神の子らの印 神の婚姻契約の中に存在している印 シャバットを生きる | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

シャバットを繰り返し生きる事は、”自分が他者が神の目

から見てどんな存在なのか?誰が私達の命を造られたのか?

誰が私達の命、息を支え続けて下さっているのか?

私達は誰なのか?=神の似姿の人を取戻されている

イスラエルの神の家の子らである事実を、繰り返し、

繰り返し生きて、祝い、頭脳にインプット。

この婚姻契約の中に加えられている印を、生きて祝い、

皆で思い出す日。

 

神デザインの神の似姿である本当の自分の姿、

他者とそして神の中の関係を、ズレていたら元通りに

皆で修復する日。向き合う。神のデザイン通りの関係

向き合う事をちゃんとする日。ほころび、ズレ、誤解が

大きく広がらない様に、この日全部修復する日。

顔を見合わせて、対話する。お互いの思いを話す、聞く。

愛し愛されている事実を確認、受け止める。

 

シャバットの中心は人の子。

自分と家族と仲間とのもの。

家庭に於いて祝いなさいとある通り、家族、家庭が

中心。

家族関係を破壊されるから、世界が壊れる。

それを思い出す。何を大事にするのか、思い出す。

 

本物の自分が取戻されている事実から目を背ける

教えを、とめる、やめる、排除する。

 

そして、神との関係ナファーシュ=神の与える安息に

戻る事が何なのか?を思いめぐらして神の言われる言葉を

意味を考える。知る。自分がナファーシュの状態にないなら

なぜか考えてみる。別の教えに耳を傾ければ、

不安が自分を占領するのは当然だから。

神の言われる言葉だけに軌道修正、耳を傾ける。

そして、パートナー、家族との関係を修復、そして、育む。

これがシャバットの中心。

神の仰せを生きる事は、律法主義的な事でも、

宗教やる事でも、宗教活動する事でもない。

 

生きる事=イエシュア ハ マシア。

神のデザインの人の姿を生きるそれがイエシュア。

イエシュア==救い=救いの中身=トラーの生き様

=神オリジナルデザイン、本来の人間の姿。

 

とまる、やめる。

自分の努力、頑張りで神を喜ばせる事をやめる

止める。ずれた意識をやめる、止める。

全ては神から与えられているのだから。

 

神の素晴らしさを、五感を通しても味わう。

美味しいものを皆で分かち合い、食べて飲んで、

命を喜び祝う日。

 

上から降り注ぐ雨の様に、只神の実態=完了の

業を受け取り生きる事を思い出す日。

 

イスラエルの神の子らに与えられた独特な印。

神の婚姻契約が永遠不変である、その中に加えられた

婚家の印の祝い日。それがシャバット。

 

世界中の全人類が招かれている。神の定めの日。

週に一度の定めの日は、この日。

自分の造り出した記念日ではなく、神の招いた日に

神が言われた通りに応答する。

第6日目の日没から第7日目の日没まで。とまる、

やめる日。神の中、ナファーシュの状態、関係に

入っている事を思い出す。生きて祝う日。

それが、神のデザイン、神の暦、神の呼び出し日。

婚家の慣し、仕来り、祝い日、記念日。

そして、それは永遠不変。

 

Shabbat Shalom