隔ての壁 隔ての場所から神の中へ移った事実が福音 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

聖書を読む、神の言葉を読む理由は、全て神に与えられた、

神の似姿にされた自分を生きるため。それだけ。

自分の命、家族、仲間、コミュニティの生きる姿を

神の意図通り安全に生きるため。

保護ガード。ただそれだけ!

 

自分空想の、人が造った宗教活動することではない。生きる事。そこに移行、移動しない限り、神の内側の外側に留まり続けてしまう。

 

人の教えを生きて、自分の生活が、家族の時間が奪われ、

大事な関係を育む事もなく、何より大事な事が何か

それをガードする事が一番大事だと分からないまま、

別の事に一生懸命邁進してもそれは、主の御旨でも

何でも無い。

 

”たとえ全世界を得ても、まことの命を失ったら

何の特があるの?”天国地獄行きの話ではないのです。

自分がまことの命=神の似姿の人を生きる世界に

入り、それを満喫できないなら、全てを得ても

無意味、虚しいと書いてあるのです。

 

自分、家族が破壊されれば、世界は壊れる。これが

サタンの戦略だからです。それが起きているでしょう。

世界は破壊で渦巻いています。神の創造物を破壊、

神の似姿で生きる事が分からない人達で地が満る。

 

神は、神の似姿の人達がこの地を満たす様に、

デザインされたのです。

エデンにもどろう。気がついた人達から。

気がついた人が、神の似姿の実態を生きる事を

始めたら。

地の塩=契約の姿を保存して、世界へ教える人。

世の光=神御自身、最初に出現した目に見えない

”ひかり”内側を照らす、神御自身の光を世界へ

示す人達。

 

”ここに戻って!”エデン。

チェラビムが、火の刀を持って立っている。

この門から入って、エデン=神の中に戻っておいでと。

 

それが聖書の一番始めに書いてあるのです。

自分の破壊。夫婦の破壊。神と人との関係の破壊。

神オリジナルデザインの在るべき人の姿が、関係が壊れた。

エデン=喜び=神の内側の外側に飛び出てしまった。

別の目=神の目から見るのとは、違う目が開かれてしまった。

歪んで見える世界。真実が読み取れない世界。

 

アダムとエバは、”命の木”=神の言葉を神の目から見る通りだけから食べる様に造られていたのに、別の教え=蛇の言葉に聞き入ってしまった。

それが諸悪の根源。ずれの大元。ピュア、純粋な見方が出来ない。

 

だから、神の言葉を、誤解したまま読んでは、危ないのです。

別の目から見る事を学び続けてしまうから。

特に、神の言葉が途中で、変わる、神の契約が変更されると言う

その人間の教えが、神の真実を覆い隠す最大の障害物なのです。サタンのツール。武器です。

考えたら見えて来る。蛇の言葉は、そのまま”人間の教えと同じ”神の言葉は変わるんだよ〜、そうじゃないんだよ〜と

騙した!!!これに気がついたら、神の言葉は変わりました、契約は変わりましたと言う事、すなわちあのエデンの蛇と

同じ発言だと分かるはずなのです。神の言葉を変形=破壊に導く導火線です。

 

そして、神のデザインから外れた、自分、夫婦、家族の

次の結末は、殺人なのです。

 

隔たり、離れる、かい離、死とは、別離です。

本来の姿から離れる事です。隔たりが出来る事です。

永遠に一緒に、一体に神の創造物全てが調和して生きる事。

それが離れた、隔たりの場所へ飛び出した。死です。

死んだ人と、離別する。関係、繋がりが途切れる。

これは、本来の姿ではない。だからどんな形態の離別、別れでも

悲しいのです。それは、本来の姿、体験すべきものではないからです。

 

肉体が活動し続けるのには、食物を取入れないとならないように、私達の存在は”神の似姿” ”霊”を吹き入れられて造られた

存在なので、”言葉”=”神”=”ルアフ”=息=霊を取入れて

生きる様に造られている。

息=霊。酸素=水。絵画的言語だと分かります。

 

単純。

 

私達は宗教やるために、造られたのではないのです。

神に認められるために、お伺い立てるために、

神の言葉を読んだり、祈ったりするのではない事が

ちゃんと聖書に書かれています。

全部神がお膳立てして下さった。付けたし不要。

思考回路を全部リセットすると、真実が見えて来ます。

 

”神の完了の業”からだけ生きる事に、移行する。

下から上へ、神に到達しようなんて意識=自分の努力で

きよめられよ〜 ピュアになろう〜なんて色々やってる事。

結局神の内側から外に出て、迷い出たままだから“自分が誰か”を知らないと言う事。

神の言葉の真実、意図に、目が塞がれているから。

神に喜ばれるだろう的、偶像礼拝思考を

全部削除しないと始まらない。

 

本来の状態、姿からずれたままで、なんだか違和感あるまま、

100%光の中に、光の子とは、全く逆の”罪人意識”のIDでは、入っていけない、陰りのある状態で生き続けてしまう。

喜びの中に生きる事が、自分のノーマル状態だと

分からないまま。

 

全ては、神にデザインされた自分を生きるため。

本当シンプル。それを今既に生きれる!

将来来るべき日まで待たなくて良い。

それが完了の業。

神の似姿の人を生きれないよ、あなたは所詮ドロドロの罪人と

言うその発言、教えこそ、蛇のささやき、騙しそのものなのです。目が塞がれているから見えないだけ。

目が塞がれ解説、神の意図とはズレた教えを聞いても、

神の真実が見えて来ない。

 

神の言葉の真実に気がつけば、蛇の嘘がクリアーに

分かるのです。光の下に来れば、偽物は去る、消えるからです。