神の言葉を忠実に復元 再現しないなら ヨハネ1:17 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

ユダヤ人の、イエシュアを信じる人達、又はユダヤ人の中に

根付いている、神からの深い教えを感じる事がしばしば

あります。

神の言葉を忠実に、熱心に探し求める態度。

そして、神の言葉が永遠不変だときちんと信じている事。

イスラエルへの契約が途中で破棄されるなんて、

信じてたら、神から永遠の契約書を、人類の代表として

まず渡された人、その責任を負っている人達は、

どうなるの?と言う事だからです。

途中で、神が契約を変えたら、全ては茶番劇と化すからです。

冗談もほどがある〜と言う事です。

 

彼らは、神の契約が終るとか、神の言葉が途中で終ると

言う考えを、聖書に基づき全く持っていない。

それは、神の言葉に基づいて、真実だからです。

ヘブライ語聖書に書いてある事に基づけば、神の言葉が

途中で、変化すると言う教えが無いからです。

ユダヤ人でその様な考えをする人達は、ギリシャローマ

人間哲学思考をインプットされている、諸外国で育った

人達であると言う事です。

 

そして、神の言葉の最初の三分の2が、”律法”であると言う

その様な教えや考えは全く無いのです。

その思考回路は、ヘブライ語聖書とは違う。

聖書に基づき100%真実では無いからです。

世界の都市伝説と、ヘブライ語聖書の神の言葉とは

異なる点が、あらゆる面で多々あるからです。

 

聖書には、神の言葉を指して、”律法”と言う言葉で

書かれている箇所は、一カ所も無い事実が、

ヘブライ語原語聖書には存在します。

だから、神の言葉に対して、律法と呼ぶ、その呼び名を

とにかく絶対にやめる。神の言葉を律法と呼ぶのは、

外れた考え、ハターである事を知れば分かる事です。

山田さんを、スミスさんと呼ぶのと同じ事です。

歌舞伎なのに、バレーと言う、親子丼なのに、

カレーライスと呼ぶのと同じ事です。中身が違う。

別の人物、物を、実態にそぐわない別の名で呼ぶ事。

 

そして、神のトラーは、古代中東近辺に存在していた

”婚姻契約書”の形態で、そっくりそのまま

書かれているのです。

そして、神の言葉を、”トラー”とヘブライ語では、

呼ぶのです。

トラー=神の教え、インストラクションと言う意味。

 

とにかく、聖書=神の言葉を正確に知るためには、

間違った理解、間違いの前提を、まず正す必要があるのです。

 

そして、本当の神の言葉に根拠を置いて考えない限り、

人間の教え、聖書とはズレた解説は

後を立たず、作り出されて行ってしまうのです。

だから、世界には、41000以上と言う、宗派が存在

している、それが何よりの証拠です。

 

詰まり、変わった神の言葉と言う教えを元にしてしまえば、

何の教えでもありの世界になってしまうのです。

その通りになってしまっているのが、今の世の中の教えの

現状です。

 

人の判断、基準で神の言葉が終了、有効と勝手に仕分けて

しまっている教えのオンパレードが今の宗教の世界の現状。

み言葉を聞けない飢饉とは、神の言葉が塗り替えられて、

原型をとどめない状態を指しているからです。

神の言葉が、何かの本当の意味が分からない世界=御言葉

を聞く事が出来ない飢饉と書いてあるからです。

 

しかし神は、残りの民=本当の意味は、購い出された人達を、

ちゃんと保存しているから大丈夫なのです。

購い出された人達が、正確に神の言葉の実態と

その生き様をどの時代にも継承しているからです。

神が、神の言葉を保存するために、神の言葉を、そっくり

そのまま伝え、生きてガードする人達を、どの時代にも

保存されている。そうでなければ、神の言葉は、簡単に

全て薄められ、歪められ、原型を保存した神の言葉を

継承されなくなってしまうのです。

 

”神のトラーは、完全”とダビデが知って発言、認めた様に、

途中で変わらない、途中で終らない。

 

別の新しい教えなど、イエシュアが昇天された後も

作り出されてなどいないのです。

パウロも、トラーを捨てて新しい教えを作り出した、

新宗教の教祖様ではない。

新宗教の教祖様は、4世紀のローマ皇帝コンスタンチヌスです。

その事実に事実に戻らない限り、迷路に入り込んだままになる。

神の与える広い世界に入って行く事なく、

自分の悟りの狭い世界の中だけ、自分教の世界を、

生きる様になってしまうのです。

 

続く