過ぎ越とシャヴオート=ペンテコステは同じ神の都上りの祭りで春の祭りの始めと終わり | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

聖書の中の三大都上りの祭りは、過ぎ越、シャヴオート、

仮庵の祭りです。

これは、1世紀に消滅して、終った祭りでは無い、

神の永遠の記念日と神が宣言された通り、今現在も代々に

渡り祝い続ける祭りです。

シャヴオート=ペンテコステは、過ぎ越を祝う事から

始まり、それ以降の一連の祭りを祝った最後に来る春の

祭りなのです。

一つだけシャヴオートを取り出して、他の祭りを捨てては

意味が無いのです。

 

べートーヴェンの第七交響曲が演奏されるリサイタルに

行って、途中の第三楽章の部分的な演奏がされる事が

有り得ない様に、全楽章奏でられて、一つの交響曲の演奏、

それと同じなのです。

適当に、自分の判断で取り出して演奏などしない。

作曲者の意図、楽譜に記された通りを、演奏者達全員が

再現して、初めて作曲者の作品が音=生きたものとして

現れ出る、意味が伝わる。

 

一世紀、エルサレムに神殿がまだ存在していた当時は、

イエシュア昇天後も、使徒達、パウロ、又はイエシュア

信者も同じ様に、レビ記23章の神の記念日を、

都=エルサレムに滞在して、神殿での儀式に参加して、

祝っていた記録が、使徒から黙示録の中に書かれています。

 

この様な聖書に記されている事実だけに注目して、その中身

を読み取って行けば、神の言葉は永遠不変だと言う真実を

発見します。

今現在は、エルサレムに神殿が無いから、その中で

行なわれた儀式は出来ないだけですが、祭り自体は、

あなたの住う所において代々に祝いなさいと言われた通り。

イスラエルが世界の四隅に散らされる事を見越した預言、

仰せでもあるからです。

そして、将来イエシュアが再び戻られたら、全世界が

神の祭りを、エルサレムの神の家で祝う様になると

預言されているのです。

ゼカリヤ14章

 

都エルサレムに留まり、弟子達は”オメル”を数える7週

の祭りの間を、過ぎ越から継続して、エルサレムで待機

していたのです。

当時は、多くの人が春の祭り過ぎ越の祭りで都上りを

した後に、エルサレムに留まり、シャヴオートまでを

続けて祝ったのです。

シャヴオートの祭りをエルサレムに留まって待ち、祝う様に

イエシュアに遺言された弟子達。

 

そして、彼らが祝っていた安息日=シャバットは、

週の第七日目であり、他の日に”シャバット”を祝っていた

記録は聖書にはありません。

その日が別の日になったら、第七日目と言う重要な意味、

神の完了の業の意味が全部消えてしまうのです。

神が全ての業を終えて止まった、憩った日を記念している

第七日目なのです。7=完了の業。

それが他の日に変更になるなど、何があろうとも

有り得ない事だからです。

 

他の日に、様々な用事で集る事は、自由です。

一世紀にも、シャバット以外、誰かと会見して集る事は

当然あったでしょう。

でも、それはシャバットのために集っているのとは、

意味も目的も違うのです。

神が言われた通り、詰まり神の記念日は、神が指定した

日に意味が在ると言う事に気が付く必要がある。

使徒達や、一世紀のイエシュア信者=殆どがユダヤ人ですから

神の言葉=トラーを無視した生き方などする人は誰一人

居ない事実に目を留めれば理解出来ます。

週の第1〜第6日の労働日と、第七日目の止まる日=

シャバットは全く区別された、分たれた=

聖別された日だからです。

 

レビ記23章にある神の記念日を、指定された日に

指定された様に、使徒達、パウロ、又イエシュア信者達も、

祝い続けていたのです。

 

過ぎ越から仮庵までの祭りは全部1つに繋がっています。

その祭り=記念日は、シャバットを通して、祭りの全てが

繋がっています。

どれか一つだけ取り出すとか、切り離す、削除すると言う

事をするのは、神の指定した祝い方とは異なりますし、

神の言われる言葉を退けて、人間の発案を取入れている

と言う事です。

聖書を読めば誰でも読み取れる内容です。

どの日に、どの様に祝うかちゃんと書かれているからです。

しかも、神の御口から直接語られた言葉が記されている。

そして、現代でもそれは永遠不変と言われた通りです。

Live and do the Bible things by the Bible way.

 

祭りと、大地の農作物”収穫”とは、同時に2つの側面が、

ぴったり重なりあっているものです。
絵画的教えでもあります。

 

しかも、その中身はイエシュアそのもの。

完了の業そのものです。

トラー、預言書、諸書は”わたしそのもの”とイエシュアが

言われた通りです。

過ぎ越で、初穂=大麦の穂が捧げられてから、

50日後に、小麦の収穫があります。

その最上の小麦を粉にひいて、その中に”種”を入れて

造られる二つのパンを捧げる。

新しくされた人は、過ぎ越で”要らないパン種”が削がれた

後、神のエッセンス=種が加えられたパンとして

表されている。

 

大麦、小麦、葡萄、ザクロ、オリーブなどの農作物、

皆50日ごとに、収穫出来る様に分かれています。

50日と言う数字と、過ぎ越のシャバットから数えて

7週=49日、七回のシャバットの後に来る第50日目。

7日目のシャバット、7年目のシミタ年。

農作地も休める。負債が全部チャラになり、

まっさらな人生を新たに歩めるチャンスをもらえる。

どこまで行っても、トラーは、人の生きる命を保護する

ためのものであるのです。

そして、7年のシミタ年を、7回繰り返した49年の

後50年目。ヨベルの年。

これらの数字には特別な意味があるのです。

 

霊的とか物理的などと分けて考えなければ、見える世界。

神の創造物を通して、目に見える形で、目に見えない世界の

現実を教えられているからです。

両脇にピッタリ、目に見えない世界と、目に見える世界が

同一に寄り添って重なっている。

そして、神の記念日を知り、実際に神が言われた通りに、

生きて見るとそれは、預言的祭りである事、福音の中身

そのものである事が見えて来ます。

 

特に都上りの三大祭り

1、過ぎ越 2 シャヴオート 3仮庵。

 

1 過ぎ越し 購い出されて、新しい人にされた。

奴隷から、新しい主人の元に完全に保護された。

2 新しくされた人=神の家=婚家に嫁いだ

その婚家の花嫁の生き様が書かれた”ブリット”が

与えられた。それがシナイ山での出来事=トラー

永遠の婚姻契約を与えられた事を祝う祭り。

それが、シャヴオートの祭り。

3 そして仮庵。

王の戴冠式でもある、ショファーを吹き鳴らす日。

そして、その後10日間、国全体、全員が神の中に

修復、起動修正する日々。その後に大贖罪日。

そして、仮庵の祭り。

8日目は永遠の中に入る。

これを、繰り返しリハーサルしているのです。

 

伝統的にシャヴートは、様々な名で呼ばれています。

“我らに神のトラーを与えられた時”と呼ばれる祭り。

そして、春の小麦の初穂を”神の家”に捧げる日でも

あるのです。