人間の造り出した教え。
ある部分は終ったのだと言う神の教えとは反する、
人間の造り出した教えに聞き入れば、
み言葉を聞けない飢饉に直面する。
よろいかぶとに穴が空いて、自分の中に別ものが
侵入してくる危険にさらされてしまう。
しかも、終ったとされるトラーの中に、鎧兜(よろいかぶと)
まさにそのものが書かれている。
私達が誰か?イスラエルの神はどんな方か?
神に造られた人のデザインと、その人達が一体として
生きる姿が、神御自身、デザイナーが解説する
人の生きる姿そのものが書かれているから。
神は神の言葉、聖書のページの面に書かれた、
一点一画、どれからも漏れなく、どの時代にも
どの民族に属する人達に対しても、全く変わらず
同じ言葉、同じ意味、内容を語られ続けている。
言葉=契約を通して人と関係を持ち、コミュニケーションを
取る手段を敷いているのに、人間が勝手に、神の言葉=
神御自身=イエシュア=トラーを、部分削除、付けたし、
変形して、神の言葉を遮断してしまったら
どれだけ、欠損、破壊が起こるのか分かる。
考えればそれがどんな事を意味するのか?
どうなるか誰でも分かる事なのです。
トラーが終ったと言う宣言は、イエシュア御自身を否定
拒否する事と全く同じなのです。部分拒否だからOK?
そんな婚姻関係なんて存在しないし、不健全。
隔ての壁が出来る。
神が、永遠不変の神の言葉の中から、重要な真理、
真実を今も変わらずに語られていても、終った神の言葉〜
だから、そんなの関係な〜いと唱え続けるなら、
語られている神の言葉の真実、意図、
内容にも本当は気がつけないままで、永遠に素通りすると
言う事だから。
プラス、”神の完了の業”だけに目を留めず、自分の悟りに
頼り、自分の今の思索や、感覚、感情、行いを、
肉の目から見た通りを発言=私は所詮罪人だから
しかたな〜い!と、神の言葉をはぐらかした、疑わせた、
エデンの園を這う動物の言葉を復唱、ずっと言い続けるなら、
一生”神の備えた別世界”ナファーシュぴったりフィット、
自分にピッタリ合っているその世界の体験を、
本当の自分で生きる体験をしない、知らないまま
生きて行く。
本当の自分=完了の業で取戻されている自分に出会えないと
言う事だから。
宝の山の上を歩きながら、その道には素晴らしい景色と
命を生み出す実態が満載なのに、それを味わい、
享受しながら、神との対話、遭遇、体験をする欠損を
していくと言う事だから。
宗教の世界の教えでは、様々に”神の言葉”を削除、
否定、排除する教えが蔓延している。
神のデザインされた世界、人間の姿、暦、どの一つでも、
無視すると言う事は、神が自分に対して、神が特別な出会いを
して下さる機会を自分自身から、又人々から奪っていると
言う事。
神の教えている、日々のリマインダー、週の月の一年に
渡る祭りの意味を全然知らないまま、行くことは、
神の命を生きる事に参加する体験に欠如すると
言う事。
これは福音の実態を生きる、ガードする中心。
生きる事はキリストと書かれている通り。
ふわふわプカプカ実態の無いものではない。
実際に、何をすればよいのか、ちゃんと書いてある。
生きる=神の言葉の中だけで思索すると、
死んだ人で生産して来た、脳回路実際に離脱して行く。
人は、神のデザインされた世界の中だけに生きる様に
造られている。神のデザインされた世界=神の中=神の
言葉=エデン=喜び以外に存在出来ない。
神のデザインした通り以外を生きる様には
造られていない。
全ての領域に於いて、神のデザイン通りが、
100%フル機能出来る状態であると言う事。
詰まり、神の言われているインストラクション、
特別な神の言葉、教え、そして会見があるのに、
自分は神が言われた事とは違う事をし続け、神の呼び出された
日に応答する事もなく、生きる事をしなければ、
神の与えて下さる特別な体験することが出来ない。
でも、神の言われた通りに考え、神の言葉にそのまま
応答し=これが従うと言う本当の意味。
聞く=シャマー、従うではなくて、神の言葉を
聞いたらその通りにするでしょう。
だから、従うと訳されているけど、違和感感じる
翻訳です。だから神の言われる事を聞くに訳し直す。
神の言葉に言われた通りに応答し、神の特別に定めた日の
中に、言われた通りに生きるなら、神の備えて下さる世界を
本当に体験出来る。違うレベル、違う領域で。
それほど、シンプル。人がズレた理由もシンプル。
神の言葉を無視したら。だから同じ。
神の言葉通りに応答する時、そして生きる時、命が
溢れ出る。喜びが溢れ出る。
人間が様々に脚色して複雑怪奇な教えにしているだけ。
自分の生きる生活の中で、”ええ〜そんな特別な行事が
あったのに自分は参加出来なかったの〜!”て事と同じ。
それを理解するためには、トラーに書かれた日々の
リマインダー、週の月の、そして一年に渡る神の定めた
呼び出し日の暦を、まず知らないとならない。
知ったら、それを生きる。それが信仰とヘブライ語で
書かれた本当の意味だから。
続く