創造の始めに、”神”がと言う言葉が在ります。
エロヒームです。
この言葉は、異教の神々に対しても使われている言葉です。
所謂ジェネリックネーム。
この冒頭を読む時、私はいつも関係ないけれど
ファンファーレ、ベートーベンの”皇帝”ピアノコンチェルト
一楽章の様な、または、ラフマニノフピアノコンチェルト2
の1楽章の出だしの様に、現れ出て来る真実を思い出します。
何が?
私達の想像の中の”神”エロヒームではなく、先入観なしに
読む事に注目せよ!Attention Please!
そして、クレッシェンドで段々そのイスラエルの神だけが
定義出来る、語る事が出来る”創造主”なる”エロヒーム”
その創造主なるエロヒームが語る所の、神のデザインされた
世界の全てが現れ出て来る。
人間が定義するものではなく、神御自身しか定義、語る事の
出来ない神独自のデザインの、神独自のデザインされた人の
姿。性質。そして神との関わりを神御自身が語られている。
イスラエルの神=全世界、宇宙の創造主がどんなお方なのかを、
御自身が全て紹介して行く。
そして、6日目に全ての業を終えた。
終えた=付け足すものは何もない事が書かれている。
人間の努力も、何も用無し。
在りて在る方とある通り、他の何も必要ない。
人が居ないと神がさみしいから、満足出来ないために
全てを造られたのではない。
そんな世界は語られていない。
全ては”人”のために、全てが造られた。
私達は特別な存在。
特別な場所=ハ マコム=神の中に造られた
特別な存在。他に類がないこの天体=Earth。
私達がする部分は、神に造られた全て=完了の業から生きる事。
神の言われた事の中だけで生きる事。
そして、完了の業を神の中=エデンの中で”シュモー”=ガード
して生きる。それが聖書で書かれている所の本当の”礼拝”と
訳されている意味=アボダー。
神に造られた自分=その全ての領域を神の意図通り=トーヴ
でフルに100%生きる事。それが本当の”アボダー”。
7日目に、止まった、憩いに入られたと書かれている。
神は肉体が無いのにそんな言葉で書かれている。
詰まり、神は人との関係の中に入った事が書かれている。
そして、私達も神の憩い=ナファーシュの状態に入れられた
事が書かれている。
神の造ったナファーシュの状態は、人の教えを聞き続けたら
入れないと書かれている。
だから人間の教え、削除、排除。神の言われる言葉の中
だけで考え続ける、生き続ける。
その関係は、”永遠不変”の婚姻契約=トラーの中に書かれた
関係。
シャバットは、永遠不変の生きて祝う、婚姻契約の中に
入れられた”契約”の印。
福音の根幹=完了の業、神のされた完全な業の中から
生きる事を忘れずに、常に思い出すためのリマインダー。
生きて、祝い、福音の中心=完了の業から生かされている事を
1週間に一度思い出す日。
金曜日の日没から、土曜にの日没まで、これは何があろうとも
永遠に不変。
主が再びこの地上に来られたら、レビ記23章にある
独自の神デザインの祝い日の全てを祝う。
ユダヤ人、異邦人に対してそれぞれ、
二つの別々の祝い日、記念日は無い。
只一つ。神のデザイン=暦が語るイスラエルの神
独自の祝い日、記念日だけが神の家の子らの印。
そしてシャバットは文字通り止まる!やめる。
何か努力で神にお伺いたて、達成している事を
示す、やる日、表明する日ではない。全く逆をする日。
人間の努力で神を喜ばせようなどと言う態度や、思索を
全部気がついて、とめる、やめる。
そして、この日は、純粋に自分と家族のための日。
家庭に於いて祝いなさいと神が言われた通り。
これは、週一度のリマインダー シャバットがあっての
1年に渡るイスラエルの神の家の子らの祝い日です。
例祭=シャバットは全てセットになっているからです。
今!イスラエルの神、創造主なるエロヒームが私達の内側に
そして前にそして全てを取り囲んで、この日を特別な出会い
の日として下さっている事、考えてみる事にしませんか?
分かって来ます。
神の言われる事は、人には愚かしく聞こえても、神が
そう言われる事を生きる人は、特別な方法で神と出会う事が
出来る様にデザインされているからです。
Shabbat Shalom