隔ての壁 戒めの律法とは? エペソ2章 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

ヘブライ原語、ギリシャ語=その裏にあるヘブライ語が

たとえ分からなくても、神が神の言葉=トラーを破棄するなどと言う矛盾が、100%無いと言う事がはっきりと分かりさえすれば、そして神の言葉は永遠不変と言う神の宣言から、ぶれない、ズレない、揺るがなければ、聖書の中の、それぞれの箇所に何が書いてあるのか見えてきます。

 

やはり古代1世紀当時のヘブライの世界の異邦人と、ユダヤ人の関係、どんな状況がパウロの書かれている書簡の裏にあったのか、その背景、どんな根深い問題が存在していたのか?と

言う情報の欠如は、理解の欠如となってしまうと

言う箇所なのです。

 

”使徒”を読んでも、その中に書かれているのは、

殆どがユダヤ人信者達なのです。

1世紀の当時、イエシュアを信じたのも、殆どがユダヤ人だったのです。異邦人は、ほんの極少数です。

 

それ以前から、ユダヤ人と異邦人は、互いに決して係わり合わない、交わらない、交流関係無し、まして友人なんかにもなろうともしないし、食事、食卓も共に囲むなんて事は、絶対に無かったのです。

 

イスラエルと異邦人の間には、固い固い隔ての壁が在ったのです。その背景を知ってパウロの書簡を読み直してみる。

 

現在のイスラエルに行っても分かります。

イスラエル国民である友人から、色々話しを聞くと分かる事が

たくさん出て来ます。

ユダヤ人居住区と、他の民族の居住区が分かれています。

ある場所は、国境ボーダーまであり、パスポートを見せないと

超えられない場所などもあるのです。同じ国の中に。

 

ある地域に入ると、そこはパレスチナ人地区。

その横を車で通り過ぎたりします。

でもある地域は危ない。入っては駄目なのです。

ヘブロン66のルートはとても危ない。怖くて通れません。

 

パレスチナ人の住んでいる場所に行くと、雰囲気も全く

違いますし、彼らは彼らのコミュニティの中だけで、

生きています。

普通の人は、危なくて入って行けない場所なのです。

ボーダーもある場所、そこを超えて入ったら帰って来れないよ

と教えてもらいました。

 

あるユダヤ人達=彼らは”女性”でさえ、下等なものだと

思っている人が居るのです。

 

だから、決して女性には近寄って来ないよと言っていました。

そして、”異邦人=外国人”に対しても、これまたセカンドクラス、選ばれていない民だと思っているから、この人達とも

係わろうとしない人達は大勢いるよと。

でもそうではない人達も居るのです。

 

これも、彼らが”トラー”に書かれている事に、目を開かれていない証拠です。誤解している。選ばれた民=何の役目を一つ家族の中で、神から託されたのか?と言う意味が、

何だか分かって無いと言う事です。

 

聖書の中に隔ての壁がたくさん書かれています。

女性と男性を別ける、神殿での壁や、異邦人を別ける壁や、

それらは、神がそうしたのではなくて、人が決めた事なのです。

 

一つ家族。アブラハムは全世界の国民の父として、

異邦人の中から、その役割を担う様に選ばれた。

アブラハムが偉いからとか、特別だからとかではない。

聖別=神の目的通り、目的に沿って分たれた。

それだけなのです。

1人1人が、神のデザイン、目的通りに神の上に

分たれている=聖なるものなのです。

 

多くのユダヤ人は、ユダヤ人だけの”ブリット”=契約。神はイスラエルだけに約束=契約を与えて保護してくれている。

異邦人には関係ありません〜と思っている。

 

そして異邦人の信者は、こう思うのではないでしょうか?

神の契約は律法、縛り。そんな古い、呪いの教えが終って、

2000年前以降は、異邦人には新しい契約が与えられたのだ〜。

 

この二つの教え、どちらの側も、完全に”隔ての壁”から

話している事に気がつくのです。

 

どちらの考え方も、聖書に基づき真実ではないのです。

 

 

これこそ、”隔ての壁”=”戒めの律法”=人造の教え=神の言葉を誤解して生きる時に作り上げ続けてしまう=

人造の教えで出来た隔ての壁です。

 

神は何をされたと書かれていますか?

”隔ての壁”を打ち壊し”人間の造り出した教え=戒めの

律法”を壊したと書いてあるのです。

 

”戒めの律法”

これは、モーセのトラーの話をしているのではなく、

人間が造り出した教え、解釈の事を話しているのです。

 

今の時代もそうでしょう。どこの世界でも、

どの宗教でも、同じイスラエルの神を信じる人達の間でも、

壁=人造の教えの壁だらけです。

違う教え=違う考え=神の言葉とは違う考え、

教えの壁だらけ。たくさんの隔ての壁だらけです。

神の真実は、神の真実でしか繋がれないのです。

真珠の中に偽物の作り物の真珠を繋げてネックレスを

造れないのです。それは偽物。純粋にパール=真珠とは

言えなくなり、合成と言うラベルを張られます。

 

別の時に書きたい内容ですが、イスラエルとて、

ユダヤ人同士お互いを理解しているわけでもないのです。

そして、特にトラー学んでると思いきや、

ラビの解釈=タルムード=口頭トラーだけを学んでいる人達。

 

そして、メシアニック ジューと言いながら、結局は

中身は派生宗教。その元は、カリスマ運動から派生した

グループである事など。

 

詰まり、一つ家族の間に、”隔ての壁”造り続けているのです。

 

あなた達は、キリスト教と言う4世紀に出来た西洋宗教の教えの中でそのまま勝手にやってて下さい。

私達の中には入って来ないで下さいと言う事です。

あなたたちは、所詮異邦人ですから、神の契約にも、神の国の

慣しにも無関係な部外者よ〜と言う事を言っているのです。

 

 

 

続く