”仮庵の祭り”はただの“定めの時”ではありません。
これは出エジプト23章にあるように、
“ハーグ” 巡礼の祭りです。都上りの祭りです。
そして、3つの都上りの祭りの中で一番最大の
祭りなのです。
聖書、神の言葉では、ここで私たちに何をせよと伝えて
いるのでしょうか?
まず この“7”と言う数字を考えて下さい。
仮庵の祭り=スコートは、7番目の月、そして、二つの
7週間のグループの後に来るものなのです。
過ぎ越の祭り”そして、初穂を数える7週間後に
シャブオート=五旬節があり、シナイ山で婚姻契約が
与えられた時と同じ祭りです。
そしてその後に仮庵の祭りです。
7、7、7と言う数字はとても重要な意味があるのです。
イスラエルの神は私たちに、”7”と言う数字を通して、
コンスタントに、常に思い起こさせれている事実が
この数字の中に書かれているのです。
”7”とは、完了、完了した完成。
言い換えると、私たちはもう完了の姿になっている!
主の似姿にされている事が、始めの始めから聖書の
中に書かれているのです。特にトラーの中に書かれている。
突然2000年前、イエシュアが地上に来られた以降、神の
似姿を与えられたと言う事ではないのです。
永遠から存在する事実、購い、救い、神の似姿が取戻されて
いる事実は永遠の中から存在している、それがトラーに
書かれている。
どの時代にも、太古から同じ福音が語り継がれている
と書かれている通りなのです。
その事を思い起こさせている、念を押しているのです。
信仰とは、神の言われる言葉、実態の事実に根付く事です。
永遠から神の言われる事=言葉の全てを眺めるのです。
どの時代にもどこの場所でも、どの国民であろうとも、
同じ内容の救い、購い、許し=福音が与えられている事実が、
聖書の始めから終わりまで書かれているのです。
何も変形、変化はない。分断の思索、時代事に変わる、
変化する事実、福音ではない。神の言葉、
福音は永遠不変だからです。
レビ記23:3には、”定めの日”はいつも、シャバットより
始まりシャバットにて終る、と書かれています。
停止!とまる、やめる。全ての作業、努力、自分の命を支えて
いる仕事の業を止める。神が全てを用意してくださったから。
神はこの日を、神の意図通りの目的のために、取り置きなさい
といわれる。
他の事に邪魔されないで、神の目的=この目的満載!で、
過ごしなさいと言う仰せです。
“花婿”に相見えるために、この日を特別に取り置きなさい。
これは “ミクラ コデッシュ”であるのです。
聖なる集会に呼び出し宣言する日。
個人的に主に会うのではなく、皆で全員で共に主に出会う日。
イスラエルの神は、何人で集れと言う指示はしてないのです。
何人でも良い。家族、仲間、聖書の学びの仲間と?それとも
カハール=イエシュアを信じる仲間全員で?親しい友達と?
どの形、グループでも良いでしょう。親しい仲間と集るだけで
それは、それは楽しいものです。
女子会、男子会、おじさんおばさん会、飲み会、ランチ会で
集るなら、このイスラエルの神の呼び出しの日に、
神の呼び出された目的のために集る事をしたいと思いませんか?
神がそう言われるから、重大なのだ!と、聞く=シャマー
する人達、この指と〜まれ〜!なんかそな事を
子どもの時にやりましたが、神が呼び出した日なのです。
重要!人が呼び出した日ではなく、生ける神、イスラエルの
神が人々を呼び出している事実を考えてみるのです。
呼び出しに応答する人達に、神がその中で必ず特別な出会い方、
語りかけをして下さるのです。毎日同じさ〜毎日語りかけて
もらえる。そうです。でも神が特別な日を定めて、特別な
出会い方をしようと言われているのですから。
私たちは神の民と共に集まり、この日を祝うのです。
イスラエルに住むならば気候的にも、一週間の内丸々
仮庵で過ごす事が可能でしょう。しかもイスラエルは今
から、ずっとお休みですし。
南米や、南国アイランドなどもそうでしょう。
でも 韓国や北欧、日本もちょっとこの時期寒いで
しょうね。雨が降るかもしれないですし。
でも、それぞれ住んでいる場所で、出来る事をやれば
良いのです。イスラエル以外の国では、
今の時は休みも無いですしね。
もちろん、仕事だって昼間イスラエル以外の国は
普通の日ですから行かなくてはならいでしょう。
でも 土日があるし、夜もある。昼間休み時間に今は、
”仮庵の祭り”である事を思いめぐらす事が出来る。
出来る事を与えられた条件の中でするだけで良いのです。
イスラエルの神の同じ契約に加えられた自分であると知るなら、
この日に神に自分も呼び出されている事がはっきり自覚
出来るのです。
続く