ハヌカ第二日目 イエシュア御自身も祝っていたハヌカの意味とは? | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

イエシュアがこのハヌカの季節に、”エルサレムの神殿”に

居てこの記念の週を祝ったと言う事が聖書に書かれている

のには、重要な意味があるから書いてあるのです。

 

聖書は、歴史の中の出来事をそのまま線上に書かれている

のではないのです。神の目から見て、私達へ伝えようと

している事柄を選び出して書かれている事を知れば

そこに書いてあるひとつひとつに全て意味があり

聖書の中に書かれている事が分かって来ます。

 

神の家=都=この場所でイエシュアがハヌカを祝う週を

過ごしていた記録が書かれています。

その事実に意味があるから、聖書に書かれているのです。

たまたまイエシュアが偶然エルサレムに遊びに行って、

そこに居たのではなく、神の意図通りに、ハヌカの祝いの

週に、エルサレムと言うその意味のある場所に居た。

その事実が神の手により書かれている事に注目して

みて下さい。

 

ダニエル書11章

マタイの福音書24章15~19節

マルコの福音書13章13~17節

ヨハネ10章22〜31

 

ハヌカの語源は一体何でしょうか?

ハヌカの意味は何でしょう。

 

”光の祭典”と名付けたのは、歴史家ヨセフスです。

ユダヤ人の家々に灯りがつく様子を見て、光の

祭典と名付けました。

でもハヌカの本当の語源の意味は何でしょうか?

 

マカバイ戦争の事件は、預言書から福音書の間に起こった

事件です。このハヌカは神の定めの時には指定されて

いませんが、歴史上の事件の中で、とても意味がある事です。

神が異教の神々の教えにイスラエルが同化する事を

抵抗して、イスラエルの神がイスラエルに勝利を与えた

記念の祝いだからです。

 

宮清めの祭りとか、神殿奉献記念祭と呼ばれています。

ハヌカの語源は、חָנַךְハナーフの名詞形で、Dedication.

奉献する、捧げると言う意味で創世記から預言書の中で

使われています。

ギリシャ語では、エグカイニア。これは、再び、再度新たにと

言う意味が入っています。

英語では、Rededicationと呼んでいますから、再び神の家が

意図通りに戻り、再奉献された記念の日と言う事なのです。

 

ここから、もう少し掘り下げて歴史の中で起こった事実と、

この”神の家が再び奉献される事が私達の今の中でどんな

意味繋がりを持つのか?と言う事を見て行きたいと思います。

 

異教の神々の教えの中に、衣食住の全ての生活を生きて来た

元々異教徒の私達にはピンと来ない内容かもしれません。

 

なぜそう言えるのかは、”神の家”ハ バイト=神殿と聞いても

私達異邦人には何の意味も感動も近しさも感じないそれが

異教徒の世界。

しかも、宗教の教えにより、神殿イコール反キリストと

繋げてしまうのです。

 

神殿!神の家!神の臨在がある場所なのです。

 

神の家とは、神との交わりの中心を表す、全てを教えられる、

詰まり地上で神の臨在が現れた場所です。

福音の全てを神の家の中での儀式で教えられて来た場所

なのです。

イエシュアも全世界の中で、あのイスラエルだけに

人として住まわれた。神の臨在があの歴史の中、あの場所

イスラエルに在った事を考えれば、神が何を教えようと

しているのか分かって来ます。

何故三大祭りが、エルサレムへの都上りの祭りなのか。

意味があるのです。

一つの神に全ての人が引き寄せられる=コバーン

だからです。

 

只一つの家、只一つの言葉、只一つの場所。

神の言葉、教えは一貫しています。どこもぶれておらず、

変化もしないのです。

全ての人、全世界はこのイスラエルの神、臨在を中心に

向合って生きる様にデザインされて居る事を教えているのです。

どこの国に住んでいようとも。

 

続く