今年、10月11日 日没から、12日日没まで、
神の定めの日=イスラエルの神が神の子らを呼び出している日
永遠不変の招集日を迎えるので、一旦”西洋宗教史”に関する
内容を、脇へ置いて、大贖罪日=ヨム キプールに関しての
記事をUpします。
イスラエルの神が言われたら、何事でも重要なのです。
特に、神の指定した定めの日はとても重要な意味がある
日です。永遠不変。福音の根幹を生きて教えるものなのです。
イスラエルの神=全人類、全世界、全宇宙の創造主である
お方に、全ての被造物が造られたのです。
全世界の人は、このお方によって造られた事実があります。
そして、イスラエルの神は、民族によって別の教えを伝える
事は、なさらないのです。
イスラエルが代表で受け取った、太古の人達に語り継がれた
同じ福音、同じ言葉、同じ教えを全世界の人達に伝えて
居る事が聖書に書かれています。
トラーに描かれている全ては、聖書の土台、テーマ、
柱、神の言葉の全てです。
聖書全体は、トラーの内容を解説しているのです。
だから、トラーが終ったとする教えが、聖書とは
辻褄が合わない事であり、事実ではない事が、聖書の
中身だけに戻るとはっきり書かれていますので、
事実を知る事が出来ます。
もし、トラーが終わりであれば、それは、”イエシュア“自身が
終わり、意味無し=神は無用と言う事になるからです。
そして、トラーの中身を、ここは終わり、ここはイスラエル
へだけの教え、ここは異邦人への教えと、削除付けたし
改ざん、仕分けするなら、それは、片足のもげた
イエシュア、片目、片耳をもいだイエシュア、
もしくは、余計な飾りを付け足され、化粧された
イエシュアの顔になってしまい、オリジナルの
イエシュアの御顔、実態が変形されて分からなくなります。
10の言葉の冒頭に、”ロー だめ! ノー!
あなたのために、あなた自身のために、わたしの顔の
上に別の顔を置いてはならない。”と厳重忠告してくださって
いるアバ父の声を無視する事になってしまいます。
ヨハネ5:39-40
39 あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って
調べているが、この聖書は、わたしについてあかしを
するものである。
40 しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとに
こようともしない
この時点で、イエシュアが言って居る”聖書”とは、
”トラー、預言書、諸書”のみを指して聖書と言っているのです。
当時は、聖書の最後の三分の1は全く存在しない、
書き始められてもいない事に注目。
ヨハネ 5:46
もし、あなたがたがモーセを信じたならば、
わたしをも信じたであろう。モーセは、わたしについて
書いたのである。
5:47 しかし、モーセの書いたものを信じないならば、
どうしてわたしの言葉を信じるだろうか」。
マタイ5:17
わたしがトラーや預言者(トラー、預言書、諸書)を
廃するためにきた、と思ってはならない。
廃するためではなく、成就するためにきたのである。
5:18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、トラーの一点、
一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。
5:19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、
またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も
小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまた
そう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。
ルカ24:25 そこでイエスが言われた、「ああ、愚かで
心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を
信じられない者たちよ。
24:26 キリストは必ず、これらの苦難を受けて、
その栄光に入るはずではなかったのか」。
24:27 こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、
聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、
説きあかされた。
聖書全体=トラー、預言書、諸書全体です。
ルカ 16:29 アブラハムは言った、『彼らにはモーセと
預言者とがある。それに聞くがよかろう』。
16:30 金持が言った、『いえいえ、父アブラハムよ、
もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行って
くれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。
16:31 アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者と
に耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者が
あっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。
人の言い伝え、伝統を優先しないで、神の言葉だけを取って
戻る事を始めない限り、永遠に目の前にこうして
イエシュア御自身の口から、生けるトラー=イエシュア=文字で
書かれたトラーと書かれていても、見えないままになって
しまいます。
続く