罪と言うと、なんか犯罪めいた事に関わる、
またモラルに関わる事だけに関してのように思いがちですが、
トラーを覗き込むと、罪=的外れとは、神のデザインから
はみ出して生きる事だと書かれています。
北イスラエルの10部族が、何故散らされたのか、その”原因”を
預言書の中で、知ればはっとします。
ヤロブアムの罪とは何なのだろう?
人の目から見て、大した事無いと思う事が、実は神の目から
見たら酷くズレた反逆である事が書かれています。
神のトラーと、神の定めの時=モアデイムを変更し、別ものに
変身させて神の造られたオリジナルの姿を汚す、
変えてしまう事です。
はっきりと書かれています。1列王記 12:32
1列王記 12:32 またヤラベアムはユダで行う祭と同じ祭を八月の十五日に定め、そして祭壇に上った。彼はベテルでそのように行い、彼が造った子牛に犠牲をささげた。また自分の造った高き所の祭司をベテルに立てた。
12:33 こうして彼はベテルに造った祭壇に八月の十五日<これは、第七の月のこれから来る仮庵の祝を変更して、第八の月にした。>に上った。これは彼が自分で勝手に考えついた月であった。そして彼はイスラエルの人々のために祭を定め、祭壇に上って香をたいた。
それをすれば、神の家の子らのアイデンティティを
失う事に繋がる事に気がついてない事です。
そして、聖書に書かれている預言者達は、トラー=契約の命に
生きる姿に戻れ、異教の神々の生活習慣、慣しと同化し続ける
事を一切やめよ、神の中に戻れ!と言う警告をして、イスラエルに煙たがられ殺されました。
イスラエルが艱難に会ったのは、メシアを信じないからでは
ないのです。
”神のデザインした人間の姿=トラーの中身から外れて生きた時”
神の艱難と言う、訓練が襲った。
国を追い出され、異教の神々の国に散らされて行った事が
はっきり書かれています。
いつの時代も、神のトラーとは別の教えと同化すれば、
神の言葉なんて、真実に聞こえない、どうでも良い、
預言者達を抹消する事を平気でしてしまうのです。
実は、自分が、神の国建設の業の邪魔をし続けている事に
気がつかないで、破壊が自分の身に及ぶ事を考えなかった
イスラエルの状態が書かれています。
神の言葉を無視する事、神の言葉の中核、完了の業に対する、
軽視、ないがしろにする事は、すなわち、自分の命に対して
敵対している事なのです。気がつかない間に破壊が襲う。
それらはすなわち、私達を守る、安全なフェンスに穴を開ける事だからです。
イスラエルの神の子らが、別ものの姿に変身してしまう。
同化=姦淫の罪と書いてあるのは、神の言われた通り、
神のデザインした通りの姿ではなく、異教の神々の教えと
混じり合い、人間本来の姿を生きる事が何か、分からなく
なる事なのです。
それぞれの家の家訓が在る様に、イスラエルの神の家にも
神のデザインされた独特な生き様があるのです。
それらが、本来の人間の生きる姿なのです。
神が言われたら、永遠不変です。
神の招きに応じるひと達は、安全に神の中、神の家の中に
住う事が出来る。単純なのです。
神の家の子らにされたら、今迄知らなかった様々な
婚家の慣し、生き様を1から学習するのは、当然の事。
縛り付けでも、律法でもない。
愛するひとの言葉を、漏れなく聞き逃したくないと考える
意識と、花婿の声が、うっとうしい律法に聞こえる様ならば、
それは、中心がズレていると言う印でしょう。
イスラエルの神は、このミクラ コデッシュ
シャバットと、モアデイムを最も重要とされています。
だから、この”主の日”に、神の業をされている事からも
分かります。
2017年、今日この日も、神の定めの日、シャバットは
変わっていません。
続く