コロサイ2章 聖書に無い言葉を挿入させている | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

17これらは、きたるべきものの影であって、

その本体はキリストにある。

 

この翻訳だと、ニュアンス印象がとても違うものに

なってしまいます。プラス、この裏にあるギリシャ語

要らない言葉が勝手に挿入されてしまって

いるのです。付けたしするなかれ!の神の言葉に

違反しています。

 

ある訳に、影に”過ぎず”と言うのがありますが、それが

要らない言葉です。

〜に過ぎずと言う言葉は、あたかも、仮のものと言う

意識を生み出すでしょう。翻訳はトラーの中身、

意図、真髄を知らない人達で訳されているので

翻訳の時に、分からない場合、要らない言葉を

付け足して、彼らの考えに沿った様に書き換え

られてしまう事件が続出しているのです。

 

影とは、目には見えない本体である実態=イエシュア。

目に見えないけれど同等の実態=影=地上に映し出される、

実態は全く同じと言う意味なのです。影というと、無くなって

要らなくなるものと言う意識が有ります。

 

でも、考えて下さい。本体と影は一体なのです。

実態、本体にくっついているので、影は消え去れない

のです。

実態が現れて目に見えたら、影が見えなくても

実態が分かると言う事なのです。

本体無しに、影もないのです。

この意味を分かれば分かります。

本体に影が付いている。シルエットです。全く

同等の内容=実態と言う意味で聖書に書かれて

居るのです。

肉の目では見えないけれど、実態を得ていると言う事です。

 

 18あなたがたは、わざとらしい謙そんと天使礼拝とに

おぼれている人々から、いろいろと悪評されてはならない。

彼らは幻を見たことを重んじ、肉の思いによっていたずらに

誇るだけで、

 

天使礼拝=当時のオカルトに繋がる、これまた元はエジプト

そして、太陽神に繋がる教えです。天体を拝む。

天使を拝む。イスラエルの神に属さないものを、

信奉する。エゼキエル8章にも繋がります。

人が造り出した教えを、私達はイスラエルの神のものである

と疑いもせず信じている事、気が付ければ見えて来ます。

 

19キリストなるかしらに、しっかりと着くことをしない。

このかしらから出て、からだ全体は、節と節、筋と筋とに

よって強められ結び合わされ、神に育てられて

成長していくのである。 

 

20もしあなたがたが、キリストと共に死んで世のもろもろの

霊力から離れたのなら、なぜ、なおこの世に生きている

もののように、

 

21「さわるな、味わうな、触れるな」などという規定に

縛られているのか。

 

さわるな、味わうな、触れるな?これって何の教えに

対して言っているのでしょうか?

トラーの教えではない事は100000%確実です。

人間の教えの事をパウロが話しているのです。

 

トラーの教えに触るな、味わうな?

神に近づくな、トラーの実態=イエシュアと、関係持つなと

言う教えに変身ですしょうか?

 

 22これらは皆、使えば尽きてしまうもの、人間の規定や

教によっているものである。

 

人間の規定や教えと書いてあります。

ならば、これらが”トラー”の中身では無い事は

確実に明らかです。この様な箇所を読んで、トラーの

内容と勘違いして、トラー=それらの教えを聞くなと

言われているのだと解説されている場合もありますが、

屯でもない勘違いであり、真実では無いです。

 

全てのズレは、神の言葉=トラー=文字で書かれた

イエシュアを否定する事から始まるのです。

神が神の言葉=トラーは永遠不変と言われたのだから

それをずらせば、そこからずっとズレが生じ、

今の様な、トラーを否定する教えの方が主流になって

いる。気がつけば分かります。

 

私達は、永遠不変の神の教えを聞いているのか?

只の人の言い伝えを神の教えだと思い込んで

聞いているのか?と言う事です。