置換神学を考えると、見えて来る事が分かります。
この様な考え方をしていると思います。
1 2000年以降、イスラエルが受け取ったモーセの契約が
完全に破棄されて、終らせて、今度は新しい契約、教え、
新しい福音が出現した。呪いの時代から、恵みの時代に
入った。
2 その新しい福音、新しい優れた契約を、今度は異邦人が
代表になり世界へ運ぶ、伝える役割を与えられた。
ユダヤ人の知らない優れた、福音、契約を受け取った。
ユダヤ人ではなく、異邦人が、究極の真理を掴んだのだ。
しかし、聖書の中に書かれている事実は、使徒の中に出て来る、
パウロの書簡を当てた異邦人達、当時の異邦人信者は、
聖書が閉じられた後に、4世紀に人間ローマ皇帝が創作した
宗教や、それに基づく神学、トラーとは異なる、
新しい教えなんて、誰一人として信じてない事実が
聖書にちゃんと記されています。
先入観無しに、読めば分かります。
トラー、預言書、諸書の中身に書かれている、
イエシュアが地上に現れ、実際に生きてみせてくれたトラーの
姿=神のデザインした人間の姿。
トラーに書かれている事が地上で、実際に人間の肉体を取って、
生きて人々の間に表されたと、何も変わらない”契約”=トラーを
信じて生きていたのです。そこが盲点なのです。
使徒に書かれている、パウロが書簡を送った諸外国の
異邦人信者達は、丸ごと同じく、トラーの中身だけを
生きていた事実が、人間の教えの解説の中から
消されているのです。
どうして、消されたのか、後に書く中世での出来事を
知ると分かります。ローマ帝国内で、トラーを教える、
生きる事を、禁じたからです。それを信じ、生きる人達は
全て処刑されたのです。
こう言う事実を知ると、神が言葉を変えたのではなく、
政治的圧力で、人間が勝手に神の言葉をねじ曲げて
抹消しようとしたのです。
その様な経緯を経て、トラー=古い、悪い、終ったと
言う意識が世界中に浸透して行っただけです。
ユダヤ人は、死んだ、終った教えを聞いていて、福音に
対して無知である。
命の無い生き方をしていると言った所だと思いますが、
パウロもユダヤ人です。変わりなく、死ぬまでヘブライ人、
死ぬまで、パリサイ派の中のパリサイと宣言した通りを
生きていた事実があるのです。
そして、パウロは、トラーを教え、トラーのみを生き抜いた
事実がちゃんと聖書に書いてあるのです。
パウロが新しい別の教えを作り出した事も、書かれていないし、
それを、生きてもいない。神殿で、パウロが、高額なお金を
払い、ナジル人の誓いを果たしたと言う
それが何を意味するのか分かれば、クリアーになります。
聖書にある”使徒の書簡”や、それ以降の書簡を、パウロが
書いている最中も、イエシュア信者は、殆どがユダヤ人です。
プラス、現代でも、多くのユダヤ人が、イエシュアを信じて
トラーを知る彼らの教えの中身の深さは、まるで違います。
何故か分かります。
神の選びだからです。神の言葉=契約=トラーを代々
保存し続け、生きる任務が神から与えられているからです。
染み付いている。
そして、世界には20世紀以降、多くのユダヤ人、
ラビ達を始め、イエシュアを信じ始めた
信じる人達が続出しているのです。
それは、多くのクリスチャンたちが、西洋教父の造った神学が
間違いであると気がつき始めた事にもより、考えを変えて行った
事も要因であるのです。カトリック教会も、トラーを変えたのは
自分達であると勇気ある宣言をしているのです。
これは、大きな要因なのです。