アメリカのキリスト教伝道者、ビリーグラハムが全盛期の頃、
こんな合い言葉が流行ったのを、覚えている方がいるかも
しれないでしょう。
聖書を片手に掲げて、"But the Bible says" ”だけど聖書は
この様に言う”と言うフレーズが、流行ったのです。
完全にBack to the Bibleでは無かったですが、
この”意識”=聖書だけに戻ると言う事はとても大事な事です。
あれから、益々聖書=神の言葉から離れる傾向、神の言葉の
重要さ、神=言葉と言う事が分からないまま、
学ぶと言う事をしない傾向が世界中に広がって行きました。
聖書=神の言葉を知ると言う事よりも、現象、奇跡、不思議,
宗教活動を求める傾向。
単に聖書だけを、読んで行けば必ず気がつく事があるのです。
誰かの教えを”基”に読まなければ、発見出来る事があります。
聖書は、二つに分かれているものではない、一つの書。
もちろん、古い方の年代に書かれたもの、イエシュアが
地上に来られた後に書かれたものと、書かれた年代が
違いますが、二つに分断する意識をまず取り除くのです。
トラー、預言書、諸書、福音書、使徒、書簡、黙示録。
全部丸ごと一貫して、同じ事が書かれています。
その大元、土台、柱、テーマ、全ては、”トラー”の中に
書かれ居ます。トラー以外は全部、トラーの解説です。
途中から、前の教えが却下されたのだと書かれている箇所
は無いのです。
しかも、何か聖書の教えとずれていて変だなと、気がつけば、
分かって来ます。
イエシュアが地上で、一体何を教えて、何を生きたのかを
知ればはっきりと分かります。トラー、預言書、諸書丸ごと
生きた事実。
そして、それを弟子達に教えた、人々に教えた事実。
イエシュアは、自分の昇天後”シャブオート”だけを祝いなさい
と教えましたか?トラーはもう終わりで、わたしが新しい教え
を教えたので、その呪いは破棄されましたと言いましたか?
トラーの中身を生きる事は、古い宗教だと言いましたか?
トラー=神のデザインした人間の姿=イエシュアそのもの
なのです。
イエシュアは処刑される前、何の祝いをしていましたか?
過ぎ越です。その過ぎ越を毎年祝いなさい言われた。
当然ですが。その過ぎ越の祝いの中で主の死と命を
告げ知らせている事を覚えて、セダーの晩餐で種無しパンを
裂いて、購いの杯を飲みなさいとイエシュアが言った
意味は一体なんだったのか?と考えてみれば分かります。
神の言葉だけに戻って事実確認するのです。
あれ?何か変だ、人間の教えが、辻褄が前後で合わないぞと、
普通に読めばちゃんと気がつくと思うのです。
神の言葉と、人間の教えの違いが見えて来る。
そうして、読んで見ると、始めから終わりまで、
誤解しないで読めば、同じ事が書かれている事が
はっきり分かります。
ひっかかる箇所は、人間の教えを基にしない=トラーは
終ったのだと言う観点から読まないで、そこに書いてある
論点は一体何か?と言う事に注目すれば見えて来ます。
もし、何も宗教神学の教えを聞かない人が、旧約とか新約と
言う人造の神学で造られたその言葉、概念のページが
無くて、聖書は一冊の書ですよと手渡されて読めば、全部
繋がっている事が分かりますし、内容も不変だと言う事が
普通の読解力があれば分かるはずです。
翻訳と言うのはそれだけで至難の業です。
同じ言葉の意味を、パズルのピースの様に、ピッタリ左から
右に移す事が出来ないからです。
まして、聖書の中身=トラーを本当に理解していない人が
訳していたりするのですから、意味が違うものになって
しまう危険が有ります。
自分の教えられた神学と辻褄合わないので、聖書の中には
無い言葉などを付け足して、全然違う意味に捉えられて
しまう翻訳箇所が多々あるのが事実なのです。
これは、丁寧に一つずつ書いて行きたいと思いますが、
まったく誤解して読んでいた事、教えられてきた聖書の中に
書かれている意味とはずれた箇所、事実だけに目を向ければ
見えます。でもそれでも、否定するのが”先入観”と言う
脳回路です。
しかも、たとえ話などを全然関係ない脈絡と繋げて解説
すれば、本当にどの様な解釈でも出来てしまいますから。
古代のヘブライの世界のたとえ話は、その当時の人なら
誰でも理解出来る内容なのに、私達には理解の下地が無い
から意味不明なのです。これは本当に学びが必要な
箇所です。トラーを知らなければ、このイエシュアの語って
いる”たとえ話”を本当の意図、意味で理解出来ないからです。
さて、そんな事も含められた翻訳ですが、注意して
読めば必ず、気がつく事が有ります。
イスラエルの神=イエシュアが何を生きて、何を
教えて、語っているのだけを注目しても分かります。
全ては”トラー”丸ごと!!!それ以外の教えをイエシュアが
したのかしていないのかどうか、そこだけに目を留めてみても、
見えて来るのです。ちゃんと書いてある事だけを読めば、
イエシュアがトラーだけを教えて、一貫してぶれてない、
変わってない事実が理解出来るのです。
続く