世界に常識とされるちまたの教えでは、トラーを教える人は、
偽教師、偽預言者、律法、縛り付けの教えをする
などと解説されているのを見ますが、実際聖書に書かれて
いる聖書が定義する”教師”とは一体何でしょう?
教師=ラビとはイコール、純粋に”トラー”を教える、
トラーに書かれている内容に外れず、もちろん敵対する
教えなどしない、健全なトラー学者を指して使われた
言葉です。
トラーからぶれない教えをする人達、トラーを教える人達
を、聖書の中では”教師”と呼んでいるのです。
でも、西洋宗教の教えの中では、教師の定義が聖書とは
異なります。
トラーからズレる、ぶれた教えをする人達、神の言葉を
否定する、敵対する、削除する、付けたしする教えを
する人=偽教師、偽預言者と聖書に書かれている事実が
あるのです。
まして、トラーを部分的にでも、否定する教えをする人
達は当時、教師などとして認識さえされない、異端の教えと
されたのです。
いやそれどころか、トラーに対して敵対する教え、
神の言葉に反逆する教えをした場合、
どう言う事になるか分かりますか?
又は、一度でも間違った”預言”をしたらその預言者は
どうなるか御存知ですか?
トラー=神の言葉を否定する人の結末は、
”処刑〜石打ち刑”なのです。神の言葉を否定する、
反逆する、イコール死に値するズレ=罪。
この意識はトラーを知らない異邦人の中には無いのです。
サドカイやパリサイのパン種とイエシュアが言った時、
ある一部のパリサイ派やサドカイ派の、口頭トラー
=ハラハ−=トラーをどの様に生きるかの解釈が
律法主義的、人への縛り付けの人造の教えになって
しまっていた、その事を指しているのです。
イエシュアが、トラーを否定して新しい教えをしたなんて
本当に偽の教えです。
私達が西洋宗教の教えから教えられて来た事、理解している
事とは、全然違う事が、オリジナル聖書には書かれているの
です。誰でも読めば、翻訳聖書でも分かるはずですが、
聖書を読む前提が、初めからトラーは終わり、律法、呪い、
縛り付け、古い教えと言う人の言い伝えの障害物があり、
その前提から読めば、神の言葉の真実は
歪んで見えなくなってしまっているのです。
今では、偽教師、偽預言者=トラーを教える人なんて言う
解説まであるのが、驚愕です。それって神の言葉に基づいて
真実なのですか??何の聖書を読んでいるのでしょうか?と、
本気で考えなくてはなりません。
全く聖書とは逆の教えです。聖書の中では、トラーを
知らなければ、聖書教師とさえ、認識されない、プラス、
トラーを否定する人イコール=偽教師と認定される。
民から排除される結末にあったのです。
トラーに対して、反対、反逆する霊は、完全にイスラエルの
神に属するものではない事、聖書を読めば分かるのでしょう。
エデンの園に居たあの動物は何をしましたか?
神の永遠不変の言葉、インストラクションに対しての
挑戦をしたのです。神の言葉を曲げた、変えた、違うと
アダムとエバに疑わせて、違う何かがあると思わせた。
聖書の中では、古代はトラーを教える人を、トラー教師と
呼ばれていたのです。
現代はトラーを教える人、トラーの教えを語る人が偽教師、
聖書とは逆です。聖書と異なり、それこそ、神の言葉、
トラーを否定する教えこそ、偽教師発言だと聖書に
戻り読めば、聖書に基づきそうであると分かるはずです。
自分の頭で、聖書だけに戻りじっくり考える。人の教えに
耳を傾けないで聖書にある事実だけに戻り、読み、一つずつ
考えてみる。
トラーを教えない人は、聖書の中では、”教師”などども
呼ばれなかった事実に目を留める。
聖書教師=当然トラーを知って、トラーを教える人達の事を
指しているのです。
まして、トラー以外の教え、ズレた教えをする人は、
偽教師。新興宗教?異教の神々の、他宗教の教えを混ぜた
教えをする教師と言う事なのです。排除されてしまう。
反トラー的発言の根底には、やっぱり”トラー”に対する
敵対心が潜んでいるのだと思います。人の言い伝えにより、
そう教え込まれて来たからです。
考えてみるのです。なんで神の言葉に敵対するのですか?
と。聖書=神の言葉は永遠不変なのに、いつ変形したの
ですか?と。神がイエシュア昇天後、トラーは終ると
言いましたか?いいえ、永遠不変、代々に渡り
神の言葉は、堅く立つ、変わらないと神の御口みずから
宣言されたのです。ならば、なぜそれを否定する教えを
言い続け、賞賛し続け、支持し続けるのか?
自分の頭で考えて行けばはっきり、神の言われる言葉
を理解する事出来る様になります。
神の言葉の永遠不変の重さを、異邦人=ローマ皇帝は
知らないかったから。だから、平気で混ぜて、改ざんして、
自分の信仰=ミトラ教=太陽神の教えと、イスラエルの神
の言葉を混ぜても何とも思わなかった。
そして、人造宗教を4世紀に作り上げた。
16世紀の宗教改革も、パン種除去不完全のまま、
高き所を完全に捨てないまま、ローマ皇帝教の慣し、教え、
神学をふんだんに取り込んだまま、そのパン種=人の言い伝え
の中に今も、ふんだんに蔓延り、数々の無数の
パン種はどんどん主の言葉の中に入り込み、
今もなお膨れ上がり続けているのです。
続く