詩篇 19:7主のトラーは完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。
2000年以降は、何でも自由〜! 新しい時代が到来した。
呪いと怒りの暗黒時代は終わり、恵みと許しの時代が来た。
何でもやっていい、今までの神のトラーは全部チャラ。終わり。
だってイエスさまが来てくれたから。
今までの教え=トラーは、イエスさまが来るまでの仮の教え。
呪い、束縛、律法だった。又は、イスラエルだけが
やってれば良いものだ〜。
イエスさまが、トラーの中身を全部地上で生きてくれたので、
もう2000年以降はそれを生きる、やる必要がなくなった。
面倒な事、それは終った。
又はイスラエルだけへの教えだ〜。
新しい時代が来た。
新しい教え、新しい約束が来た。
律法を終らせた教えに変身。それこそが、聖霊溢れる、
新しい命。。。
律法に書かれている事は、全部終り。いや部分的に終わり。
<その判断基準は、人間が決めた>
何でもして良い、どんな生き方しても、何をしても、
何を食べても、何を考えても、自由自在に生み出せる、
人間の生きる生活スタイルの全て。
全部自由〜自由はいいな〜。
窮屈じゃない感じ。爽快。
色々な規則、律法は終わり、縛り付けは終わり、
呪いは終わり、新しい時代が来た。
その様な教えを聞き続けて来ましたが、聖書に基づき本当の事なのか?などと、確かめなければ分からないけれど、聖書に戻り
何が書かれているのかだけを、根拠にすると、
全部聖書には、全く逆の事が書いてある。
その土台、柱、スローガンは、”神、神の言葉は永遠不変”
トラー、預言書、諸書=イエシュア御自身とまで
書いてある。それを捨てるの?終らせるの?
福音書から黙示録までは、トラーのダイジェスト版であるのに、
トラーの中身が何であるのか、知らなければ分からない。
そして、実際の所は、その”新しい教え” ”新しい契約”
なるものが書き換えられた形跡は実在しないのです。
2017年の今日に至るまで、その様な別物の新しい契約が
存在する根拠、証拠も何も無い。どこにも無い。
いや、神の言葉と言う証拠があります。
神が、神の言葉は永遠不変、一点一画も付けたし、削除する
なかれと言いながら、別の契約を書いたとするなら、
それは、”嘘ものの神”になってしまうのです。
人間の世界でも、契約内容が変われば、新しい契約書に
新しく付け足された内容が書かれて、双方の印鑑または
サインをして、新しい契約が交わされるのです。
古代の契約とて、同じです。
トラーは、特に”申命記”は、古代の契約書そのものなのです。
そして、天と地が証人。
その地上の証人達が、シナイ山でのモーセとイスラエルと
一緒に出エジプトして来た異邦人達。
そして、10の言葉で表される、トラーの中身は不変。
だから別の内容を付けたして、書き直しする必要など無い。
新しい教えが書かれた”別のトラー”なるものは
この世に存在しないのです。
”ブリット”=カヴァナント=契約が書き換えられたなら、
新しく内容が書き換えられた書と、印と証人が
必要なのに、それがどこにも存在しないのが実際の事実。
存在しない”新しい契約”=人間の教えを根拠に
神の言葉が語られては、見えなくなって行くのは、
当然の結末。
神が神の言葉を捨てるなかれと忠告して下さっているのに、
逆をすれば、その刈り取る結末は付いて来る。
使徒2章での”シャヴォート”の出来事も、シナイ山の再来の
出来事。トラーが永遠不変であり、今度は異邦人の世界へも
正式に伝えられ運ばれる幕切り。
新しく再更新された契約は、今度来るべき世で、
全ての人の頭脳のタブレットに、刻み込まれる=トラーそっくり
そのままが自分の思索100%とピッタリ重なると
書かれています。何も変わらない。
神の言葉=トラーは、丸ごと”神と人を繋ぐ絆”
人間に取っては、保証、命綱、安全な囲い、
神の中に住う重要なものなのです。
命のパン、生ける水と書いてある通り。
トラーはイエシュアそのものなのです。
続く