神の言葉だと言う事実 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

夏以来久々に会うイスラエルの友人達と短いけれど濃厚で

充実した時間を過ごしています。

やりたい用事も何とか達成できました。

 

食事時に、また食後に色々な話で盛りだくさん。

 

一年の内の丸々半年を過ごす諸外国での教えの様子、

世界の出来事や、聖書に対する人々の反応や、

学びの様子やその他知り合いの共通の友人達や

家族の様子など、一通り色々な報告を受けて楽しいひと時。

 

世界には、宗教の教えとは全く別の流れがある。

イスラエルの神は、イスラルの神の栄光を誰にも邪魔されず、

そして、神の言葉、本物の福音をいつの時代にも、

保存しておられる。

 

保存=地の塩=神の言葉を純粋にそのまま混ぜ物する事

なく、知り、伝える残りの民を必ず置いているからです。

そうでなければ、世界は混ぜ物の教えだけで覆われて

しまうからです。

 

人々は、神の真実に反応したいと切望しているし、

いや探し求めている。

宗教の教えではなくて、純粋に人を本当に生かす神の言葉を

知りたい!と誰もが本当は切望してるはず。

その願望がずれているから、違う事に夢中になるだけで。

 

真実に触れさえしたらそこからスタート出来る。

神の言葉が一つで、永遠不変と言う事実に戻ろう

戻りたい、知りたい、中身を知りたいと切望する

人々が世界に存在する。

 

聖書を読んで、面白いと思えない、よく分からないから

詰まらない、無味乾燥、いやそうではなくても、聖書の

中に何が本当に書いてあるのか?はっきり言って

あまりよく分からないと言う。

 

自分の先入観や、前提から聖書を読む事を止めて

事実、神の言葉の中身だけを探る。先入観があると言う事に

気がついて読んで見る。

 

いや、これは原語が分からないと分からない部分は確かに

多くある。

でも、オリジナルに戻りその中身に書かれている事を

ひも解く事、一つ一つの絵画的言語のその意味を、背景を

文化を、聖書の世界を手引き、教えれてもらえさえすれば、

本当は誰でも見えて来る。テトス1に在る様に。

 

目に見えない世界が、見える世界として見えて来る。

昼間は見えない星が、夜見える様に。

見えなくても、事実はいつもそこにある。

 

神の言葉を知ると言う事を、面白いと思える、

興味が湧く、いや神の言葉にとことん惹かれる、

虜になって寝ても覚めても何していても、神の言葉

を思いめぐらす事に夢中になる。頭の中がイスラエルの神

で充満している状態。

そうなる様に、デザインされている事が聖書には

書かれている。

人は、神の虜になる様に造られているから。

 

その中身に書かれている事実を、教えられさえすれば、

人は、神の言葉=神の中から絶対に離れない。

 

いや、他の事=別の教えに聞き入れば、栄華を極めた

ソロモンでさえ、晩年別の路線に脱落して行く可能も

ある。

だから要注意、別の教えに警戒して、ガードせよと

書かれている。

 

しかも、そんな難しい事ではない。

聖書に書かれている事は、私達が日々を生きるための

全て。

見えない世界を、見えるものとして捉える事が出来るため。

 

見える所ではなく、見えない世界を、信仰によって

歩む、生きるためと書かれている通り。

 

神の教えはワンセット。

どれか一つ取り出しても意味をなさない。

ジグゾーパズルのピースも全てが合わさって

一つの絵となる様に、神の教えも全部丸ごとでワンセット。

これは、イスラエルの神の御性質そのもの。

全部で一つ。丸ごと=シャローム=欠けの無い完成状態。

 

だから、どれかを削除したり、捨てたり、または別ものを

付け足したり出来ない事が分かる。

 

さて、日々の、週の、月の、一年に渡るリマインダー。

神の教育ツールの一つ一つを考えて見たいと思います。

 

続く