Back to the Bible 聖書=純粋な神の言葉のみに戻る | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

アメリカのキリスト教伝道者、ビリーグラハムが全盛期の頃、

こんな合い言葉が流行ったのを、覚えている方がいるかも

しれないでしょう。

 

聖書を片手に掲げて、"But the Bible says" ”だけど聖書は

この様に言う”と言うフレーズが、流行ったのです。

完全にBack to the Bibleでは無かったですが、

この”意識”=聖書だけに戻ると言う事はとても大事な事です。

 

あれから、益々聖書=神の言葉から離れる傾向、神の言葉の

重要さ、神=言葉と言う事が分からないまま、

学ぶと言う事をしない傾向が世界中に広がって行きました。

聖書=神の言葉を知ると言う事よりも、現象、奇跡、不思議,

宗教活動を求める傾向。

 

単に聖書だけを、読んで行けば必ず気がつく事があるのです

誰かの教えを”基”に読まなければ、発見出来る事があります。

 

聖書は、二つに分かれているものではない、一つの書。

もちろん、古い方の年代に書かれたもの、イエシュアが

地上に来られた後に書かれたものと、書かれた年代が

違いますが、二つに分断する意識をまず取り除くのです。

トラー、預言書、諸書、福音書、使徒、書簡、黙示録。

全部丸ごと一貫して、同じ事が書かれています。

その大元、土台、柱、テーマ、全ては、”トラー”の中に

書かれ居ます。トラー以外は全部、トラーの解説です。

 

途中から、前の教えが却下されたのだと書かれている箇所

は無いのです。

しかも、何か聖書の教えとずれていて変だなと、気がつけば、

分かって来ます。

 

イエシュアが地上で、一体何を教えて、何を生きたのかを

知ればはっきりと分かります。トラー、預言書、諸書丸ごと

生きた事実。

そして、それを弟子達に教えた、人々に教えた事実。

 

イエシュアは、自分の昇天後”シャブオート”だけを祝いなさい

と教えましたか?トラーはもう終わりで、わたしが新しい教え

を教えたので、その呪いは破棄されましたと言いましたか?

トラーの中身を生きる事は、古い宗教だと言いましたか?

トラー=神のデザインした人間の姿=イエシュアそのもの

なのです。

 

イエシュアは処刑される前、何の祝いをしていましたか?

過ぎ越です。その過ぎ越を毎年祝いなさい言われた。

当然ですが。その過ぎ越の祝いの中で主の死と命を

告げ知らせている事を覚えて、セダーの晩餐で種無しパンを

裂いて、購いの杯を飲みなさいとイエシュアが言った

意味は一体なんだったのか?と考えてみれば分かります。

神の言葉だけに戻って事実確認するのです。

 

あれ?何か変だ、人間の教えが、辻褄が前後で合わないぞと、

普通に読めばちゃんと気がつくと思うのです。

神の言葉と、人間の教えの違いが見えて来る。

 

そうして、読んで見ると、始めから終わりまで、

誤解しないで読めば、同じ事が書かれている事が

はっきり分かります。

 

ひっかかる箇所は、人間の教えを基にしない=トラーは

終ったのだと言う観点から読まないで、そこに書いてある

論点は一体何か?と言う事に注目すれば見えて来ます。

 

もし、何も宗教神学の教えを聞かない人が、旧約とか新約と

言う人造の神学で造られたその言葉、概念のページが

無くて、聖書は一冊の書ですよと手渡されて読めば、全部

繋がっている事が分かりますし、内容も不変だと言う事が

普通の読解力があれば分かるはずです。

 

翻訳と言うのはそれだけで至難の業です。

同じ言葉の意味を、パズルのピースの様に、ピッタリ左から

右に移す事が出来ないからです。

 

まして、聖書の中身=トラーを本当に理解していない人が

訳していたりするのですから、意味が違うものになって

しまう危険が有ります。

 

自分の教えられた神学と辻褄合わないので、聖書の中には

無い言葉などを付け足して、全然違う意味に捉えられて

しまう翻訳箇所が多々あるのが事実なのです。

 

これは、丁寧に一つずつ書いて行きたいと思いますが、

まったく誤解して読んでいた事、教えられてきた聖書の中に

書かれている意味とはずれた箇所、事実だけに目を向ければ

見えます。でもそれでも、否定するのが”先入観”と言う

脳回路です。

 

しかも、たとえ話などを全然関係ない脈絡と繋げて解説

すれば、本当にどの様な解釈でも出来てしまいますから。

古代のヘブライの世界のたとえ話は、その当時の人なら

誰でも理解出来る内容なのに、私達には理解の下地が無い

から意味不明なのです。これは本当に学びが必要な

箇所です。トラーを知らなければ、このイエシュアの語って

いる”たとえ話”を本当の意図、意味で理解出来ないからです。

 

さて、そんな事も含められた翻訳ですが、注意して

読めば必ず、気がつく事が有ります。

 

イスラエルの神=イエシュアが何を生きて、何を

教えて、語っているのだけを注目しても分かります。

 

全ては”トラー”丸ごと!!!それ以外の教えをイエシュアが

したのかしていないのかどうか、そこだけに目を留めてみても、

見えて来るのです。ちゃんと書いてある事だけを読めば、

イエシュアがトラーだけを教えて、一貫してぶれてない、

変わってない事実が理解出来るのです。

 

続く