今日はハヌカ7日目、そしてシャバットの日没でした。
本当にシャバットでした。
日没までに、目的地に到着しました。
今週一週間は、色々な事に遭遇し、この季節のアバの
レッスンプランをたくさん見せてもらった週でした。
とにかく止まる、やめる。自分教をストップ!
宗教をストップ!
立ち止まり神の目から全てを思いめぐらす事に
今修正する日。
神の言葉だけに戻る。
神の言葉を、創世記から黙示録まで丸ごと永遠不変と
信じる事へ修正する!
ハヌカの光を見て、私達の内側を照らす光は、
この世の光ではなく、イエシュア御自身。
光よ在れ!と言われたあの光は、太陽や月や星が造られる
前の肉眼では見えない人の内側を照らす光=主御自身のもの。
その”光”を私達の内側に与えられた。
神御自身が、私達の中へルアフを吹き入れられて、私達は
生きる者となった。
詰まり私達は、生まれながら、神=ルアフを吹き入れられた
霊的存在。
私達は世界へ、この目に見えない”神の実態”人の命を照らし
輝かせる唯一の光を伝えるものとして同じイスラエルの
神の家の子ら契約の中に加えられたのです。
聖書に書かれている、イスラエルの子ら=トラーに描かれた
神のデザインされた人間の本来の姿を生きて
世界へ真実を表すのです。分たれた者達、聖なる者達として。
だから、混ぜ物された人間の教え、宗教の教えと、
同化しては、一体自分が何者なのか訳が分からなくなる。
カナン人の神=異教の神々の子らなのか。
いや異教の神々の子らならまだ見分けがつきやすい。
分かりにくいのは、イスラエルの神のように見えて、
実は別物の混ぜ物=タンムズの教え、太陽神の教え、
ローマ皇帝コンスタンテイヌス1世が自分の信仰=太陽神、
異教の神の教えを、神の言葉にブレンドして造り出した、
そのような似ている様で実は全く非なる人間の教え=宗教。
はっきりイスラエルの神の子らなのかどうなのか?
別物の教えと同化して生きていては、分からなくなって
しまうのです。
神の契約は、イスラエルにも、肉的イスラエルに生まれ
ついていなくても、中身は同じなのです。
別物なんて無いのです。
只一つの契約、只一つの言葉、只一つの暦、只一つの教え、
只一つの福音、只一つの救い。
別物、別々の日に家族がバラバラな事をする様に、
イスラエルの神はその様な事は何もデザインされていない。
全て同じ。隔ての壁は無い。同じ神の中、同じ契約の中、
生きる実態に戻る事が、本来の姿、本当の福音。
イエシュア=トラーの命丸ごと=トラー=神のデザイン
された人間の生きる全てが書かれている永遠不変のもの。
Shabbat Shalom