矛盾した宣言 罪人の頭?それとも 新しくされた人? | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

パウロが”わたしは罪人の頭”と宣言した箇所を読んで、

”ほ〜らパウロでさえ今も自分は罪人って言って居るじゃない”と

早合点する。テモテ1:15、16

パウロでさえ罪人なら、みんな罪人だ〜と思いこむ。

 

パウロはなぜその様な事を言ったのでしょう。

その本当の意味を知ったら、パウロが今も自分は罪人のままで

罪人の自己像を脱げないまま、生きていますなんて、

言っていない事が明らかに分かるのです。

パウロは他の書簡でも語っている通り、神の完了の業=復活の命に移った事実を教えているからです。ローマ6章にもある様に。

 

簡単に言うと、人を導く立場、トラーに精通して、トラーを

教える立場にいたはずのパウロが、神の意図とズレた事を

していた。

神の言葉を教える立場の人が、神の意図とは違う事を人に教えたり、違う事を生きたりする事、それは神の目から見て一番重たい”罪”だと言ったのです。

 

パウロは極悪犯罪人では、ないのです。

荒くれ者の犯罪者だるなど、そんなのではないのです。

 

パウロの様な背景を持つ人、ローマ市民権を持ち、

しかもヘブライ人。しかもガマリエル大先生、

ラビの中で最高のタイトルで呼ばれる、ラバン ガマリエル

超ウルトラ級トラー学者の膝元でトラーを学んだ、

当時最高峰の学び舎で、学んだパウロ。

 

そして、ローマ政府の下で、彼らの信条に沿って働く役割も

あったでしょう。

その中でイエシュアを信じる人達を迫害する事に、賛同していた。業務上の罪でも実は、屯でもなくずれた事をしていた、その事の強調をパウロがしているのです。

 

パウロは、神の目から見たら、一番重たい罪を犯したのです。

大祭司、祭司達も、神の言葉を教える、人を導く立場の人達であるから、祭司達がするズレは本当の一番重たくカウントされる事が聖書に書かれています。

それをパウロは、知って話しているのです。

 

トラーを教える人が、神の意図、言葉とは違う事を教えたりする、ずれた行動をする、そして人々を誤りに導く事は重大な罪、一番重たい罪だからです。

だから多くの人は、教師になるべからずとある通りなのです。

人を誤った方向に、どの様にでも導いてしまうからです。

麗しい事に表向きは見えたとしても。

 

人を導く立場にあるものが、一番重たいずれをしていた。

それが自分であると言っているパウロの強調宣言なのです。

パウロは、購われ、救われても、なおも罪人の実態のままで

どうしようもない何て宣言しているのでは無いのです。

 

パウロが復活の命にされている事を生きる事実、

新しい人にされている事が、パウロの書簡に全て書かれている。

 

ローマ書にも、ガラテヤエペソ、テモテ、ピリピ コリント、

コロサイetc etc ありとあらゆる書簡に書かれていても、

人が罪人であると言う神学の前提から聖書を読めば、

全部神の言葉の意図は曲がって行ってしまうのです。

 

神の語られる真実が聞こえない、悪い地にまかれた種を

枯れては枯れては必死で水まき、また枯れて同じ事を繰り返す。

神の命を生きる人は、良い地に神の言葉をまかれて、

たくさんの木々、枝を生やす。そして、たくさんの実をつける。

神の言葉をキャッチ出来る良い地。

神の言葉を聞く頭脳の中に、神の真実の言葉=種をまける。

詩篇1にあるように。

 

続く