長年に渡り浸透した人の言い伝えを、覆すのは本当に困難
です。真実ではない事も、真実だと認識され、語り継がれ
続けて行くので、頭の中には、その前提を元に、思考回路の
枝ががっちり出来てしまうので、それ以外の=真実である
事にも目を向ける所にさえ、辿り着けないのです。
500年前まで、地球は平面であると世界中が知っていた。
そう語っていました。
そして500年前に様々な、反聖書的教えを取る科学者なども
出て来て、(カトリックであるとしても)仮説を造り、今度は
この地は丸いと言う事で、地球と言う名になり、そして、
地球が飛行機と同じ速度で回転している。
そして、引力と言う仮説が出現。
その当時、マルチン ルターを含め、聖書に書いてある
多くのカトリック司教達は聖書とは異なる事実であると、
大反論、その仮説に大反対したのです。
そして、500年前の、観察機具が何もない、飛行機も無い時代
只の仮説を唱えた当時の科学者の仮説が真実であるとその説に
投票する、傾く人達が出現した後、その教えが定着し、
浸透して行って、今度は、逆の解説をする人達が、狂っていると
なって行くわけです。
言いたい事は、真実はどちらにせよ、まずは人の仮説ありき
と言う事なのです。そして、その仮説が真実であろうと、
無かろうと、大衆に受け入れられ、浸透する方が、真実だと
みなされて浸透、広まり、大衆に信じ込まれて行くと言う
事です。
それは、科学だけでなく、歴史の史実や、医学、あらゆる
分野に関しても”然り”なのです。
大衆に信じ込まれている、実は真実ではない数々の事、
真実だと思い込んでいる実は、真実でも何でもない事が
存在するのだと言う事を、まず知って行けば良いのです。
進化論も同等に、世界に浸透して、人間の仮説が真実の
如く、世界を駆け巡り、それ以外の教えをする人達が
狂人扱いをされて行く。
科学は、年を追うごとに様々に変化して行きます。人が
色々な発見をする、いや発見しても、神の創造の世界を
曲げたい存在が居るので、わざと不真実な情報を流している
事実があるのです。
ある情報を流すと、神が存在すると言う事、この地は
特別に造られている他に類の無い場所=つまり神の創造の
全ては人のために造られた事、人がいかに特別な存在で、
特別な場所に住まわされているのかが証明されてしまうから、
その事を知らせたくない人達が居るからです。
この間まで、右脳左脳説が正しいとされた事が、今度は
それは違って、脳全体に情報が一瞬のうちに、流れる
そして、左右対称=鏡の様に、両方が情報を映し出して
機能する事が分かって来ています。
詰まり、神のデザイン通りです。
人間の説は、仮説でも、真実だと信じ込まれれば、
仮説が真実で、それを元に全てを考えて行くから、
真実とはかけ離れた考えが出現して行くのです。
神の言葉に関しても同じです。
永遠不変の神の言葉、一点一画も取り除くなかれ、
付け足すなかれと言われているのにも係わらず、
世界はその点に関して、最大に素晴らしく盲目状態。
この集団催眠お見事だと思います。
なんでここまで、神の言葉=トラーに反対する声が
大フォルテ、フォルテッシモなのか、その理由が本当に
分かったら簡単に理解出来ますし、色々見えて来ます。
神の言葉に対する偽証がずっと続いているのです。
何の偽証?二つの聖書、二つの契約、二つの神の顔、
そして、二つの種類の人間、二つの時代 様々な
分断思想=西洋哲学、グノーシス、元はエジプトの
教えです。
”エデンの園”のあの動物の声に、神の真実が
遮られているだけ。神の言葉=声の中で聞く、
聖書だけを読めばはっきり真実が分かるのです。
全ては脳回路=神の言葉は変わると信じた初めの日から、
教え込まれ続け、ローマ皇帝創作宗教の教えを継承した
神学を擦り込まれて来た産物、いや弊害、代償。
御言葉をそのまま聞き取る事が出来ない飢饉とは
混ぜもの教えが蔓延って、人が、神の言葉の真実に
盲目になってしまう状態の事を言っているのです。
聞いても聞こえない。その耳は聞いても聞いてないと
書かれている。目の前で“永遠不変”と今書かれて
ある神の言葉を読んでみたとしても、なお見えない。
本当に凄い事です。考えてみませんか?自分の頭で。
誰かの言い伝えを捨てて。神の言葉だけを、そのまま
読んで見れば、誰でも分かるのです。
神の造られた世界、神の真実は永遠に堅く立つと
ある通り、事実は私達がどう信じようと、どう感じようと
常にそこにある。