2017年、今週の第七日目は、過ぎ越の種無しパンを食べる週の中にあるシャバットです。
今回は、合計3回のシャバットが過ぎ越の週に来る事になるのです。
週に一度のシャバットは、6日目の日没から、7日目の日没まで。
その週の中に初穂を捧げる日がある。
今年は先週の12日の水曜日。
過ぎ越が10日の月曜日の日没からだからです。
これは神殿が無いから今はやらないのですが、
”初穂”=イエシュア=復活の命にされている事実は、
聖書の始めからちゃんと書かれているのです。
”トラー”を通して、神殿の中で実際に儀式の中で、
追体験し、福音の中身の事実をくまなく教えられていたのです。
福音は永遠不変で、全く同じです。
過ぎ越の次の日から、オメルを数える49日。
穂がどんどん実る様子を、数えて行く。
詰まりこれも、新しくされた、復活の命を頂いている事実を
7週、7回のシャバットを通して、日々インプットされ続ける
日々なのです。7=完了の数字です。
神の業は完了している。何も付け足すものが無い事実。
後から出現する、業や教えなど無い事がはっきり
聖書の最初に書かれています。
6日目までに全ての業を終えたと書いてある通りだからです。
過ぎ越の日と合わせて、シャヴオートが50日目なので
ペンテコステ=五旬節とギリシャ語で言いますが、ヘブライ語では”シャヴオート” 意味は複数で”週” weeks。
7週と言う間、新しくされた人と言う神の言葉、声を聞き続け、
実際に実る”穂の束”を数える週。
そして、シャヴオートは、”誓い”と言う意味でもあるのです。
神がシナイ山で、トラー=文字で書かれた婚姻契約を
イスラエルとイスラルと共に出エジプトして来た異邦人に
与えた。それを、人が受け取ると言う事なのです。
神が与えた契約なのです。永遠不変、神の側では変更なしの
永遠の契約。それを与えられたのがシャヴオート。
そして、そのシャヴオートに、使徒2章にある出来事が
起きたのです。
初めにイスラエルが一大家族の長子として、受け取ったトラーを、今度は全世界へ開かれている事実、トラーがエルサレムから運び出されて、教えられる、神の契約が世界へ伝えられる、運ばれる幕開けが使徒2章だったのです。
パウロや使徒達、イエシュアを信じるヘブライ人達も
イエシュアの復活後何も変わらず、シャバットを祝い、
神の定めの日=祭りを祝っていたのです。
別の祝い日、祭りは聖書には無い。
人間が造り出した、聖書に被せて変えてしまった宗教文化の教えや祝い日は、実は誰も聖書の中では祝っていない。
神の定めの日と、人間の文化、宗教が造り出した祝い日は
聖書には、記載されていませんから、これは、はっきり
カテゴリーを分けて取り扱う必要があるのです。
混乱と誤解を招かないために。
一番ややこしいのは、似て非なるものなのです。
混ぜたら駄目、熱いか冷たいのどちらかにしてと
黙示録に書かれている通り、異教の神々の教えと混ぜた教え=姦淫の罪を主は何より忌み嫌うと重く、キツく激しい言葉で書かれているのです。
救い主イエシュアの昇天後も、神の暦、仰せでは今も変わらず
第七日がシャバットです。
神の婚姻契約が永遠に、そして今も存在している、
私達に対して有効である印が、シャバットなのです。
この日は活動日ではなく、止まる日です。
そして、このシャバットは家族のためにあるのです。
”家庭に於いて、あなたの住まいに於いて”これを
聖別し、祝いなさいとはっきり書かれている通りです。
いやまさに、安息、平安、安らぎ、憩い、回復、修復の時。
あくせくアボダー=クリエイティブ生み出す仕事を
もう横に置いて、神の完成された業を喜ぼび祝う日。
家族が忙しくバラバラな事をする日ではないのです。
どんな理由でも。
何何活動、何何何何をあくせくとする日でも何でも無い。
一生懸命神の前で、お伺い立てて、頑張って、
必死で捧げてますから認めて下さい〜、祝福して下さい〜認められようなんてしては駄目。いや日々そんな場所から
生きてはだめなのです。
とにかく、ズレた思考回路、律法主義的、
偶像礼拝的態度、考えを全部切り替え、修正する日。
思考回路、生き様のズレを点検し、皆で修復する日。
止まる!止まりなさいと神が言われているのです。
そんなの関係無〜いと言う場合は、飛び出す。
神の言葉、声の内側の外側に飛び出す。
神が言われたらその通りにするのが、妥当でしょう。
本体と影の如く、主とピッタリに歩む。
その日は仕事の人もあるでしょう。でもその中で思い出して。
今日が神の言われた、シャバットである事。
そして、自分の命を生み出して、運び続けて、
生かし続けて、支え続けて下さっているのは、
この創造主である全世界の主の主、王の王。
その方の仰せ通り、文字通り止まる日。
人の子は安息日の主とある通り、
人のためにこの止まる日が造られた。
神が止まった。本体と影の如く、神が止まったら止まり、
神が動いたら動き、神が語ったら語り、神が黙ったら黙り、
神が癒されたらイエシュアも地上で癒しをされた様に、
私達は、主の本体とピッタリ息=ルアフ一つにして
生きる様に造られている事実に、戻る事を確認する、祝う日です。
Shabbat Shalom