神オリジナルのデザイン、教育ツールは永遠不変 分たれた者達に与えられている印 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

日々のインストラクション、リマインダー、神の教育ツール。

 

日々の教育ツール、リマインダー、イスラエルの神の

子らとされた人達の印。

 

その中の一つでもある、簡単に分かる所で言えば食べ物です。

 

これは、日々のリマインダーです。

これ凄いパワフルですし、実際に神の言われる事が本当に

賢い事だと分かって来ます。

 

聖書の始めに何と書いてありますか?
アダムとエバに与えられたインストラクション。

”神の言われた通りだけ”=命の木から食べなさい!

 

食べる、食べ方=内側に実態を取入れる。

神の言われた事だけを、生きる。

全て”食べる”=取入れる事。食べもの!こんな

単純な理由で、全世界、全人類は、”神の内側の外側”

に、飛び出したその事実を、今じっくり考えてみる

だけでも、色々見えて来ます。

 

バカバカしい〜そんなのどうでも良いじゃない!?

と神の言葉が愚かしく聞こえた、聞こえるのでしょう。

でも、考えて!この小さく見えて大きい=神の言われる

ばかばかしい〜どうでも良いと勘違いする事の中に

重要な事がある事。

 

おとぎ話を読むように、すらすら考えずに読まないで、

何でそんな事がそこに書かれているのか?神の意図を

汲み取ってみようとする読み方に変更。

考える!常に考える。神がそこに記載したには

意味があると知る。

 

その前に、”わたしが聖なるものであるように、

あなたがたは聖なるもの”と言われた意味に

このイスラエルの神の子らの印=神オリジナル

デザインの教育ツールの全てはピッタリ繋がって

います。

 

聖なるものとは、異教の神々に仕える人達に対しても

使われている古代中東の世界の言葉。

異教の神々に仕える人達も”祭司”と同じ言葉で呼んで

居ます。

異教の神々に対しても同じ、エル、エロヒームと言う言葉

が使われているのです。

ジェネリックネームです。

 

あなたは”どの神”を知っているのですか?

あなたの頭の中にある神は、どの神像?

あなたの頭の中に始めから何の神像があるのですか?

あなたの仕えるイスラエルの神がどんなお方なのか

本当に知っていますか??

イスラエルの神を知るには、トラーを知らないと

知る事が出来ないのです。

ちょっとでも、神の言葉を削除、変更、変わったと

思い込んで読めば真実に出会えない。

でも永遠不変の神の言葉と読んで行けば、神の事実、真実

見えなかった世界が見える様に、神の実態に出会える。

本物の実態=イスラエルの神に。

 

創造主である神御自身が、”創造主なる神”の姿を、

神のデザインされた世界を、人々へ紹介して行くのです。

先入観無しに、その”創造主”なる神御自身が

語る、イスラエルの神をまっさらな頭で考える

神の言葉を、まっさらな頭でそのまま読んで見る。

 

聖なるもの=エロヒーム=イスラエルの神に対して、

特別な目的のために、分けられた、取り分けられた

人達。

異教の神々に仕える人は、異教の神々の目的のために、

世とは分たれている。

 

詰まり、異教の神々に仕える人達と、イスラエルの

神の契約の中に加えられた人達とは、一線を引かれて

いる事が、聖書を読んで行くとはっきり分かります。

始めの始めからそう書いてあるのです。

 

”分たれたもの” ”この世とは違う” ”別もの”。

 

イエシュアも言われたでしょう。

私達はこの世にありながら、この世のものではないと。

イエシュアの生き様全て=トラーの中身。

異教の神々に仕える人達とは、全く違う、

一線が引かれています。

 

別ものだからです。そして別ものの印を与えられている。

イスラエルの神の契約の中に入った者達は、神のデザイン

した人間の姿=神のデザインした特別な印を

生きる人達だからです。

それだから、イスラエルの神の子ら達と言う事を、

”別ものである”と言う見分けが世界が出来るという事でも

あるのです。

 

だから、世界のものと同化しない様に、神がちゃんと

神の子らの印を細部に渡り、生きる上での

インストラクションを与えているのです。賢い知恵に

満ちた神である事を知って行きます。それを生きる時。

 

異教の神々に仕える人達は、

直接神々と対話出来ない。

神々から言葉、約束をもらっていない。

なにも保証がない。

まじないや、人間生け贄や、様々におぞましい事を

やり、神々を喜ばせ、アピールし、お伺い立てる。

そんな別物世界の、偶像礼拝=アピール、許しを請い、

認められてそして、受け入れられるのだと言う世界。

 

でも、イスラエルの神は、”言葉”=約束=契約=保証

を与え、人と関係を結び、語り合い=向合い=語りかけ

続け、神御自身=言葉を通して教え続けて下さる。

永遠不変に変わらない

約束を与えて下さっている。

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”言葉”=メムラ=神=言葉で生まれでた世界の全て。

人は、神と言葉でかかわる様に造られている事実。

語る、話す神=人に話しかけ、対話し、係わる。

そして、私達人間も、顔と顔を向合い、

語り合い、関係を育む様に造られている。

それが神のデザインだから。

 

言葉、約束、永遠不変の契約を、異教の神々は

人には与えない。そこが大きな違いです。

 

この意味を頭の中に起きながら、なぜイスラエルの

神が、私達に様々な印を与えているのか

理解の鍵になります。

そんな難しい事でも何でも無い。

 

全て私達が日常生きる上で、特別な”分たれた印”

を始めから与えている事に気がつけば良いのです。

そして、私達が、内側に取入れるもの。

五感を通して、また口から入る食べもの。

これは、重要な意味があるのです。

 

You are What you eat.と英語の表現がある通り、

食べたもの=それがあなたを造る、それがあなたと

ある通り、今や、分子の世界でも、自分の中に

取入れるものが、自分を作って行く事が分かって

来ています。

 

イスラエルの神の子ら、神の契約、神オリジナルの命の

デザインを生きる事に加わった人達は、命の木からだけ

食べる様に造られている。

神の言われた通り、言われた事だけを生きる様に

造られている。

 

イスラエルの神のもの以外をどんなルート、方法でも

内側に取入れない。

それが”命の木と知識の木”の教え。

神の言われた事だけ、神の意図通りを常に考える、

する、取入れる、それは生きる分や全て。

 

心を思いを霊を尽くし=これは本来の言葉ですと

”全存在”=ネフィッシュ=私達と言う生きる存在の

全ての分野で、100%フルに主の意図通りに生きよと

と書かれていrます。それ以外は、デザイン外れ、

半分故障状態で生きる事になるからです。

 

続く