イスラエルの友人の言葉、会話の中で知らなかった世界に
気がつく事、多々あります。
彼らユダヤ人に対して、こんな事を言って居る事。
”あなた達の神は、あなた達見捨て、契約を取り上げた。
そしてその契約の内容も神は途中で変更したんですよ。
そして今度は、あなた達の手からその”ブリット”を取り上げて、
2000年以降は異邦人の手に、渡したんだって。
しかも、内容も変えて別の新しい契約が渡ったのだよ。
あなた達が失敗したからね。
もっと、楽なやつを与えたらしいよ。何でもありなやつ。
全部が許される、イエシュアが来た後は、大分中身が変更
になったんだってさ。
あなた達は捨てられたのさ、見放されたの。お役目終わり。
と言うその教えを、一体イスラエルである私達がどう感じるか、
どう受け止めると思う?”と聞かれた事があります。
”しかも、それは聖書に書いてある事ではない、
事実無根でしょう?”と言われた。
2000年以降に教えが変わったとしなければならない理由は
数々、様々、色々有るのです。
1世紀に居たイエシュアのフォロワー達、そして使徒達、
聖書記者達の中に、その様な考えをする人はゼロ。
そんな教えさえ、無かったのです。
もし在ったとしたら、異端と見なされて追放だからです。
友人は言います。
”1つは、トラーが分からなかれば見えない世界があるのよ。
いやそれ以前に、永遠不変である神の契約、言葉、約束
である事実が書かれている事を知らなければならない。
異教の神々の国に住む異邦人意識のままである場合、
神が禁じている、神の言葉に、一点一画も手を加えるなかれ
と言う事をする事に対して、何とも感じない意識が大問題。
神の言葉、イコール神と言う事が分からないからだよ。”と。
彼ら残りの民の中に根付いている、神からの直接の言葉
が染み付いている事実を感じる事が多々あります。
そして、4世紀に出て来た新宗教が支持されるために、
”ヘブライ色”を一切除去した教えに変更しなければ、
新しい宗教が、異教の神々の宗教の、異邦人大衆に
受け入れてもらえない、浸透しないので、神の言葉に、
様々な加工、人間の工夫が加えられてしまったと
言う事。加工=ヘブライ色=トラーを捨てた教えにした。
パウロが警告した、”別の福音”=神の言葉を変形した教えに、
そんなにも早く移って行くのか?と言う事をしてしまった。
”聖書に基づき真実かどうかは、自分で確かめれば分かる事
書いてある通りに読めば分かるでしょう?”と言われた。
その教えの中でこんなのがあるでしょうとも言われた。
”2000年以前は、暗黒時代。神は人の内側に共に住わない、
霊が宿らない、特殊な人だけに与えられた特権と言う教え。
昇天以降始めて、神が人の中に始めて住う様になった。
これって、ちゃんとトラーを学べば嘘800て事に
気がつくでしょう?と。逆の事が書いてある。
そんな事書いてないこと、翻訳読んでも分かるでしょう?
と。
はじめから人は神の中に造られていた事実、
そして、神の中に取戻されている事実は、永遠から
存在している事がはっきりヘブライ語原点聖書の中に
書かれているから、それを読み取る事が出来るからです。
そして、神が常に共に人々の中に居られた証拠が至る所に
ヘブライ語聖書の中に書かれている。
ユダヤ人を見捨てたイスラエルの神?
契約は一つ。永遠から同じ。
口頭で伝えられていた、人間の同じ生き様、内容が、
神が直接綴って表されたものを、モーセに託された。
”イスラエルが駄目なので見捨てる神?
そんなの酷すぎるでしょう。と言うか、”義”とされている事、
永遠からの購いは、神の側では決して破らない証拠を、
儀式の中で、ちゃんとはっきり教えている。
アブラハムは、二つに裂かれた動物の間を通らなかった。
神だけが、その間を通った証がある。”
そんな神。そんな事一体聖書の
どこに書いてあるの?無いでしょう。
生きられない別の契約をまずはユダヤ人に押しつけ、
失敗したから、今度は全く契約を異邦人に与える神?
”ユダヤ人に対してあきらめて、見捨てて、
今度は新しい契約の民を、別に作り上げ乗り換えた?
詰まり、夫は妻を捨てて、今度は新しい妻を娶ると言うのと
同じ事だよ。”と言う。
何故なら、その契約書、ブリットは、全て婚姻契約の形式で
書いてあるからです。だから、ヨハネが”はじめの愛”と言った
のです。トラーの事を指して、ヨハネは語っているから。
そのはじめの愛を、神が忘れたのではなくて、人が忘れた
とヨハネは、書いたのです。
続く