振返ると秋の仮庵の祭りの週から、春の過ぎ越まで、
週に一度のシャバットがあるだけで、”祭り”が一度も無い季節。
この時期は一番厳しい季節。深い所を探られる、
訓練の日々でもあるのです。
痛いけど、収穫が凄い。過ぎ越、出エジプト、出奴隷を
サイクルで体験し続ける。
訓練=死んだ人で生きて来たその脳回路を離脱させられる。
いや、気が付かせられる。
それは、日々に起きる出来事を通してはっきり分かる事です。
大きい事も小さい事も、全てアバ父のレッスンプラン通りに
起きている。何事も神の目から見逃されているものは無い。
カスタムメードのピッタリなレッスン内容。
でも、それには、その”御稽古、レッスン、訓練”に、
二人三脚で参加する必要があるのです。
そして、今週顕著に”刈り込み”された事は、
”家族が一致する”と言う事がどれだけ大きな事かと言う事。
自分だけでは駄目だと言う場合もあります。
一致とは、”一つ心=レヴ=頭脳”と書いてある事です。
同じ視点、同じ事を見る。それは神のインストラクションに
常に焦点を合わせる事。
チームでやるスポーツは、監督の指示で又チーム内の
リーダーの方針で、同じ”方向” ”同じ作戦”で動く事です。
その基本は、”聞く”=シャマーです。
又は、オーケストラは1人の指揮者で楽団全員が一致して
演奏する事。別の楽器、別のパート、別のポジションだけれ
ど、一致すると丸ごとで機能出来る。
その時に、1人が”いや〜自分は自分勝手にやりたい。”と
言えば、まとまらず、機能出来なくなると言う単純な事です。
同じ意識=レヴとは、同じ場所に意識が集中している事です。
同じ場所=言葉です。一家の長であるアバ父の
インストラクション。
これに意識が集中していたら、お互い”シャローム”状態を
保って生きられる事が、はっきり分かります。
神の仰せは全て、”愛”契約の愛の姿を生きる事と
イエシュアが言われた通り、その下に全て=神のトラー
=インストラクションが解説されているのです。
互いを侵害しない、傷つけないで、愛し合うためには、
どう生きたら良いのか?と言う事。
家庭内の、又は兄弟姉妹間、友人間の”喧嘩”や争いは、
実は本当に小さなネタ、原因はささいな事。
そして、一番大きな原因は”ミスコミュニケーション”だと
思います。
人は必ず”死んだ人”の記憶、傷、ひずみから、
相手、物事を歪めて見てしまう傾向がある事に
気がつく必要があるのです。
エデンを飛び出したアダムとエバの様に、
”相手の姿が見えない。その通りに見えなくなって
しまった状態”が、頭脳の中に、記憶として蔓延っている事に
気がつく必要があるのです。
相手の意図が見えない、言っている事を誤解する、
人の話をちゃんと聞かない、相手を批判の目で見る、
相手を責める、こうだろう〜と決めつける、又は人を歪めて
見ているなどなど。
でも、お互いがその事に注意してみようと気がつくと、
全然違う世界が広がるのです。
相手を批判しないで、言っている事をまずちゃんと聞く。
何を伝えようとしているのか。又、人の中にあるどんな傷、
痛みからその様に歪んだ見方をしているのか、アバ父の目線と
同じ視点で、見る、聞く。
又はその伝える方法、言葉、態度が”的外れなマナー”では
無い様に注意して話す、伝えるなど。
ちょっとした事に気をつけるだけで、家庭の中の黒雲は
過ぎ去る事が分かります。
バカバカしい事で、大事な人=相手を傷つけない事。
いつも言うのですが、”あなたは、私は〜<物質>以下
ではないよ。子羊の命の価値に匹敵する貴重な存在。”
そんなどうでも良い物の事で、大事な人間を傷つけたり、
傷付いたりする様な事は避けようねと。
そして、気がつく事は、”シャバット”は福音の中心。
これは、実際に生きて行くうちに気がつく。
奥が深い。そして年輪の如くそれが増して行くのが、
分かります。
神の言葉=仰せ=ミツボットは、”絆”=へその緒の様に、
人を神に繋ぐものです。神の仰せ、インストラクションが常に
自分の内側に響いている状態だったら、危ない方向に行く事
を、阻止してくれるのです。
一週間を生きる中で、意識がいつも”シャバット”=
完了の業に向く。お互いを大事にするために、その時間を
持つために、心を向け続けるから。
1週間の仕事を、シャバット準備のために配分する。
ずっと意識が、”アバ”父に向いている事に気がつく。
ヘブライ語で読むと顕著に分かる、”どんなに重要視”
するべき”神の定めの時”=記念日=モアデイムであるかが、
書いてあるからです。
その様な言葉は、翻訳では見えませんが、原語の文字に戻ると
はっきりと分かります。重たい=重要=価値が無限。
栄光とは、同じ言葉で綴られています。エッセンスが同じ。
そして、この日は、”人のために造られた”とある通り。
その通りだと思います。家族が再びしっかり繋がるために。
破壊されないために。分裂しないために。
喜びが奪われないために。
これって、特にこの時代に、いやいつの時代もですが
大事です。今やどこ見渡しても人は、スマホと向合い、
人と人が向合う時間が極少ではないかと思うのです。
そして、仕事や、勉学やその他の用事で意識は皆違う所に
ある。共にゆっくりじっくり深い源泉に触れる様な会話を
する時間が持てない。
でも、シャローム バイト、欠けの無い家族とは、
神のデザイン=顔と顔を合わせて一つレヴ、一致とは
親密な親しさ、そしてそれが喜びを生み出す源泉、神の
デザインである事を、再確認、体験する。
人と仲違いして、疎遠は悲しい。
それは、神のデザインから外れているから、ズレているから
悲しみを生み出す。
でも、神のデザイン通り”究極の親しさ、一致、向き合う”と
言う場所に戻れば、それは喜びを生み出すと言う事、
誰でも体験している通りだと思うのです。
さあ、この日=ハ ヨム=この日は主が造られた。
この日とは、神の記念日=シャバット、モアデイムの事だと
原語では書かれています。
賛美、礼拝と書かれている、その中心は”神の家の食卓”で
行なわれると書いてあるのです。
そして、皆でそれをするのは、”モアデイム”=時がちゃんと
はっきり書かれている。
神の指定した、神の造った記念日に、神の前に大家族一同
集い、喜び祝うとはっきり書かれているから。
Shabbat Shalom
イスラエルで体験した初めてのシャバットの宴
とにかく老いも若きも皆で楽しいひと時
イスラエルではこれを律法などと呼んで
避ける人など誰も居ない。
