聖書の記述に忠実に検証する 使徒13:39 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

義や、救いは、人が決して自分の努力では得られる性質

類いのものではないと、神の言葉の中に書かれています。

人間がどんな方法かで、義、救いを得られるのだとしたら、

イエシュア=永遠から完了の業など不必要になります。

 

トラーを生きる人は、律法主義だ〜と言う、

人間の教えがあります。

トラーを生きる事で、行いによって、義を得る事だと

書かれていると、勘違いしているからだと思うのです。

いや、トラーを生きる事で、義を得ようとしていた、

ずれた人達に対して、イエシュアも、パウロも忠告

しているのです。トラーを生きる上での、

用途、目的、動機がズレていると言う事が、

書かれている事を知れば、クリアーに見えます。

義を得るために、トラーを生きるとするならば、

逆噴射する。だから、そんな事では誰も義とされない、

と書かれています。

 

しかも、生きる事はキリストと言う言葉が、その教えに

よれば、退けられてしまいます。

イエシュア ハ マシア=トラー、預言書、諸書だからです。

生きる事=神のデザインの人=イエシュアを生きる事

だからです。

 

救い、購いは、トラーに書かれた事を実行して、

得られる類いのものでは無いのです。

人は、宗教の教えにハマると、無意識にも、行いで、

神に認められようと言う事をしてしまうのです。

100%義や救いを得る手段は、人間の努力などでするのでは

ないのです。100%神から与えられた無償の恵みを只只

受け取るだけしか出来ないのが、救い、購い、義とされる

事なのです。

トラーを生きる事で、義を得られるなどと言うのは、

聖書とは違う、事実無根の教え、神の言葉とは

無関係な教えです。

 

聖書で言う所の律法主義とは、まさに、自分の努力により、

自分の行いの手柄、業により、肉の方法で義、救いを

得ようとする事、と言う説明がされている通りです。

トラーが存在する目的が、見えてないだけなのです。

 

トラーは婚姻契約なのです。

聖書は、婚姻契約の内容で全て綴られているのです。

救われた人達=花嫁=婚家に嫁いだ後、

婚家の印=トラーを生きる様に神がデザインされている。

人間の本来の姿、神オリジナルのデザインの姿が

トラーに書かれているのです。

救われた人、義とされた人達が、生きる生き様なのです。

救われるために、トラーを生きるのではないのです。

 

この点を、多くの人が混線している、誤解している

のだと思います。

 

夫に繋がれる事。生涯夫だけを愛しますか?

夫の言われる事を生きる事は、律法ですか?

 

神の言葉=律法と言う、聖書に出て来ない間違った教え、

概念をまず捨てない限り、始まらないのです。

言葉には、意味があるのです。別の言葉で、

意味にそぐわない、合っていない、ふさわしく

ない言葉で、神の言葉に関して語る事からして、

やめないと、開かずの間のドアが解除されない。

 

夫は妻を律法でがんじがらめにするのでしょうか?

そう言う人も居るでしょうけれど、神は違います。

安全のため、他の教えに走り、別ものと混ざり合い、

汚されて行かないために、傷つかないために境界線、

安全地帯=安全な神の家の中に住う事、

留まる事が与えられているのです。不健全、歪んだ束縛

とは、まるで違う世界です。

 

安全な境界線、守りのガードが与えられているのです。

それとも、自分の夫の言う事を退け、

隣の男性の言う事をを聞く訳?

それでは、隣りの人の家に行って下さいと言う事です。

あなたは、熱いか冷たいかのどちらかにしてと

はっきり書いてあるのは、中途半端、混ぜ物の教えに

留まる生き方を、神は忌み嫌うと書いて

ある通りだからです。

愛=婚姻契約の愛の姿に、あなたは生きる事を

選択しますか?と言う、神からの問いがあるのです。

 

神の言葉を生きるのか、生きないのか?

それを、選ぶのか、選ばないのかは、100%

その人の選択にまかされているのです。

夫の言う事を聞かない、耳を貸さない、拒絶するのか

それとも、夫の言葉を一言一言宝石の様に大事にするのか。

神の言葉を捨てる、終ったものとする事は、

まさに、神の言葉、夫を拒絶しているのと同じ事なのです。

誰がいつ、神の言葉が終ったと言ったのか?

神?それとも、人間?と考えたら分かります。

あなたの前に命と、死を置いたと書いてあります。

 

神の言葉は100%愛=契約の命の保護ガード。

人間の教えを信じて、神の言葉が永遠不変と書いてある

言葉を素通りしてしまい、この事実に気がついてないから、

拒否するのだと思います。

神の言葉のある部分が、あたかも、悪いもの、古いもの、

終って要らないものであると言う

意識が根底に植え込まれているからです。

 

でも、あなたは命を選びなさいと、はっきり書かれています。

それは強制執行など出来ないのです。

自由意志、自由選択に任されている。

今日、今この時も、自分が考えている事、発言している事

自分の自由意志、発想である事でも分かります。

 

トラー=神の造られた人間の姿を生きるのか、

自分が編み出した別の教えを重視し、神の言葉=トラー、

インストラクションをもう終ったものだからと言う

人間の教えに聞き入り、退けて、自由気ままに勝手に

生きるのか生きないのか?と言う事です。

 

続く