惑わされるのは、トラーを知らないため 聖書に書かれている、偽預言者、偽教師とは? | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

世界に常識とされるちまたの教えでは、トラーを教える人は、

偽教師、偽預言者、律法、縛り付けの教えをする

などと解説されているのを見ますが、実際聖書に書かれて

いる聖書が定義する”教師”とは一体何でしょう?

 

教師=ラビとはイコール、純粋に”トラー”を教える、

トラーに書かれている内容に外れず、もちろん敵対する

教えなどしない、健全なトラー学者を指して使われた

言葉です。

 

トラーからぶれない教えをする人達、トラーを教える人達

を、聖書の中では”教師”と呼んでいるのです。

でも、西洋宗教の教えの中では、教師の定義が聖書とは

異なります。

 

トラーからズレる、ぶれた教えをする人達、神の言葉を

否定する、敵対する、削除する、付けたしする教えを

する人=偽教師、偽預言者と聖書に書かれている事実が

あるのです。

まして、トラーを部分的にでも、否定する教えをする人

達は当時、教師などとして認識さえされない、異端の教えと

されたのです。

 

いやそれどころか、トラーに対して敵対する教え、

神の言葉に反逆する教えをした場合、

どう言う事になるか分かりますか?

又は、一度でも間違った”預言”をしたらその預言者は

どうなるか御存知ですか?

 

トラー=神の言葉を否定する人の結末は、

”処刑〜石打ち刑”なのです。神の言葉を否定する、

反逆する、イコール死に値するズレ=罪。

この意識はトラーを知らない異邦人の中には無いのです。

 

サドカイやパリサイのパン種とイエシュアが言った時、

ある一部のパリサイ派やサドカイ派の、口頭トラー

=ハラハ−=トラーをどの様に生きるかの解釈が

律法主義的、人への縛り付けの人造の教えになって

しまっていた、その事を指しているのです。

イエシュアが、トラーを否定して新しい教えをしたなんて

本当に偽の教えです。

 

私達が西洋宗教の教えから教えられて来た事、理解している

事とは、全然違う事が、オリジナル聖書には書かれているの

です。誰でも読めば、翻訳聖書でも分かるはずですが、

聖書を読む前提が、初めからトラーは終わり、律法、呪い、

縛り付け、古い教えと言う人の言い伝えの障害物があり、

その前提から読めば、神の言葉の真実は

歪んで見えなくなってしまっているのです。

 

今では、偽教師、偽預言者=トラーを教える人なんて言う

解説まであるのが、驚愕です。それって神の言葉に基づいて

真実なのですか??何の聖書を読んでいるのでしょうか?と、

本気で考えなくてはなりません。

 

全く聖書とは逆の教えです。聖書の中では、トラーを

知らなければ、聖書教師とさえ、認識されない、プラス、

トラーを否定する人イコール=偽教師と認定される。

民から排除される結末にあったのです。

トラーに対して、反対、反逆する霊は、完全にイスラエルの

神に属するものではない事、聖書を読めば分かるのでしょう。

 

エデンの園に居たあの動物は何をしましたか?

神の永遠不変の言葉、インストラクションに対しての

挑戦をしたのです。神の言葉を曲げた、変えた、違うと

アダムとエバに疑わせて、違う何かがあると思わせた。

 

聖書の中では、古代はトラーを教える人を、トラー教師と

呼ばれていたのです。

現代はトラーを教える人、トラーの教えを語る人が偽教師、

聖書とは逆です。聖書と異なり、それこそ、神の言葉、

トラーを否定する教えこそ、偽教師発言だと聖書に

戻り読めば、聖書に基づきそうであると分かるはずです。

 

自分の頭で、聖書だけに戻りじっくり考える。人の教えに

耳を傾けないで聖書にある事実だけに戻り、読み、一つずつ

考えてみる。

 

トラーを教えない人は、聖書の中では、”教師”などども

呼ばれなかった事実に目を留める。

聖書教師=当然トラーを知って、トラーを教える人達の事を

指しているのです。

まして、トラー以外の教え、ズレた教えをする人は、

偽教師。新興宗教?異教の神々の、他宗教の教えを混ぜた

教えをする教師と言う事なのです。排除されてしまう。

 

反トラー的発言の根底には、やっぱり”トラー”に対する

敵対心が潜んでいるのだと思います。人の言い伝えにより、

そう教え込まれて来たからです。

 

考えてみるのです。なんで神の言葉に敵対するのですか?

と。聖書=神の言葉は永遠不変なのに、いつ変形したの

ですか?と。神がイエシュア昇天後、トラーは終ると

言いましたか?いいえ、永遠不変、代々に渡り

神の言葉は、堅く立つ、変わらないと神の御口みずから

宣言されたのです。ならば、なぜそれを否定する教えを

言い続け、賞賛し続け、支持し続けるのか?

自分の頭で考えて行けばはっきり、神の言われる言葉

を理解する事出来る様になります。

 

神の言葉の永遠不変の重さを、異邦人=ローマ皇帝は

知らないかったから。だから、平気で混ぜて、改ざんして、

自分の信仰=ミトラ教=太陽神の教えと、イスラエルの神

の言葉を混ぜても何とも思わなかった。

そして、人造宗教を4世紀に作り上げた。

16世紀の宗教改革も、パン種除去不完全のまま、

高き所を完全に捨てないまま、ローマ皇帝教の慣し、教え、

神学をふんだんに取り込んだまま、そのパン種=人の言い伝え

の中に今も、ふんだんに蔓延り、数々の無数の

パン種はどんどん主の言葉の中に入り込み、

今もなお膨れ上がり続けているのです。

 

続く