続きです。
イエシュアを信じる事って、ただ生きる事なのです。
生きる事は宗教する事なんて聖書に書かれてない。
神の似姿の自分を生きる=生けるコバーンで主に近づく。
関係を持つ。これが神のデザインだからです。
生きる事はキリストと書いてある通り。
キリスト=イエシュア=トラーに書かれた神に造られた
人間の姿丸ごとを生きるだけ。
何か、とってもとってもとっても、複雑な事を
想像させられて来ました。
信じる事イコール宗教活動する事、宗教グループに参加する
事が、大前提、一大必須の絶対条件、前提の様に教えられて
います。
本当にそうなのでしょうか?トラーに戻ればそれが、
人の教えである事は簡単に分かります。
あるグループ、会社に属しているから、その日の何時に
出勤しなくては給料がもらえないから、その時間に
出勤しなくてはならないのは当然です。
ある会社に勤めるなら、そこには上司がいて、その人の
指示通りに仕事を進めなくてはならないでしょう。
当たり前の事です。
その日の何時と決められたミーテイングや
会合、出張をすっぽかして出なければ、そのグループの
仲間への、責任、任務を果たしていないとした方が
良いです。
会社の方針に従い働かない場合は、いずれ、首になる
でしょう。
神の命令と、この世での組織に属する事とは
全く別の事なのです。その会社でその仕事をするのが
嫌なら、いや神の御旨に沿わないと確信するならば、
止めれば良いだけの事ですし、在宅仕事や他の
職業選択肢があります。
そして、ビジネスする中にも、トラーのやり方、神の
インストラクション通りのビジネスをするのが
WWYDの生き様です。
全て、私達の生きる全て=主の似姿で生きる。
思いを尽くし、心を尽くし、魂=ネフィッシュ
全存在でイスラエルの神の前に生きる。
頭脳も、能力も、経済も時間も自分の体も
主の意図通りの姿で100%生きる。ただそれだけ。
それがアボダー。礼拝と訳されていますが、
礼拝とは実は、主の前に生きる全てです。
それと同じで、あるグループに参加しなければいけないと
言う事なんてないのです。
その信条に同意出来なければ、参加しなければ良いだけ
の話なのです。
神が参加しろと命令していないのですから。
参加しない人が、イエシュアを信じる上で低級レベル、
仰せを全うしてないなんて、それこそ神の言葉ではない。
嫌な場所に何故行かなくてはならないのか?
嫌なら行かないだけです。自分が損なわれる場所には、
危ないから居続けられない。参加しなくてはならないと
思っているのは、信じる事イコール、宗教活動、宗教
グループに参加、賛同をする事だと思っているからでは
ないでしょうか?そう教えられて来たからです。
しかも、信じる=どこかのグループに必ず所属せねば
ならないと言うものでもないのです。
フェローシップ、仲間は大事です。
健全で、イエシュアにあって成人である人達に出会い、
そう言う人を見つけて、繋がる事は本当に大事です。
でも、ある形を造らなくては、なんて聖書のどこにも
書かれていませんし、何人ならカハールなの?なんて
書かれていません。
私達の頭の中にある、想像するある一定の形を考えるから
分からなくなるだけです。カハール、エクレシアの概念が
全く違うのです。全てを、教えられて来た教えから
考えるから見えないだけなのです。
基本は自分と家族と仲間。少数の方が良いと思う人。
いや、メガトン級の人数の中では、家族の意識は
出来ないでしょうね。誰が誰だか分からない。
口を聞いた事も、名前も知らない。友だちでも、知り合い
でもない、親しくなれない関係。
私達が互いが必要なのは、それが神のデザインであり、
友人と励まし、助け合う事は私達のニーズでもあるから
です。
そして、正しく聖書を教えてもらえる教師を
見つける事は必須、大事な事です。この教師達が
見つからないから、迷い出る事が本当に分かります。
混ぜ物された教えを教え続けられたら、混乱するし、
分からなくなって行く。
正しく導かれなかったら、どんな教えにも洗脳され
てしまうからです。
イスラエルに行くと顕著に分かるのですが、
私の友人達は、普通に同じ町の中住んでいて、
上下関係ゼロの仲間同士。宗教活動する共同体と言うもの
でもない。困ったら互いに助け合う。
もちろん上の年齢の方は聖書も知恵も、生き様もダントツ、
トラーそのものですから顕著に違いますから、何か問題が
仲間内に、問題があった場合賢く対処出来たり、アドバイス
出来る。
それが長老=ザケン=ヒゲのある人達です。
彼らは普段それぞれの仕事をしていますから、
毎週決まって、定期的な集まりなどしてません。
シャバットに集る事がある。時々は家族だけで
シャバットをしますよと連絡が来る。
それぞれに、ひっきりなしに海外から大勢ヘブライ語聖書
を学びに来るお客さんも来るし、それぞれの家庭の事情が
あるから。家族第一。自分の家族をおいて、犠牲にして
何何するなんて、意識ゼロ。それが本当に健全な姿です。
特別な時に、学びの時を一緒に持ったりもする。
それぞれが、優れものの、教師達なので、その人達が
集まり学ぶ中にいると、それはそれは凄い世界。
でも、古代は誰でも家の父親がいつでも一日中
いや母親もトラーを子供達に教えて居たのです。
聖書にそう書いてある。寝ても覚めても、何していても、
子供達にトラーを教えなさいと神が言われたから。
私達は、御言葉を聞けない飢饉に直面しながら
ずっと異教の神々の国の異教の神々の教えの中で
生きて居る人達なのです。
しかも、西洋宗教スタイルの伝道活動なるものを、
イスラエルでするなら、即座に命の危険があります。
でも、裏で、着実にトラーの中身を人々に伝える事、
生きて伝える事は出来るのです。でもそれが、私達の
生きる目的ではないのです。これは、また別の時に
書きます。
続く