ギリシャローマ哲学思想から眺める、ギリシャ神を眺めるが
ごとくの、異教の神々の顔に塗り替えられた”イスラエルの神”。
イスラエルなのに、ギリシャローマ。
イスラエルなのに、西洋ヨーロッパが拠点、発信地。
イタリアンの神の如くに、いつの間にか変身させられて
しまった、人間の教えが語るイエシュア像。
正確には、4世紀以降に、変身させられてしまった
イスラエルの神=イエシュアの本当の姿。
ヘブライ色を全部削ぎ落としてしまった、教え。
それが人造宗教。
前にも書きましたが、とあるユダヤ人が、イエシュアを
信じた後に、こう証言していました。
”ジーザスとは、イタリアの神様、イタリアの宗教の
教祖様かと思っていた。”と。
これを聞いて私は、思わず大笑いしてしまいましたが、
考えたらぞっとする、事実では無い事が、真実だと
世間に伝わってしまっている。
イスラエルの神=イエシュアなのに、違う神像に変形
されてしまい、それが世界に伝えられて居る。
西洋宗教のお祭りの主人公、神として、語られている。
それは、人間の神学と言う”別の顔”を、イスラエルの神の顔の
上に置いて、イスラエルの神の真実を覆い隠すものそのもの。
混ぜ物もの教え。神の言葉とは異なる教え。
オリジナル聖書に書かれている、ヘブライの神とは別の
神像、神の顔=実態なのです。
その一つの教えに、置換神学と言うものがあります。
これは、ヘブライ語聖書の事実とは異なるものです。
世間では主流。これを教える人達が大衆。
でも、それは、人間の肉の目から眺めた、人間が定義する神学。
それとは、反対の事を言う人は、まるで聖書に反する教えを
する事の様に思われる。どちらが本当なのか、
オリジナル聖書に戻り、きちんと冷静に事実だけに基づき、
考えてみない事には、事実発見は始まらない。
アメリカの神学校で、純粋に神の言葉=ヘブライ語聖書の中身を
教えられているのかと思っていましたが、神学校は神の言葉より
人間の神学を重点に学ぶのです。
しかも、神学校の教師の中には、本気で聖書が、神の言葉
なんて信じていない人も大勢居るのです。
信じられないかもしれませんが、事実です。
聖書は、神の言葉とは信じないと言う人達、部分的に
神の言葉だと信じる人達。その中には、聖書の最初の三分の2
は終った教えとする信仰の人達もいるのです。
又は、聖書の中の史実、事実は、実際に在った出来事ではなく、
只の物語なのさ、抽象なのだと言う教えさえも、あるのです。
涙、涙、涙。


その様な方々が、多数教師として存在していて、
その様な考えを聖書を真剣に学ぼうとしている、生徒達に
教えて行くのです。
しかも、聖書を2つに分断して教える事、詰まり、
全般の三分の2と、後半の三分の1が別物の内容の
教えであるとする前提から、神の言葉に対して、
全てを語り教えられてしまえば、
それを習った人達も、それが事実なのだと疑わず、
ヘブライ語聖書に戻り、事実を発見する人達は少ないのです。
残念ながら。
聖書の事実とは異なるが、あたかもそれが真実だと
多くの人に信じ込まれてしまっている、人間が造った神の
言葉に関する都市伝説。
その色メガネから、聖書を学ばされてしまえば、
イスラエルの神が、オリジナルの神の言葉の中に記されている
実態とは、別の神像になって当然の結末なのです。
世界は、第二神殿崩壊後、1800年近くに渡り、
神の言葉を様々な形に、変形させてしまっているのです。
パウロが警告した通りに。神の言葉=トラーとは違う、
別の福音へ走る路線。
神の言葉に、人間が手を加える、付けたし、削除をすれば、
それは免れない結末とある通りなのです。
エハッドの神、一つ家族、一つの言葉、一つの契約が
書かれている、ヘブライ語聖書の中身とは違う解説。
初期の異邦人教父である”ユステイノス”と言う人物が
居ました。2世紀、160年代の出来事です。
“聖書は、ユダヤ人のものではなく、我々異邦人の
物である”と言いました。確かに、神の言葉は、
全人類のためのものです。
でも、ユダヤ人がまず代表として、契約=トラーを、
始めに受け取ったのです。
そして、それを丸ごと、変形せず、保存、保つ
ガードして生きる事を世界へ教える役割を与えられたのです。
異邦人教父達はトラーを変形してしまったのです。
異邦人は、同じ契約=トラーに書かれた契約の中に、
後から加えられただけです。
170年代、リヨンのエイレナイオスは、
”ユダヤ人は、神の恵みを相続出来ない人達である。”
と言いました。
勝手に言ってて、シンドバットの世界ですが。
それは、神の言葉に基づき、事実でしょうか?
テルトウリアヌス<紀元160−230年>は、
”ユダヤ人を殺す”と言う題目の論説の中で、
イスラエルの神は、ユダヤ人を退け、異邦人信者に愛を
示されたと論じます。そんな訳ないでしょう!聖書のどこに
書いてある教えなのですか?と問いたいです。
これらの、教父達の教え、半分正解で半分嘘です。
神は、どの民族も愛されています。
愛とは、”契約”の中の愛の姿です。
そして、ユダヤ人を退けたと言う部分は
不正解です。
続く