喜びの季節と呼ばれる”仮庵” 主の永遠の招き、宴会を喜び、楽しむ | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

日本でも、盆暮れ正月に色々な準備をして、

そして、門松やら、提灯やら、お正月のおせち料理など

作って準備する。これらを律法とは呼ばないのに、

永遠不変の神の言葉=神の呼び出しの”祭りの日”を祝う事を

律法に戻る人とか、宗教に戻る人と言う教えがある。

 

西洋ローマ宗教の、ローマ皇帝=人間の編み出した

造り出した”祝いの日”の、クリスマスや、イースター、

日曜礼拝を祝う事は律法ではなくて、

イスラエルの神の仰せ、言葉通り、トラー=聖書に

書かれている”神の定めの日”祝いの日を祝う事は何かとても

悪い事、律法、危険な事と思う意識。。。

これらの意識は一体どこから来たのか?と考えれば見えて来る。

 

車の、ハンドルだけ取り出しても、車は運転出来ない。

全部の部品が揃って車としての機能するのです。勝手に自分の

思い、判断でどこかの部品を取り外したり、付け足しては

ならないと、創造主であるお方が言われるのですから、

神の言葉をそのまま聞く、知ると言う事が大前提なのです。

 

一旦、宗教、ユダヤ教、西洋宗教の教えと言う教えを

全部止めて、リセットして、聖書だけに戻る。聖書の中に

書かれている事だけから、考える事を始める。

 

聖書=神の言葉は永遠不変と言う事に戻る。

 

神の言葉は、誰も変える事が出来ない。人間が神の言葉を、

否定する事、変える事など出来ない。

全人類に永遠不変に語られている内容だと、再起動、

神の意図通り、言葉通りの中に軌道修正して読み直して

みれば、神の言われている言葉の意味が見えて来ます。

人間の教えではなくて、神御自身の語られる真実が。

 

神の定めの時の中で、生きて体験して福音の全てを知る、

皆で神の実態を体験する、追体験する、神と人と神の

デザイン通り、神を中心に、互いが顔と顔を向合い出会う時を

定められているからです。所謂”神の暦”=定めの時=神の人への

招集日は、福音の根幹を網羅する、福音の中身を実際に

生きて体験する日なのです。

 

喜びの季節へ突入!喜び、楽しみなさい!主がこの季節まで

命を支え生きながらえさせて下さり、運んで来て下さった

から。

そしてこれからも永遠に主の命=生ける水の中で何も

欠けがなく運ばれて行くから!

 

この”仮庵”の中に座り、思い出すのです。追体験です。

 

私たちの思索は、3000年以上前のあの先祖達が通った

出来事、道のりに重ねて思いを馳せる様に神から言われて

いるのです。

 

それも、皆で思い出す。神の定めたこの日に。

彼らイスラエルと、神の言葉を聞いた少数の異邦人が、

出エジプトしたあの体験を、追体験をしてみるのです。

奴隷状態のエジプトの死んだ自分から、主の似姿の

自分へ引き出され、約束の地へ到着するまでに

通った旅路を。

そして喜べ!!!喜べ  “サメッハ”!

 

喜べ=それが私達の本当の性質だからです。

”喜び”歓喜=エデン=神の中に私達ははじめに

造られたからです。それを思い出す。

本当の姿を取戻している事を。

 

”購い”と言う事の意味、そして約束の地への喜び、希望 

指針。

そして、それは、主が再び来られる事!を思い出す事でも

あるのです。

仮庵の中で、今地上に居て、神の国の現実=天の現実=神の

中に生きて居ることを、しっかり知る、確認するのです。

 

初めの初めから 主の再臨の喜びを待ち望む教えが

トラーにはちゃんと書かれているのです。

 

続く