罪人の教えは、ズレを助長するだけ | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

罪人だからズレるのさ〜と言うのをやめる。

ずれたら、”神の似姿、本当のあなたの姿から飛び出して

ましたよ、ずれていますよ!元に戻れ!本来のあなたの姿、

神の似姿のあなたに戻りなさい。”と言い換えた方が良い。

 

死んだ自分がずれを引き起こしている。

 

罪人の教えは、免罪符使用を助長する。

所詮罪人だから仕方ないさと言い訳満載。

だから罪人のIDから抜け出れないだけ。

 

あなたは、駄目、あなたは足りないと言われ続ける

人が、まともに生きれない事は誰でも分かるはず。

偽の自己像擦り込まれたら、そう信じ込み、

そのとおり=罪人を生き続けてしまうのです。

逆効果。

 

本当のあなたは神の似姿ですと、イスラエルの神の

完了の業を宣言し続け、それを生きる選択を始め

ないと、本当の人生は始まらない。

 

でも本当の自分=神の完了の業で取戻された自分を

知れば、逆にズレに敏感に反応出来る!これは

本当です。ずれる前にびび〜んと違和感感じる。

内側に大きな内なる声が聞こえる。

これ!こんな事考える、やろうとするそれは

死んだあなたでしょう!あなたじゃない!偽者のあなた!

止まれ!と聞こえる!

 

死んだ自分で生き続ける事を、やめる、止める。

それを思い出す。

週に一度のリマインダー。シャバットは、

永遠の契約の中に加えられている人達の印そのもの。

印を捨てる事は、恵みを無駄にする事。

神が与えて下さった宝をどぶに捨てるのと同じ。

自分の努力の方を愛する姿は、主の意図とは

全くずれている。的外れ。ハターそのもの。

Miss the Mark.

 

イスラエルの神を愛する。

愛=契約の愛の姿に留まる事を望む人は、

イスラエルの神の与えて下さった印を生きて身に

帯びる。

人の造り出した偽物の印を、身に帯びたくなくなる。

それらは、イスラエルの神に属さないものだから。

 

神の真実だけを、身にまとう、生きる。

 

愛は、行動=生きる=アボダー=生きる全てを

礼拝と言う。本当の意味は、神の似姿で

神の意図通り、神の中で、神と自分と人の

関係を生きる全て。

 

自分の全存在で、神の造られたデザインを生きる。

それが、本当の生けるコバーン、アボダー。

 

 

Shabbat Shalom