罪人だからズレるのさ〜と言うのをやめる。
ずれたら、”神の似姿、本当のあなたの姿から飛び出して
ましたよ、ずれていますよ!元に戻れ!本来のあなたの姿、
神の似姿のあなたに戻りなさい。”と言い換えた方が良い。
死んだ自分がずれを引き起こしている。
罪人の教えは、免罪符使用を助長する。
所詮罪人だから仕方ないさと言い訳満載。
だから罪人のIDから抜け出れないだけ。
あなたは、駄目、あなたは足りないと言われ続ける
人が、まともに生きれない事は誰でも分かるはず。
偽の自己像擦り込まれたら、そう信じ込み、
そのとおり=罪人を生き続けてしまうのです。
逆効果。
本当のあなたは神の似姿ですと、イスラエルの神の
完了の業を宣言し続け、それを生きる選択を始め
ないと、本当の人生は始まらない。
でも本当の自分=神の完了の業で取戻された自分を
知れば、逆にズレに敏感に反応出来る!これは
本当です。ずれる前にびび〜んと違和感感じる。
内側に大きな内なる声が聞こえる。
これ!こんな事考える、やろうとするそれは
死んだあなたでしょう!あなたじゃない!偽者のあなた!
止まれ!と聞こえる!
死んだ自分で生き続ける事を、やめる、止める。
それを思い出す。
週に一度のリマインダー。シャバットは、
永遠の契約の中に加えられている人達の印そのもの。
印を捨てる事は、恵みを無駄にする事。
神が与えて下さった宝をどぶに捨てるのと同じ。
自分の努力の方を愛する姿は、主の意図とは
全くずれている。的外れ。ハターそのもの。
Miss the Mark.
イスラエルの神を愛する。
愛=契約の愛の姿に留まる事を望む人は、
イスラエルの神の与えて下さった印を生きて身に
帯びる。
人の造り出した偽物の印を、身に帯びたくなくなる。
それらは、イスラエルの神に属さないものだから。
神の真実だけを、身にまとう、生きる。
愛は、行動=生きる=アボダー=生きる全てを
礼拝と言う。本当の意味は、神の似姿で
神の意図通り、神の中で、神と自分と人の
関係を生きる全て。
自分の全存在で、神の造られたデザインを生きる。
それが、本当の生けるコバーン、アボダー。
Shabbat Shalom