モーセに着くバプテスマ 1コリント10  エレミヤ31:31 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

バプテイズム<バプテスマ>と言う翻訳用語は、

ヘブライ語の”テヴィラ”、ギリシャ語の”バプテイズモス”と

言う言葉です。

 

原語の意味は、”浸す、浸透する、一つに繋がれる”

浸透する”物体は”水です。

ミクバ=集った水。しかも生ける水です。

動いている、流れている水。

 

生ける水とは、ヘブライ語で”マイム ハイム”

日本でも良く知られているフォークダンスの歌、

マイム マイムは、この生ける水、仮庵の祭りの時に

シロアムの池から水を汲み出す儀式で皆喜びがマックスに

到達して踊り、祝う様子を歌ったものです。

 

”生ける水”=ミクバは、私達がイエシュアの血潮、完了の業で、

完全にすすがれている、

命が再び生まれでた事を表すものなのです。

 

神殿が在った当時、今でもミクバを通る儀式はイスラエルで

行なわれています。

しかも、一度きりの儀式では無いのです。

結婚や、又は社会的立場が変わった時など

様々な時にミクバを通るのです。

 

トラーの世界では、この”ミクバ”は、”子宮”を表すものでも

あります。

水に入り、水に潜り、再び水から上がる儀式は、

今迄の生き様、異教の神々に仕える生き様を置き去りにする、

水に浸かり完全に死に伏される。後ろに過去を置く。

 

そして、再び水から出た時は、新しくされている人となった

と言うシンボルである儀式なのです。

死んだ=イエシュアと共に葬られた。

新しく復活の命に移行している。

感じなくても。

だから、その事実を否定する宣言を続ける場合には、

ミクバを通れどもずっと以前の死んだ自分の思考回路で

生き続けると言う事でもあるのです。

詰まり、考えてみると人は自分の信じている事、

唱えている信仰の内容を本気で信じて生きては居ない場合が

あると言えると思います。

そうは言うけど、実際はと、神の言葉を塗り替えて行くから。

新しくされた完了の業の事実を、ずっと否定し続けて行く。

神の言葉に耳が塞がれてしまう耳栓を付けているようなもの。

 

信仰により、神の完了の業を受け取り、信じ続け、

生き続ける人生に移行する。神の言われる事は肉の目、耳に

は信じがたい事ばかりだけど、神がそう言われるから信じる。

 

ボーンアゲインと言う言葉を唱えますが、本気で

ボーンアゲインしたのだと信じる人は少ない。

以前の自分、主と共に死んだ以前の自分水=イエシュアの

中で共に死に伏した事実を考えないから。

死んだらどうなりますか?風と共に去りぬ〜。

Gone Gone, Gone,消えた。もう戻らない。

 

でも記憶は確実に自分の頭脳に残って染み付いていますし、

以前の体のままですから何も新しくなったなんて感じない。

特にズレた、こけた場合はいやと言うほど、嫌悪を感じる。

でも、本当の自分が罪の固まりの性質なら、

罪を心から喜ぶに決まってます。性質に沿っていれば、

そのズレがぴったり心地よいからです。

でも、ずれたら悲しい、嫌な気持ちになる。

それは、人の本来の性質がズレ人では無いからです。

ズレた自分を生きたら違和感ある、とっても嫌な気持ちに

襲われる。それが本当の自分なのです。

だから自分の悟り、感覚に頼るな。

イエシュアの業=神の言葉、宣言に意識を留めよと

言われたのです。

 

1コリント10に書かれているモーセのバプテスマと、

エレミヤ31:31、又はイエシュアが過ぎ越の晩さんの

中の儀式、購いの杯を飲み、マッツアを食べる儀式で

宣言された、”新しく結ばれる契約”の意味とも

繋がっています。

 

”新しい”と翻訳語で書いてあるのは、ヘブライ語では、

ハダーシュと言う言葉です。

ストロングス No.2318. chadash חֲדָשָׁ֖ה

この言葉は、中身が新しく改良されたと言う意味の

言葉ではありません。

この言葉は、修復、再び立て直される、再更新されたと

言う意味に使う”新しい”と訳されている言葉なのです。

 

そして、エレミヤ31で語られている、エジプトの地から

導き出した日に立てた様なものではないと

32節で書かれていますが、これは原語で読むと、

モーセに託したシナイ山で立てた契約とは違う内容の契約を

与えると言う事を語っているのではないのです。

 

”契約の中身は同じ” ”永遠不変”と最初から婚姻契約に関して

神が定義している事を、ぜったいにはぐらかさない、

ぶらさない、ずらさないで読めば翻訳でも分かります。

 

何を語っているのかと言うと、1コリント10にある様に、

突然体だけ出エジプトした状態ではない。

救い出され、購い出され、きよめられ、神の者となった

事実を、奥深く理解している目覚めている頭脳に

なっている状態の事です。

ボーンアゲイン〜新しくされている、完了の業を受けとった、

死から命に移り新しい人とされた事実を、皆が頭脳に刻み

目覚めている状態であると言う事を言っているのです。

契約を受けとる人の状態が変化したと言う事。

その契約を皆が生きる様になる事がずっと

語られているのです。

 

エレミヤ

31:31主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家と

ユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。 

31:32この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとって

エジプトの地から導き出した日に立てたような

ものではない。

わたしは彼らの夫であったのだが、

彼らはそのわたしの契約を破ったと主は言われる。

31:33しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの

家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、

わたしのトラーを彼らのうちに置き、その心=頭脳=レヴに

しるす。

わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は

言われる。

 

 

 

続く