神が下さった永遠の契り 印 シャバット | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

金曜日の夕暮れから、シャバットが始まる。

この日は、神が造られた記念日。

シャバットは、神が創造された日。

そして、この日を代々に”聖別”し、祝いなさいと神が

言われた言葉は、永遠に変わらない。

一つの国民だけではない、神の創造物全てに対して、

この日を神が設けられた。

 

人が、神と繋がれている、神が一方的に命をかけて差し出し

て下さった”ブリット”。

契約と訳されていますが、翻訳ではぴったり来ない言葉なので、

”ブリット”。神の永遠の変わらない約束、変わらない保証、

変わらない愛の中に繋がれている印”として、

この日を造られた事が書いてあります。

 

言って見れば、結婚指輪。婚家に嫁いだ”印”。

目で見える物質ではないけれど、この神が造られた日を、

神が言われた通りに、”特別に取り分ける”。

 

これが、聖別と言う言葉の本当の意味。

神の意図した目的通りに、言われた通り、神の意図した通り、

取り分けた”記念日”。

それを、地上で人が生きる、再現する中に、神はその中に

現れて、特別な出会いをしようと言ってくださったのです。

言って見れば、愛する人と永遠の愛=ブリットの愛で

繋がれている”証” ”印”。

 

誰も、愛する人から頂いた結婚指輪をポイ捨て

しないでしょう。愛する人との特別な日の記念日は、

忘れない。普段とは違う、特別な日の特別な体験をする。

その日をちゃんとカレンダーに記して、心待ちに準備する。

指輪を見る度に思い出すように、主の日も目に見えない

”印”です。

シャバットは、福音の根幹、中心でもあります。

そして、神の造られた記念日の全ては、”イエシュア”

丸ごとを網羅している、表しているのです。生きて体験する、

イエシュアの全てがその中に盛り込まれているのです。

賢い神の知恵を発見出来る。神が言われた事は、人には愚か

しく聞こえても、救いを得る人達には、神の力、命の源。

 

その日は、神が指定した日。人が指定した日ではない。

そして、”永遠に、代々に変わる事が無い”記念日と

神の言葉で書かれているのです。

歴史の途中で、その記念日は一切変わらない。

神が造られた記念日は、レビ記23章にあるものが、”主の日”

と、黙示録の最後まで同じ意味で書かれているからです。

 

この日は、止まる日。

今回のシャバットは、東海岸から、戻って来た子どもの

一番の親友を交えた、それはそれは楽しいシャバットの

夕食をしました。親にとっても可愛い子どもの友達。

遠く離れて、会えなくて、寂しかったよ。

 

お互いの顔を見て、話す。ゆっくりお互いの存在を喜び合う。

一緒に同じ場所で、同じ時を過ごせる幸いを体感する。

子供達に祝福の祈りをする。今日は特別な日。

アバ父の前で宴会日。美味しいもの一杯食べる。

明日は休みだ〜!ゆっくり休もう。ゆっくりじっくり

神の言葉を学ぶ、一緒に遊ぶ、一緒に過ごす時間を取る。

 

休みなさいと言われて、怒り出す人は居ないと思います

けれど、休みなさい、止まりなさいと言われると、

あれもこれも、気になるあれこれ、やりたくなってしまう事

に気が付きます。

 

何故止まるのか、分かります。

余計な事をして、大事な事を大事にするその時間を、

削がれないため。

神の完了の業を、ちゃんと体験するために。

何より、神が止まられたから、止まりなさいと神がそう

言われたのなら、その言葉には重大な意味があると

認識すれば、言われた通りをする。

それが、”従う”と言う本当の意味。

従うと言う言葉は、不適切な訳です。いや〜な気分がする

言葉ですね。無理矢理強制される感ありの様な言葉であり、

神の言葉の本当の意味とは、異なる言葉、意識がずれて

しまう言葉なので使いたくない言葉です。

 

聖書に、神の言葉に対して”従う”と言う言葉で書かれた

箇所は一カ所も無いのが事実です。

聖書に書いてある言葉は、”聞く”=シャマーです。

申命記6:4

神の言葉を、言葉通り神の意図通りに聞いたら、分かれば

その通りにするでしょう。しない人も居るかもしれない

ですが、それは、神の言われている事が分からないか、

分かっていながら、神の言葉とは違う事を選択すれば、

それは賢くない生き方だと言う結果になると思います。

 

神が全てを用意して下さった。

仕事をする事、人間的なたゆまぬ努力ももちろん必要です。

でも、自分の手に負えない事、それ以上は、全て神の業。

神の用意して下さった、完了の業を生きる事を、

七日に一度、生きて思い出す。残りの6日間も、神の完了の

業から生きる事を忘れない。忘れないための、神が与えて

くださった賢い教育ツールの数々があるのです。

 

出エジプトを、思い出す日。自分が今も奴隷のまま、

奴隷のアイデンティティだと信じ込めば、神の約束された

世界へ入れない。荒野で生きた出エジプト、1世代目は

皆死に絶えたと書かれている。頭脳に割礼が無いまま、

死んだと書いてある。約束の地に足を踏み入れる事が無い

まま。たった二人だけ、頭脳に割礼=新しい人=神の目から

全てを見る事、神の似姿が取戻されている、

本物のアイデンティティを、40年間荒野で、神のレッスンを

生きて学習したヨシュアとケラブだけが、約束の地に足を

踏み入れ、全てを神の中で享受する事が出来たのです。

 

今週のトラーの箇所は、出エジプト13章17節〜17章16節。

聖書の中でも、ドラマチックな展開の場所。

そして、この箇所が聖書のどの箇所にも

ぴったり繋がっている内容が書かれています。

 

奴隷状態であった事。

詰まり、”自分の本当のアイデンティティ”=神の似姿に

造られた人である事を、異教の地、異教の神々に仕える国で、

忘れて生きて来た、詰まり”IDENTITY THEFT"自分の本当の

アイデンティティを盗まれて生きていた。

偽のアイデンティティ=この世の教え、人間が定義する所の

あなたは誰か?と言う、偽ものの姿の教えを刷り込まれて

生きて来たそこから脱出させて頂いた事を、祝う日なのです。

 

毎週シャバットの晩さんに、出エジプトの箇所を読みます。

そして、家族を祝福し合う祈りをします。

二つのパンと、祝福、喜びの印であるワインを頂く。

 

人は、神のデザイン通りに生きる事がピッタリ。

そして、神の言われた通りをしてみる時に、神は約束された

様に、不思議な事を体験させ、教え続けて下さる事を

発見するのです。

 

Shabbat Shalom

 

静に咲いている花。花は花らしく咲く状態が、

神の意図通り。神の性質の美が現れ出る。

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シャバット準備。忙しい日々にピリオド。止まる。

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