もしも初めからパウロにトラーだけを教えられていたら? | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

続きです。

誰から教えを受けるのか?

教えられる内容により、脳回路が全く違うものになる、

その違いも分かります。

どの世界でも、どの流派?なるものもの様に、

その教えてくれる教師、師匠、メンターによって

大分異なる教えと意識をインプットされます。

 

しかも、まっさらな頭に、ひよこ=赤ちゃんが教えられる

如く、初めて聞いた事が本当だと思い込む。

 

もし、古代に生きて、私達がパウロのそばに居て、

イスラエルに住んでパウロ達、使徒達が教えていた、

トラーの中身丸ごと、トラーのライフスタイル丸ごとを、

パウロから教わったのならば、決して西洋色たっぷり=

ローマ皇帝教の教えをふんだんに引き継ぐ教えなどは、

脳回路の片隅にも存在しない状態になるのです。

 

自分の中にある、様々な固定概念は、様々な教えにより

形成されて来たものである事を、認識する必要があります。

 

現に世界で、ただ聖書の中身だけ、そのままを教えられ、

そして他の人へそれをそのまま教えて、生きて来た人達は、

聖書を西洋宗教を信じる人達とは、全然違う捉え方をします。

 

つまり神学=トラーは律法、終った教えとか二つの福音、

二つの契約、二つの神の顔=時代ごとに働き、人への

関わりが違う神など、様々に私達が当然の如く信じている、

ただの西洋宗教の神学から派生した教えを、彼らの口から、

今現在も聞く事は、無いのです。

 

そしていくら、ヘブライの世界、トラー、ヘブライ語聖書を

ひも解く教えでも、西洋宗教神学の影響、教えを受けた

人達は、トラーさえも、同じく西洋神学の目を通して

解説しますが。

 

他に教えられた教師により、意識が形作られる例を、

上げて言えばこんな事です。

 

ヨーロッパ系宣教師に教えられた場合、もちろん中身は

カトリック=キリスト教ですが、禁酒なんて教えません。

聖書に、書かれてないし、聖書には、葡萄酒=祝福、

喜びの印として書かれていますから。

聖書には、お酒の取り扱い、摂取の仕方についての

注意事項はありますが、禁酒令などどこにも書かれて

いない。

 

まず、勘違いする箇所は、読み違えているからです。

論点が見えないまま、その一言だけを取り出して、

禁酒命令が書かれていると勘違いしている。

 

トラーには何と書かれているのか?それを基準に

全てを読めば、新しい箇所、特に書簡などその

地域限定の人達に書かれた、問題回答の論点が

見えて来るのです。トラーに書かれていない教えは、

聖書の最後の三分の1の中にも無い。トラーに無い、

突然新しい教えが出現する事はない。

イエシュア出現以降初めて出現し教えなんて無いのです。

 

清教徒の教えを継ぐ、アメリカ系宣教師に教えられた

場合、特に日本ですが、たくさんの清教徒の教えをする

人達が日本に来られて教えましたから、ジーザスを信じる

場合は、禁酒必須ですと教えたのです。人間の言い伝え、

考えを人に強要しただけと言う事が真実なのです。

 

しかも禁酒しないと、救われないとか、神の前に駄目な者、

認められないのだ、受け入れられないと言う意識迄

完全インプット。

それは罪悪感を生み出す、他ならないものです。

聖書の事実とは違う事を教えた。

 

続く