きる事を
スタートする。それが本物の人生をスタートする
鍵だから。
シャバットが来る準備。夕暮れ前にキャンドルを灯す。
光=イエシュアの記念日を迎える思考回路の準備。
今日まで守り支えて下さっているお方に祝福あれ。
パン屋さんでは、イスラエルにあるハーラーが売ってないので、
それならもう自分で造ろうと言う事で、毎週試行錯誤実験を
重ねています。なかなか楽しい。命を生み出す様な感覚です。
六編みのハーラー。シャバットのパン。
ついでに、ロールパンやら、小さい三つ編みハーラーも
造ってみました。今回は抜群に進歩。
フワフワ、チューイー、出来上がりもなかなか、自画自賛。
来週は初めて来るお客さんもいらっしゃるので、これなら
大丈夫そう。
この色に見とれてしまいます。世界が白一色とか
黒一色ではなく、様々な色で囲まれている
素晴らしい世界。目で見て、手で触れ、かぐわしい
香りを嗅いで、美しい音を聞く、そして美味しいものを
食べて味わう。全て喜び。神の造られた世界、エデン=
喜び=神御自身の素晴らしさを体験させてもらう為に、
人は造られたと書いてある。何てよいお方であるアバ父。
そして、創造物、人類全てで一つの神の造られた世界。
もうすぐ夕暮れ。準備中。
日が沈む。シャバット=神の永遠の記念日、
契りの中に関係を結んでいる事実を思い出す時。





