ヒットラーが、社会の意識を変えるには、
”言葉の定義”を変える事と言いましたが、
本当にその通りだと思います。
成人病と言うのと、生活習慣病と言うのでは、
人の中に作り出す意識が違います。
年を取ると必ずなってしまう病気=成人病なのか、
その人の生きる生活スタイル、日々の生活習慣の継続で
生み出してしまう病的状態なのか、同じ様で違います。
掃除夫や家政婦、専業主婦と言う言葉と、
”生活環境管理技術者”と言う言葉では意識はまるで
違うものになります。
”歯を小さいドリルで掘る工事作業員”と、歯科医とでは、
人の中に生み出すその仕事に対しての意識が
違うものなります。
先週ある記事を見て始めて知った事がありました。
今迄にも聞いた言葉ではありましたが、それまでは、
全然気にも留めず、自分の意識にも上った事が無い、
”日本人固有、特有のある人達への差別意識”。
そんなのが、現代にもあるのか?と驚きでした。
ある職業に着く人達への偏見、ある地域に住う人達に対する
偏見。
それは歴史の中で人間が作り出した階級制度によるもの。
全部人間が作り出した”差別意識”です。
ある国民に対しての差別意識もそうです。
これは、人間の価値基準で設定した偏見そのものです。
絶え間ない刷り込み、インプリンテイングを頭脳に
し続けて来てしまった結果生み出される偏見。
偏見と言う物事を歪めてみる色眼鏡。
これを、神の言葉に対してもしている事があるのかも
しれないと言う意識を持つ事から、真実に出会う扉を
開く事になると思うのです。
神の言う通り、神の方法、やり方で神に
近づいているのか?
自分のやり方で、自分の基準で、神に近づいているのか?
神の言われる事=言葉を、自分勝手に仕分けているのか?
聖書の翻訳の中にも、”偏見”が顕著に入ってしまっている
言葉が在ります。
”律法”や”教会”と言う言葉です。
この裏には、人間の思惑があります。
”神の言葉”が永遠不変ではない、付けたし変化させなくては
いけないと言う、影=敵の思惑が影響しているからです。
教会と言う言葉に対して、私自身が偏見を持っているのでは
ないので、誤解されたく無いので、はっきり書いておきます。
聖書には無い言葉を、翻訳に盛り込まれてしまい、
その言葉故に、神の言葉に対して、神の意図とはズレたものに
変形し、バイアスのかかった概念を生み出して
しまっているのだと言う事を知る必要があるからです。
これは、置換神学や、デスペンセーション神学、
詰まり人造神学を元に考える人達の偏見から意図的に
作り出された造語でもあるのです。
オリジナルの原典に戻れば、それは明らかに翻訳の中に
見る事が出来るものだからです。
聖書には出て来ない言葉で、聖書が翻訳されてしまっている事。
2000年以前と以降で違う教えが出て来た、古い契約は
破棄され、教会と言う新しい人達のグループが造られ、
別の契約が渡されたのだと言う教えの意識は、
人が作り出した神学によるものだからです。
そして、2000年以降に初めて”教会”なるものが出現した
のだと疑いもなく信じている人達も居るのは、その”造語”や
人造神学の概念を刷り込まれたおかげなのです。
私もその1人でした。そう教えられて来たからそう信じて
居ただけで、オリジナル原語の中から、自分で調べて事実を
掴み、信仰の確信を持っていた訳ではないからなのです。
翻訳者の信条を盛り込み、読者にその様に考えさせる様に、
しむける。
バイアスがかかった翻訳を、意図的に翻訳者が
してしまったからです。
しかも、その様なバイアスのおかげで、聖書の中に無い言葉
が挿入されてしまったり、意味合いが明らかに変形している
表現を翻訳の中に発見する事も出来るのです。
でも、真相は、オリジナル原語に戻ると顕著に分かります。
何が本当に書いてあるのか、動かない証拠が、オリジナル
原語の中にあるからです。
どんな言葉で書いてあるのか、否定出来ない事実があるから。
だから、原典、原語に戻り確かめる必要があるのです。
イエシュアが生まれる250年前に、70人訳と言うギリシャ語
訳の翻訳聖書が作り出されました。
創世記から、マラキ書まで。
タナックと名付けられている、トラー、諸書、預言書、
ヘブライ語で書かれた書を、丸ごとギリシャ語に
翻訳したのです。
それがあるおかげで、福音書から黙示録の中にギリシャ語で
書かれているその言葉の裏にあるヘブライ語がピッタリ
出てくるわけです。
聖書の著者が、どのヘブライ語をギリシャ語に訳して
書いているのかをきちんとぴったり調べる事が
出来るのです。
では、その”教会”と訳されてしまった本当の言葉は、
なんであるのか?
きちんと調べて見ると分かります。
続く