顔と顔を見合わせる 喜びは神のデザイン通り向合う関係から生まれる | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

振返ると秋の仮庵の祭りの週から、春の過ぎ越まで、

週に一度のシャバットがあるだけで、”祭り”が一度も無い季節。

この時期は一番厳しい季節。深い所を探られる、

訓練の日々でもあるのです。

痛いけど、収穫が凄い。過ぎ越、出エジプト、出奴隷を

サイクルで体験し続ける。

訓練=死んだ人で生きて来たその脳回路を離脱させられる。

いや、気が付かせられる。

 

それは、日々に起きる出来事を通してはっきり分かる事です。

大きい事も小さい事も、全てアバ父のレッスンプラン通りに

起きている。何事も神の目から見逃されているものは無い。

カスタムメードのピッタリなレッスン内容。

 

でも、それには、その”御稽古、レッスン、訓練”に、

二人三脚で参加する必要があるのです。

 

そして、今週顕著に”刈り込み”された事は、

”家族が一致する”と言う事がどれだけ大きな事かと言う事。

自分だけでは駄目だと言う場合もあります。

 

一致とは、”一つ心=レヴ=頭脳”と書いてある事です。

同じ視点、同じ事を見る。それは神のインストラクションに

常に焦点を合わせる事。

 

チームでやるスポーツは、監督の指示で又チーム内の

リーダーの方針で、同じ”方向” ”同じ作戦”で動く事です。

その基本は、”聞く”=シャマーです。

又は、オーケストラは1人の指揮者で楽団全員が一致して

演奏する事。別の楽器、別のパート、別のポジションだけれ

ど、一致すると丸ごとで機能出来る。

 

その時に、1人が”いや〜自分は自分勝手にやりたい。”と

言えば、まとまらず、機能出来なくなると言う単純な事です。

 

同じ意識=レヴとは、同じ場所に意識が集中している事です。

同じ場所=言葉です。一家の長であるアバ父の

インストラクション。

 

これに意識が集中していたら、お互い”シャローム”状態を

保って生きられる事が、はっきり分かります。

神の仰せは全て、”愛”契約の愛の姿を生きる事と

イエシュアが言われた通り、その下に全て=神のトラー

=インストラクションが解説されているのです。

互いを侵害しない、傷つけないで、愛し合うためには、

どう生きたら良いのか?と言う事。

 

家庭内の、又は兄弟姉妹間、友人間の”喧嘩”や争いは、

実は本当に小さなネタ、原因はささいな事。

そして、一番大きな原因は”ミスコミュニケーション”だと

思います。

人は必ず”死んだ人”の記憶、傷、ひずみから、

相手、物事を歪めて見てしまう傾向がある事に

気がつく必要があるのです。

エデンを飛び出したアダムとエバの様に、

”相手の姿が見えない。その通りに見えなくなって

しまった状態”が、頭脳の中に、記憶として蔓延っている事に

気がつく必要があるのです。

 

相手の意図が見えない、言っている事を誤解する、

人の話をちゃんと聞かない、相手を批判の目で見る、

相手を責める、こうだろう〜と決めつける、又は人を歪めて

見ているなどなど。

 

でも、お互いがその事に注意してみようと気がつくと、

全然違う世界が広がるのです。

相手を批判しないで、言っている事をまずちゃんと聞く。

何を伝えようとしているのか。又、人の中にあるどんな傷、

痛みからその様に歪んだ見方をしているのか、アバ父の目線と

同じ視点で、見る、聞く。

又はその伝える方法、言葉、態度が”的外れなマナー”では

無い様に注意して話す、伝えるなど。

 

ちょっとした事に気をつけるだけで、家庭の中の黒雲は

過ぎ去る事が分かります。

 

バカバカしい事で、大事な人=相手を傷つけない事。

いつも言うのですが、”あなたは、私は〜<物質>以下

ではないよ。子羊の命の価値に匹敵する貴重な存在。”

そんなどうでも良い物の事で、大事な人間を傷つけたり、

傷付いたりする様な事は避けようねと。

 

そして、気がつく事は、”シャバット”は福音の中心。

これは、実際に生きて行くうちに気がつく。

奥が深い。そして年輪の如くそれが増して行くのが、

分かります。

神の言葉=仰せ=ミツボットは、”絆”=へその緒の様に、

人を神に繋ぐものです。神の仰せ、インストラクションが常に

自分の内側に響いている状態だったら、危ない方向に行く事

を、阻止してくれるのです。

 

一週間を生きる中で、意識がいつも”シャバット”=

完了の業に向く。お互いを大事にするために、その時間を

持つために、心を向け続けるから。

1週間の仕事を、シャバット準備のために配分する。

ずっと意識が、”アバ”父に向いている事に気がつく。

ヘブライ語で読むと顕著に分かる、”どんなに重要視”

するべき”神の定めの時”=記念日=モアデイムであるかが、

書いてあるからです。

 

その様な言葉は、翻訳では見えませんが、原語の文字に戻ると

はっきりと分かります。重たい=重要=価値が無限。

栄光とは、同じ言葉で綴られています。エッセンスが同じ。

 

そして、この日は、”人のために造られた”とある通り。

その通りだと思います。家族が再びしっかり繋がるために。

破壊されないために。分裂しないために。

喜びが奪われないために。

これって、特にこの時代に、いやいつの時代もですが

大事です。今やどこ見渡しても人は、スマホと向合い、

人と人が向合う時間が極少ではないかと思うのです。

 

そして、仕事や、勉学やその他の用事で意識は皆違う所に

ある。共にゆっくりじっくり深い源泉に触れる様な会話を

する時間が持てない。

 

でも、シャローム バイト、欠けの無い家族とは、

神のデザイン=顔と顔を合わせて一つレヴ、一致とは

親密な親しさ、そしてそれが喜びを生み出す源泉、神の

デザインである事を、再確認、体験する。

 

人と仲違いして、疎遠は悲しい。

それは、神のデザインから外れているから、ズレているから

悲しみを生み出す。

でも、神のデザイン通り”究極の親しさ、一致、向き合う”と

言う場所に戻れば、それは喜びを生み出すと言う事、

誰でも体験している通りだと思うのです。

 

さあ、この日=ハ ヨム=この日は主が造られた。

この日とは、神の記念日=シャバット、モアデイムの事だと

原語では書かれています。

賛美、礼拝と書かれている、その中心は”神の家の食卓”で

行なわれると書いてあるのです。

そして、皆でそれをするのは、”モアデイム”=時がちゃんと

はっきり書かれている。

神の指定した、神の造った記念日に、神の前に大家族一同

集い、喜び祝うとはっきり書かれているから。

 

Shabbat Shalom

 

 

イスラエルで体験した初めてのシャバットの宴

とにかく老いも若きも皆で楽しいひと時

イスラエルではこれを律法などと呼んで

避ける人など誰も居ない。

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