誤解されている箇所の数々 マタイの福音書 15章 2000年以降はトラーが終ったとする根拠は? | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

イエシュアは、トラーを否定するために、

この世に来られたのではない。

実は、トラー=イエシュアそのもの、人間の本来の姿を

そのまま教え、生きる事を教えるために地上に来られた

のです。世界に何世紀の長き年月に渡り、伝わった

人造神学都市伝説とは、全く異なる、違う事が、

聖書には、書かれている。

イエシュアの口からも、直接語られている。

 

古い律法、昔の呪いを破棄するために、来られたと言う

教えは、4世紀以降出現した”人が会議で取り決めて、

決議した、人造教理、教義、神学”です。

歴史の中で、どの様にトラーを否定する教え、神学が出現

したのか、その経緯をきちんと調べれば、知れば、

はっきりと分かります。聖書だけを読んでも

書いてあります。

 

神は神の言葉、契約は永遠不変と宣言し、人がその神の宣言

を否定してしまったのです。しかも、聖書を教える立場で

あるはずの教父、教師達により。

いつの時代にも、サタンの挑戦は、神の言葉を抹殺する事。

知らない間に、神の言葉を、盗んで曲げる、変形する、

覆い隠す事だからです。

 

太古=いにしえ=永遠からの神の知恵、命のパン、

神と人を繋ぐ安全綱は、永遠から中身は同じ。

進化論を信じているがごとく、人間が別ものに進化したり、

神の言葉は進化しない。神の言葉は、完了の業は、

完成形、完全、無欠。

シャローム=永遠不変、欠けのない丸ごとそのものと

書かれているから。

イエシュアは、神の言葉の一点一画漏れなく、

神の意図通りを解釈し、

生きる事を教えるために来たと言われたのです。

 

なぜ、イエシュアがそう言われた事が、

福音書に記録されているのか?

当時の、いや、どの時代にも、神の言葉の意図を、

そのまま理解せず、トラーの中身を、人間の教えの

解釈を付け足して、ややこしく、複雑にし、

本末転倒の教えを作り出し、人にそれを生きる様に

要求して来た事があったからです。

 

それは、彼ら=トラー学者達が、それが真剣に神の教え、

神の意図通りだと思い込んでいたけれど、

実は、彼らの解説の教えの中身は、神の意図とは全く外れた

世界を、語っていたのです。

それを、”あなた方は、トラーの中身を、〜と聞いて来たが、

わたしは〜と言う。”とイエシュアが、言われた事が

記されているのです。

 

信じた頃に、その様なイエシュアの発言の解説を

この様に教えられました。

”ほら、これが古い律法が破棄された証拠だよ。

古い教えを一掃し、新しい教えをイエスさまは、

語っているのよ。呪いの時代から、恵みの時代に突入、

新時代の新しい教えが出たのだから。”と。

もし、パウロがその箇所を、直接私に、解説して下さったら、

この人造神学を基にした解説とは、全く逆の、違う、異なる

回答をしてくださったでしょう。

トラーの中身は永遠不変と言う根拠から、

コメンタリーを解説したでしょう。

 

成就と言うヘブライ語の言葉は、それを意味します。

破棄、成就とは、当時のラビの世界での慣用句です。

破棄=トラーからズレている解釈、ズレた事を生きる事。

成就=神の意図通りの解釈、神の意図通りを生きる事。

 

神の言葉は一点一画永遠に不変と言う神の宣言された大前提を

ずらさないで、聖書を読み、聖書の中に書かれている

内容を、きちんと把握すれば、様々な箇所で

論じられている内容の論点は何かが、はっきりして来ます。

 

ヘブライの世界の人々、エデンから始まり、預言者、

聖書記者、使徒達、イエシュア、パウロ含め、トラーの

中身を語っている、彼らの教科書、根拠は、トラー、預言書、

諸書のみ、又は変更された新しい内容の契約や、言葉では

ないと言う事実に、色眼鏡を外して、目を見開いて神の

言葉に書いてある意図通り、意図通りを読み、

決して、神の言葉の意図、意味を、人の教えの解説を

通して変えないで、ずらさないで聖書を読むのです。

 

マタイ15章

1.   ときに、パリサイ人(びと)とトラー学者たちとが、

エルサレムからイエスのもとにきて言った、

 

パリサイ派の人々とトラー学者達と、書かれています。

全てのパリサイ派の人々と、トラー学者がズレた、

トラーの解釈をしていた訳ではない事実があります。

どの時代にも、神は“残りの民”を必ず保存しているからです。

全員がズレたら、神の言葉は消滅してしまいます。

地の塩、世の光をそのまま伝える、生きる人達を、

神が必ず保存している。

ここで、たまたまイエシュアに出くわしたパリサイ派の人々、

そしてトラー学者は、“人間の解釈”でトラーの中身を変形させ、

人々に人間の作り出したルールに乗っ取った生き方を、

他者に強要している、その様な人々が信じている教えの

内容の事が書かれているのです。

 

今の世とて全く同じです。神の言葉とは全然関係の無い“

人間の決め事”を、実は、たくさん生きて居る事に気が

つかないまま、生きているのです。

そして、余計な事をして疲れる。自分の家族の時間が奪われ

本末転倒な結末となる。

 

それと、同じです。あるグループが造った決まり事、

ある人々が作り上げた宗教活動や、人が作り出した教え、

ノルマ、信仰目標、使徒信条や、聖書の解釈、

人間の造った聖書に関係ある様で、実は神の言葉の事実とは

ズレている、異なる、仰せでもない行事、イベント、

人間の造った教え、と言うカテゴリーの中に入るのです。

 

それらに賛同しない人は、不届きもの、神に逆らっていると

さえ、固く信じ込んでいる人達もいるからです。以前の

自分がそうだったので、分かります。

それら人間のルール、決め事が、神の言葉と同等の実質、

真実であるがごとくに、信じ込み、只誤解している

だけなのです。

そして、只の人間の教えを知らないままに、神の仰せだと

思って生きて居る。

 

2.   「あなたの弟子(でし)たちは、なぜ昔の人々の言伝えを

破るのですか。彼らは食事の時に手を洗っていません」。

 

ここに、はっきり書いてある通り、“昔の人々の言い伝え=

人間の作り出した伝統をあなたの弟子達は破るのか?”と

イエシュアに質問、疑問を投げかけ迫っています。

 

神の言葉を、人間の読み込みで、内容、実質を変えて、

それが長い間の伝統になって人々の間に定着し、

誰でもやっている事なんですよと言う。

只の人の作り出した教えなのに、神の仰せと同様ですよ

としているのです。

なんであなたの弟子達は、その伝統を破るのか?

と言う質問です。

 

続く