全ては食べる事に繋がっている 言葉 食べ物 命のパン | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神の言葉が律法であり、歴史の途中で神の言葉は、

律法から、恵みへと変身を遂げたと言う教えの、

その根拠は、一体どこから来たのか?

 

律法と言う言葉と、そのコンセプトの根拠、由来は、

聖書ヘブライ語のトラーと言う言葉が、

ギリシャ語に訳され、そしてその翻訳の翻訳にされる時、

不適切な外国語に訳されてしまったためです。

 

ヘブライ語聖書の、古代ヘブライ語の意味、意図、中身とは、

ずれた翻訳と、そして、西洋新宗教とその宗教の神学が、

4世紀に作り出された後、新しい宗教の教えに、

のっとり作り出された、コンセプト、教えのおかげです。

 

詰まり神の言葉や、契約が変わったのではなくて、

人の造った宗教に基づいた考え、教え=神学と言うものが

出現して、その教えを土台にし、その教えに沿って、

聖書を眺める事をして、2000年以降は、新しい教え、

契約、古い教えは終ったと言う教理を人間が造り、

神の言葉を修正液で消すが如く消して、

人間の教えに塗り替えた結果と言う事です。

 

これから、載せようと思っている、マタイ15章11節以降の

イエシュアが”食べ物”と言う言葉で、説明している内容ですが、

この箇所は、2000年以降、食べものの種類の規定が変わった

話ではないのです。

ラビ達の、人が作り出した儀式=食べもの、食事をする前の

儀式に関しての話をイエシュアがしているのですから、

その議論の中心もぶらしては、この様な箇所を読んで、

即座にイエシュアが、トラーに書かれている神の言葉を、

変更したのだと言う、別の教えを作り出してしまう事に

なるのです。

その様に誤解して、様々にトラーは終った根拠と解説

されてしまっている箇所が、

福音書から、黙示録の中で発見できます。

黙示録などは、コード化された暗号的な言葉、

トラーを知らないローマ政府には分からない、暗号言葉で

書かれているのですから、それを、そのまま読んで、こうだと

解釈している箇所も、結局ヘブライの世界の人の目から見る

トラーから見ると、ずれた見解である事が見えて来ます。

雲に乗ってくる、空飛ぶ孫悟空の世界を知る異邦人達と、

ヘブライの世界の人達が、雲、雲に乗ると言う言葉を

聞いた時の、捕らえる、理解する内容が全く違うからです。

 

プラス、この食べものと言う事に関しては、理解出来ない

点でもあると思います。

詰まり、食べ物に関して話すと”古い律法に戻るのか〜”と言う

反応になってしまう事が多くあると思います。

古い律法?そんな事聖書のどこに書いてあるのか?と言う

基本にまず戻らないとならないのです。

神の言葉が途中で変わると言う、進化論的な人間の考えで、

神の言葉を読んでいては、分からなくなるのです。

 

どうして、そんな反発や違和感感じるのか、

その理由は簡単です。

書かれている食べもの種類が、猫、犬、ゴキブリ、

アルマジロ、ネズミ、コウモリなどだったら、

誰も律法だ〜縛り付だ〜とは、思わないからです。

そんなもの人間の食べ物ではございませんと普通に

思えるからです。自分の慣れ親しんだ事から、

自分の生まれたままの肉の目から、神の言葉を眺めていると

言う盲点に気がつけば、分かります。

神の言う事、自分の理解を超える事を、神がそう言われるの

なら、重要な意味があると認めようとする事が

出来ない弊害なのです。

自分の習慣、自分の考え、都合にそぐわない事を言われた

時にどう反応するか?と言うこの一点に付きると思います。

自分が大事に好んでしている事が、実はハター=神の目から

ズレている、意図通りではない事だと言われたら、

何か理由を見つけて、それを続ける根拠としたいから。

 

そして、神の言われる事はそんな複雑な事ではないのです。

聖書の最初に書かれている注意点に注目すればクリアーに

理解出来ます。

 

単純そのもの。無視しても、何て事ないさと思う事。

直ぐに影響でない。すぐに死なない。見た目に良い。

味わって美味しい。日常する事。

”食べ物”とその”食べ方”に関してです。

何故そこにそんな事が書かれているのか、ふか〜〜く考えて

行くと、神の言われ意図が不変である事を発見できます。

単純な事でも、言われた事以外をしたら、

”危険だよ”と、神は、はっきり忠告したのです。

 

”命の木”からだけ食べなさい。

詰まり、神が指定した事だけから、食べる、生きると言う事。

神の言われたやり方だけを、取入れる。自分の思い通りの

やり方では、ずれると言う事。

それ以外は、あなたの本当の姿で生きる事を、

阻みますよと言う警告です。

 

今も同じです。

そして、蛇がやっきになって、必死になってしている事が

書かれています。

”神の言葉から意識を反らせる事。別の言葉、教えに耳を

傾けて、神の言葉が永遠不変、重要ではないと思わせる事。”

そして、戸口で、私達が蛇の言う事を聞き入れる事、

取入れて生きる事を、待ち伏せていると書かれています。

戸口に来ても、家の戸を開けない、そして、自分の家の中に

招き入れなければ、蛇は入って来れないのです。

 

だから、律法と言う言葉で、神の言葉を訳されてしまった

時点で、この作戦は、ほぼ成功していると思います。

何故なら、聖書の三分の2=神の言葉を学ぶ事も、

知る事も、余り重要と思わなくなるし、終った教えだと言う

お蔵入りになってしまったら、そこに書かれている神の

言葉の意図の本当の意味を知りたい、学びたいという

願望、意欲も無くなる。

 

詰まり、大きな家の中にたくさんの部屋がある。

いや天の家には無数、無限の部屋がある。

その部屋の戸口が閉ざされている、使用不可、終了と思い、

その部屋の中に入ろうとする事もしない。

詰まり、神との、本当の自分で生きる体験の世界の

無限、無数の領域を、閉ざされてしまっていると言う事。

狭い範囲しか、体験できない。素晴らしい関係の世界の

扉を開けようともしない。

終って終了して、閉じた部屋には何も無いと思っているから。

 

でも実は、その扉を開けると、宝の宝庫。

王宮の王様の奥の奥の間に繋がる、素晴らしい世界。

それを、見せたく無い存在が、神の言葉を終ったと言う。

 

でも、嘘から目覚め、探求して発見してしまう人々が居る。

 

 

続く