今自分に新しい新生児が与えられたとしたら。
そして、その子に向かって一体何を語り、
何を教えるのがイスラエルの神、アバ父の御旨なのか
考えてみるのです。
生まれた瞬間から”あんたは罪人、どうしようもない罪人。
原罪抱えた罪人だ〜。あなたは駄目な人。ひずみだらけ
欠けだらけ、ドロドロの人。だからイエスさまはあなたのために
命を捨てたんだよ。あなたがどんだけ酷いのか
気がついているの?どれだけ酷い人なのか一時も
忘れては駄目だよ。だから日々懺悔、懺悔。”
もし、そんな事来る日も来る日もずっと言い続けたら、
その子は一体どんな子に育つ事を期待するのでしょうか。
そんな事を言われ続ける子は、親に教えられた通りの
自己像=罪人が自分の本当の姿だと
疑わずに信じ込むでしょう。
明るくなれる?素直になれる?そんな教え聞き続けて、
本来の自分で生きれのか?言わずとも知れる結末がある。
そんな事イスラエルの神が本当に、言われたのでしょうか?
神は人をトーヴ=神の意図通りに造られたと書かれています。
全く逆の事が書かれています。
そんな毒素な言葉を日々聞き続けて成長する子は
本当に健全な自己像を形成出来るのでしょうか?
自分の親にそんな事毎日言われて育たったなら、
幼子ではなくとも、大人でも、身近な一番大事な人から、
メンターからそんな言葉聞き続けたらどうなるのでしょう。
卑屈になるでしょうね。いじけるでしょう。
本質が罪人、本質がそうならどうやって変えるのか?
本質通りに生きるのが自然でしょう。
”あなたはどうしようもない、罪人だよ。ドロドロ
汚い、ヘドロと同じ。くそみそかす。最悪最悪最悪。
諸悪の根源”
そんな事言われた人はどんな風に育つのでしょう。
どんな自己像を形成するのでしょう?
神の似姿の人にされているなんて、夢にもつゆにも
思えない、信じられない。
神の目から見る”自分”の本当の姿を知る事も出来なくなる。
人の言う、どうしようも無い自分で生まれたのは誰のせい?
なのだろう。生まれる前から、ズレた人で生まれたんだから。
自分に選択権無い事に対して、とやかく言われて、
責められるなんて、とっても理不尽。それって神の言葉、声?と聖書に照らし合わせて考えれば分かる。
あなたの本質は、罪人なんて、そんな事神は言われてなんかいないからです。
”神の似姿そっくりに造られた”とはっきりと書かれています。
神の目から見る事をしない場合、神の言われている事、神の見て
居る通りとは、全然違う世界を考え始めてしまうのです。
それが、人間の教え、人造神学なのです。
神が造られた世界に対して、全部全部全て、神の側で100%責任もってくださっている事がちゃんと書かれています。
全て元通り、修復の手だてを永遠から用意されていた。
元居た場所=神の中=エデンに戻る全て必要な事を永遠の中に、成し遂げていた、用意していた。それが書かれているのです。
本当に教えなければならないのは、本当に知らなくてはならないのは、”本当の自己像”。
あなたは誰か?神に造られた人の本当の姿、トラーに描かれた
人間の姿を教えなくてはならないのです。教える前に、自分が
その事実を知らなければ、人にも教える事が出来ないのです。
神がそう言われたでしょう。どんな時も、寝ても覚めても
子供達にトラーを教えなさいと。
申命記6:6、7
人は一体、一つ家族、だから皆が繋がっている。
家族の中の1人がずれたら、全員汚染されてしまうのです。
影響されてしまう。繋がっているから。
だから、パン種を取入れた生き方は、自分も他者も破壊されて
行ってしまうのです。
だから、そこから購い出す業も永遠から用意してくださった。
ひとつ家族は、一体、親が全部責任を負った。只それだけ。
続く