今年2018年のシャヴオートは、19日日没から21日日没まで。
この記念日は、過ぎ越から仮庵までの記念日と同じ記念日です。
西洋宗教では、終ったとするレビ記23章の記念日の一つです。
神の側では、永遠=オラーム 代々に渡り
代々ずっと祝うと神が言われている祭りです。
そして、神の記念日は、曜日に関わらず”シャバット”で
スタートし、シャバットで閉じると言う様に、
神がデザインしているのです。
今年は、18日に日没にシャバットを祝い、
19日の日没にも、シャバットとしてスタートし祝い、
そして21日の日没にシャバットとして閉じると言う
形なのです。
そして、その祭りは”オラーム”=永遠に祝われる記念日と
書かれています。
神の記念日が神にとっていかに重要なのか、その証拠に、
イエシュアが再び来られたすぐ後に、
”仮庵”の祭りが、世界中の人により祝われる事がはっきり
預言されています。ゼカリヤ14章
神が言われた通りをする。神を愛するとは、神の言われた
通りを実行し、生きる事なのです。
それがイスラエルの神の子らの生きる道です。
道=デレッフ=イエシュアとある通り。
神の記念日はイエシュアそのものなのです。
<神の言葉に賛同するのもしないのも、
100%自由意志です。>
出エジプトしてから、3ヶ月目の、シバンの月にシナイ山
まで導かれて来た群衆。
ここまで来てこの人々の中には、”これで良かったのだろうか”
と、疑いを持つ人も居たはずです。
エジプトでの苦役はあった。でも、家もあり、定収入も
あり、食べるのにも困らなかった。あのまま居れば、
死ぬまでなんとかなったのに、それを全部捨てて、
今は何も無い荒野だ〜、しかも今の時期は35度位にはなる
暑い日々。カラカラの地と何も無い場所。
これからどうなるの???と、疑う人も居たはず。
これからの40年の旅路は、まさにその二心を削ぐための
訓練の旅路だったからです。100%神に依存する。
100%神から供給される。
この世の法則、エデンの園で別の目が開かれ、
その目から眺める事を学習して、神の目から見る目が
閉じられていた、神の目から見る見方の目を見開いて
全てを見る訓練の旅路だったのです。
全ての事を、”神の目” 天の領域から見る事に切り替える訓練。
以前の自分、主と共に死んだ自分は死んだ。
まだ未来に見ない地上での”イエシュアの完了の業”は既に、
創造の第七日目で完了している。そして、それは、永遠の
中から存在している。
私達は2000年前の出来事を後ろに振返り見て、
それ以前の人々は、未来へ見ている、同じ実態なのです。
永遠から見るヘブライ思索は、ローマギリシャ思想の様に、
線上に物事を見ていないからです。永遠から見る。
新しい人にされた事実から生きる訓練の旅。
エレミヤ31:31
主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家と
ユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。
31:32 この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとって
エジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。
わたしは彼らの夫であったのだが、彼らはそのわたしの契約
を破ったと主は言われる。
”新しい契約”を立てる。
この新しいと言う言葉は、新種、別種と言う意味の
言葉ではないのです。
既存の物を立て直す、再構築、再修復すると言う意味の
新しいと訳されている言葉です。חֲדָשָׁ֖ה ハダッシャ。
シナイ山で与えられた同じ内容の契約を”再構築”
”再修復”する。と言う意味で書かれているのです。
もし、新しい別種の契約があるとするなら、二つの
矛盾が出て来ます。
1 神は御自分の言われた言葉を否定した、
又は嘘を言った事になる。
永遠不変と言われた。一つの福音と言われた。
2 新しい契約が出来たら、全てを書き直さないと
ならない。その様な契約書はこの世に存在しない。
イスラエルの神はその様な別の書を与えていない。
先祖達=出エジプトして来た人達、導き出した日に
立てた様なものではないと言うのは、
契約の内容の話ではない事は、31章の続きを
読めば分ります。
契約を結んだ初代の人達又はそれ以降のイスラエルは、
”わたしの契約”を破った、夫を裏切ったと書いてあるのです。
詰まり、エレミヤ2:9にある言葉は、法廷用語です。
婚姻契約で夫と結ばれているのに、裏切った、法廷に
出て、争うと言っているのです。
でも、新しく再更新された契約に参加する人の
状態が違うと言う事が書かれているのです。
これは未来での預言でもあるのです。
イエシュアが再び来られたら、新しい世界では、
同じ”トラー”=婚姻契約が憲法なのです。
トラー=イエシュアが憲法、世界を治める。
同じトラーを今度は、皆が生きる様になる。
その幕開けが、使徒2章の出来事なのです。
誰も主=イエシュア=トラーを知ろうと
言わないでも皆が理解して生きる世界が来ると
書かれているのです。
”トラー”はイスラエルの神の王国、御国の憲法=神の子らが
生きる全てが書かれているのです。
そして、このトラーは、救いを得ると言う目的を
達成するためにあるのでは無いのです。
救いを得るために、トラーを生きる事すれば、
それを律法主義と呼ぶのです。
トラーを生きる事を、律法主義と呼べば、
生きる事はキリスト=イエシュア=トラーを
生きると書いてある事と反する教えになってしまうのです。
購われた人、新しくされた人、神の家に嫁いだ
人=義とされた人が生きる全てが書かれているのが
トラーなのです。
この違いが分ると、誤解が解けます。
婚家に嫁いだ人は、今までの生き様とは違う=異教の神々の
世界で習った事とは、大分違う新しい生き様を学ばなくては
ならないと言う事。その内容は生きる全ての領域に関して、
衣食住全て含めて書いてあるのです。
続く