4月10日の日没に過ぎ越の祭りがやってくる | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

イスラエルでは、今過ぎ越の準備で大忙しです。

この時期、他の国から訪れて来るお客さんも多いので、

イスラエルの友人達は、余り人数が多いとまとまらないので

数家族事に、別々に集るようです。

過ぎ越はイスラエルだけの祭りではなく、神の定めの日です。

世界が、神の言葉に応答しないので、イスラエルだけが

主に祝っていると言う事実に目を留めて下さい。

 

私達イエシュアを信じる人達全て、この過ぎ越の祭りに

今年も神から招かれている事を、覚えて下さい。

 

私も大分大掃除が済み、10日月曜日の昼までに、全部のパン種

除去掃除を完成する予定です。

 

過ぎ越しの前の一週間が、イエスさまの生涯での
一番重大な一週間であった事と重ねて考えて下さい。

 

イエスさまはこの”過ぎ越し”を永遠の神の言葉、
仰せトラーに沿って同じ様にされた事 思い出して下さい。

 

私達は主の呼吸=息=霊とぴったり、そのリズムに沿って
生きる様に造られているのです。


”定めの時” モエッドはそれなのです。

天の現実とピッタリズレずに、沿う。

天の実態=地で影としてピッタリ本体に繋がる事。


シャバットがあり、祭りがある。
人間は主の暦、全世界も季節=モエッド 主の創造に
沿って生きる様に造られている。


それから外れて生きれば、見えなくなる事満載なのです。

詰まり、神の声の中の外へ飛び出す、

神の言葉の周波数から外れてしまうと言う事だからです。


そして、私達は主の御足の後を同じ様に生きるのです。

今年2017年は、4月10日が”過ぎ越し”です。

神の定めの日は、レビ記23章にある通りの日です。

これは、2000年前も、2000年以降も全く何も

変わってないのです。神が永遠不変の定めの日、

聖別せよと言われた通りだからです。


その日から一週間が”パン種”を入れないものを食べるのです。


前夜の10日の夕暮れは”シャバットになります。

6日目の日没ではなくても、シャバットとしてスタートするのです。そして祭りの最後の日も、曜日に係わらず、シャバットとして終るのです。

 

完了の業から始まり、完了の業で閉じる。

 神の定めの全ての祭りは、シャバットで始まり、シャバットで終るのです。

 

月曜日10日の日没に、 晩餐をするのです。
次の日でも良いです。
2日に渡りする人達もいます。

 

まず、4月9日日曜日には、家の中からパン種=イーストを
全て排除する掃除をする日です。パン種、麹などが入っているものを、取り去る。


やってみると分かります。自分では ”ハメッツ”=パン種
=罪を完全に取り除けない事。主の業のみなのです。

主がなしてくださった事を、追体験する。

そして、自分が自分の努力でそれを出来ない事を

知るのです。

神の業のみ。

そして、気がつかない場所に、潜んでいるパン種を排除する。

 

仮庵から過ぎ越までの間が、一大刈り込みの時期だったのです。

潜んでいるパン種、自分を縛り付けていた過去の自分の記憶=

パン種は何かを、その年、その年教えられるのです。

 

私達が新しい人にされたと言う現実。

私達は本当は”新しい人=主の似姿の人”なのです。

手や足を切断した後に、なお切断した部分が痒い、痛いと

思うのは、記憶があるからです。

 

私達は罪人ではない。ズレた人で生きて来た記憶が

脳の中にあるから、死んだ人のままで生きてしまうのです。

 

パン種が外から入って、知らない間に自分の中に

潜んでいる。

でも、それは自分ではない!

 

パン種と、マッツア=種無しパン=本物の自分は、別ものなのです。ここに大きなヒントが有るのです。

 

一緒くたにするから分からなくなる。

パン種=ズレと、本物の自分は別もの。

新しい人なのに、パン種を取入れて生き続けるから、

ズレた人の姿に膨らむのです。

 

毎年毎年、その掃除の中で発見する真実が様々に

深くなって行きます。主が言われた通りをしてみる時にだけ、

分かる事があるからです。