原典聖書には無い言葉 教会と言う翻訳造語 キラキラネーム | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

原典原語聖書の中に存在しない、翻訳用語、言葉があります。

名前に、全く発音も意味も違う漢字を当て字するごとく、

”教会”と言う造語キラキラネーム翻訳用語も、その一つです。

 

この言葉は悪い言葉でも何でもないのですが、

この造語自体、原語の意味とは何の関連も、意味も

無い全くのキラキラネーム=逸脱した名であり、

多大に誤解を与えている言葉なのです。

 

詰まり、同じヘブライ語=ギリシャ語を、聖書の最初の

三分の2と、最後の三分の1とで、全く二つの別の言葉の訳を

当てて書き表しているからです。

 

以前にも書いた”エダ”=ヘブライ語、

”シナゴーゲ”=ギリシャ語、これらは”会衆”とか”群れ”

などと訳されている言葉です。

そして、相互同じ意味として使われている言葉で、

カハール=ヘブライ語、エクレシア=ギリシャ語=

呼び出された人々と言う言葉があります。

 

聖書の前半と後半で同じ言葉で書かれている原語なのに、

前半は会衆と訳し、後半では教会と訳している。

そうすると、マタイの福音書以降で、初めて教会なる

別ものの種類のグループが発生したと勘違いしてしまう事が

起きるのです。

プラス、”シナゴーゲー”とは会堂と言う意味の言葉ではない

のに、会堂と訳されてしまっているのです。

シナゴーゲ=会衆、群れ。元の言葉はエダ=証と

言う意味を持つ”群れ” ”会衆”と訳されているヘブライ語。

別の造語=会堂とか教会なる翻訳をすれば、見えない混乱が

存在してしまうのです。

 

なぜタナックの中に、同じ言葉である、

カハール=エダ<ヘブライ語>エクレシア=シナゴーゲ

<ギリシャ語>と言う言葉を、モーセの教会とか、

モーセが教会に告げて語ったと訳していないのか?

なぜ、同じ言葉を、会衆と訳さないで、別の造語

”教会”と福音書以降で訳しているのか?

 

前半後半別々の契約、別の福音が存在しているのだと

信じる人達によりなされた、意図的翻訳トリックなのです。

 

黙示録の2:9を使い”ユダヤ人の会堂、会衆”と書いて

その人達はサタンの集まりと解釈されている。

サタンの教会とは書かないで。

 

黙示録2:9

わたしは、あなたの苦難や、貧しさを知っている

(しかし実際は、あなたは富んでいるのだ)。

また、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人

でなくてサタンの会堂に属する者たちにそしられている

ことも、わたしは知っている。

 

ヒットラーはこの聖句を使い、ユダヤ人大量虐殺をする

理由、根拠としたのです。

サタンの会衆=ユダヤ人=トラーを生きる人達を抹殺した

のです。

 

人の意識の中に、トラーを生きる人達=ユダヤ人=古い

教えに縛れている命の光=内側に聖霊を持たないグループ

と言う意識が必ずあるはずです。そう教えられて来たから。

 

イエシュアはトラーを丸ごと教え、生きた。

弟子達、パウロ、1世紀のイエシュア信者も

トラーの中身をイエシュアと同じ様に生きたことが

福音書以降書いてある。それは一体どういう意味か?

他の福音を生きた、書き換えられた別の、

他の契約書が存在するなどと、

どうして信じられているのか?

存在しないものが、在るのだとするその教え。

 

何故永遠不変の神の言葉=永遠の価値、重さがある言葉に

対して、反発する心、古く悪い律法だから

捨てよと言う考え、敵対心を持たされているのだろう?と

考えてみる。その意識はどこから来たのか?

神の言葉によれば、神の言葉のどの箇所をも、

一点一画でも捨てる事をする、又は変える付け足す事を

促す教えをする場合、厳しい処分があると神が警告している

のに、どうして本気で、神の言葉を捨てる事は、

真実であると、固く固く信じ込んでいるのだろう?

しかも、新約と呼ばれる箇所の中身が丸ごとトラーの

解説であるのに。

全ては、ヘブライ色を捨てて、別の教えを造った人の教えが、

世界へ浸透してしまった結果なのです。

 

根底には、反トラー、反ユダヤ、反イスラエルと言う思想が

潜んでいるのです。

神のトラーは永遠不変。マタイから黙示録の中には

同じ契約=福音=トラーしか書かれていないのに、

別もの解説や解釈で神の言葉が色塗られて、

再定義されてしまっているのです。

旧約 新約=古い契約、新しい契約。

”二つの福音は無い”と、はっきりと書いてあるのに。

永遠から語り継がれた”同じ福音”と至る所に

書いてあるのに。

永遠不変の神の言葉と書いてあるのに。

どうして、二つの契約、二つの福音、分断された聖書

分断された教え、家族になっているのか?

真実が人の解説や神学で覆われて、見えなくなって

いるだけです。

 

どうして、永遠不変と言う神の言葉を否定する宣言を

続けて、トラーは廃れた、終わりだ、廃止と言い

続けて来たのだろう?と真剣に考え、真実を発見する人達が、

今ぞくぞく世界の中に湧き出ているのです。

世界の四隅から神の子らが、神のオリジナルの言葉、

声に反応している。

神が今、世界の四隅に散らされて居たイスラエルの

神の子らを呼び出している、呼び戻しているからです。

神の真実は必ず光りの如く、明るみに出てくるからです。

 

人の神学や教えに対して、”わたしの永遠不変の言葉を

否定し続けるその教え!ちょっと待った!”と

名乗りを上げる、神御自身の真実な言葉があるのです。

 

続く