聖書に出てくる油注ぎの儀式の油とは、オリーブオイルです。
オリーブオイルは、聖書の中では、一体何を意味しているのか
と言う事です。
聖書に出てくる色々な言葉や、物、動物、自然界の創造物、
地名、人名。
そしてエルサレムにある”神の家”=ハ バイトの中に
存在する様々な物や、色、数字、全て意味が有ります。
神がそれらの創造物の中に、
特殊な意味を持たせているからです。
そして、聖書の最初から最後まで、それら全ては同じ意味で
語られていて、同じ意味が貫かれています。
何故なら、聖書=神の言葉は、歴史の
途中で変化しないからです。
神=言葉=同一の実態、エッセンスだからです。
神と言う存在は、御自分が造られた時=”時空”を超えて
いる御方である事、神の業、存在を時間の中に閉じ込めて
考えるのは、又は、物質と霊と分けて考える、
又は、神の言葉と神を切り離して考えるのは、
ギリシャローマ西洋哲学人間思考から見る聖書の
解説だからです。
ヘブライ思索のヘブライ語聖書は、神の言葉は”メムラ”。
ヨハネ福音書の冒頭を見ても、創世記の冒頭の
神イコール言葉と書かれている通り。
そして全ては、永遠、時空を超えているヘブライ思索から、
語られているからです。
古代イスラエルも、当時多くのオリーブオイルを生産して
いて、経済の大きな柱でした。
エジプトや近隣諸外国に輸出して、経済を得ていたのです。
これは、聖書のコンセプトを知る大きな要素です。
ピクチャー ラングエッジと言いますが、”オリーブオイル”
が意味する所が何か?が見えて来ます。
次に、オリーブオイルは、”栄養、滋養”に使われました。
オリーブ油は加熱しては、酸化して駄目になります。
生、フレッシュなまま取入れると、ヘルシーな脂肪です。
これも、意味があります。
そして、オリーブオイルは、”光”です。
木ではなく、オリーブオイルを燃やす事が出来る様になって、
一晩中、クリーンな空気で灯りを灯す事が出来る様になった。
そして、オリーブオイルは、古代では”石けん”としての役割が
あったのです。
オリーブオイルを付けて、拭き取り汚れを取る。
汚れを落とす、きよめを表すものでもある。
そして、オリーブオイルは、”薬”としても使われたのです。
傷口に塗る。”癒し”を表すものでもあります。
癒しの祈りで、長老にオリーブオイルを塗って祈って
もらいなさいと書かれている様に、オリーブオイルは
癒しを意味するものでもあります。
この要素を頭に入れておいて、”油注ぎの儀式”のシーン、
油と言う事を考えると見えて来ます。
試しにやってみると分かりますが、捨てても良い古い
シャツを着て、自分の頭から油を注ぐ。
ちょろちょろではなく、ドバ〜と大量に注ぐ。
頭から足の先まで覆うほど、どば〜とふんだんに。
私の友人がやって見た事があるので、その体験を皆に話て
くれました。笑
過ぎ越の祭りの前の、パン種除去掃除も、やってみれば、
見えてくるもがあります。これは別の話ですが。
実際にやってみたら、神の仰せの意味が何なのか分かる。
油を頭から注ぐ。
油注ぎの油は、角の中に満たした油をそのまま全て、
その油注ぎを受ける人の頭から注ぐのです。
そうすると、どうなるのか?
頭も顔も、ヒゲも洋服も全部、全身、足先まで油で覆われる。
頭から爪先まで、全身べったり、油だらけになる。
この儀式が、聖書の中で何を意味しているのか?です。
詰まり、あなたは”オリーブ油”の実態と一体になったよと
言う表明です。
王が王になると言う事は、王は何か?
1 経済を与える人
2 光を与える人
3 滋養を与える人
4 癒しをもたらす人
これを、オリーブ油で表しているのです。
この要素は、イエシュアの姿を表しているものでも
あるのです。
又は、王、預言者達。そして、神殿も油注がれる
対象になるのです。
詰まり、オリーブオイルと、その人、又は”神殿”=神の家が、
一体になっている、油の表すエッセンスと同じ要素である
と言う事です。
あなたはその実態で、神のトラーを、神が生きる様に、
頭脳に刻み、イスラエルの国を治める人として、
今立てられたと言う、聖書の中に書かれている
油注ぎとは、そう言う意味があるのです。
続く